東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ゼパニヤ書3章14-17節「喜びinクリスマス」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2020/12/14

ゼパニヤ書3章14-17節「喜びinクリスマス」

*** 12/13(日)アドベント第三週 主日礼拝 説教概略 *** 

 少し前にNHKのヒストリアという番組で、戦国時代に信仰を持った細川ガラシャさんのことをやっていました。彼女が信仰を持ったきっかけは、彼女に仕えていた清原マリアという侍女の存在でありました。他の資料などを見てもやはり、ガラシャさんが苦しかった時に彼女が支えとなり、いつも穏やかに笑みをたたえていたそうです。彼女のそんな姿を見て自分もそうなりたいと願ったようです。

 苦しい中にあってもなお希望を失わず、主にある喜びを持って歩めるキリスト者の存在は証しになりますね。皆さんもそれぞれに色々な事があると思います。それでも惨めな歩みではなく、魂に安らぎを持つ者として、喜びをもって歩める者でありたいと願うのです。

 そして、救いの喜びは救われた私たちだけが味わっているのではないのです。実に、救いを与えてくださった神様ご自身も、私たち人間の救いを誰よりも喜んでおられるのです。「救いの喜び」と言うと私たちは普通、救われた本人の喜びをイメージしますが、神様はそれ以上に喜んでおられるということも今日はぜひ心に留めたいと思います。クリスマスにおける喜びという主題で、救われた私たちの喜びとお救いくださった神様ご自身の喜びを教えられて参りましょう。

 喜び歌え!喜び叫べ!

  今日与えられているみことばは、直接的には「バビロン捕囚からのイスラエルの回復」について預言されたものです。しかし同時に、そこにはまさに「クリスマスの預言」をも意図されていました。それは「キリストによって救いがもたらされた喜び」であります。その救いはあまりにも素晴らしく勝利の日なので、お祭り騒ぎをするように喜び躍れと神様はお命じになっています。14節。 

14節 娘シオンよ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び叫べ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。 

 「娘シオン」とか「娘エルサレム」という言い方は、神様がイスラエルの民を本当に愛しく親しく呼びかけてくださる言い方です。そしてここでは喜び」が3回も繰り返されていますね。しかも「喜んでみませんか?」とか「良かったら喜びましょう!」なんていう弱々しいものではなく「喜べ!」という命令形です。

 さらに「喜び」ということばに加えて「喜び歌え、喜び叫べ、心の底から喜び躍れ」と、まさにお祭り騒ぎのように全身全霊で喜びを表すがいい!と語られているのです。

しばしば教会は誤解を受けていることがあります。
まじめな人だけが集まり、静かに地味な服装で堅苦しく過ごし、笑うこともせず眉間にしわを寄せるようにしながら賛美したり、みことばに聴いたりする場所。そんなイメージで入りにくいと思われる方がいる。敷居が高いなどと言われてきたのです。

ところが、神様は「喜び歌え!喜び叫べ!心の底から喜び躍れ!」とおっしゃっているのです。喜びがあふれる場なのです!かつてダビデ王は、人前でも恥ずかしげもなく、神様を心底喜んで踊りたたえたことがありました。妻のミカルからは嫌味を言われ「王のくせに裸同然で恥ずかしげもなく、ごろつきのように踊りなさって」と。しかしダビデは主の前なのだ!喜ぶのは当然だ!と考えました。


 喜びの理由

  
 では、この喜びはどこから来るものなのでしょうか?

 神様は喜びの理由もないのに形だけ、上辺だけでも喜べと命じておられるのでしょうか。決してそうではないですよね。15節にこう語られていますよね。 

15節 主はあなたへのさばきを取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れることはない。 
 ここに喜びの理由・根拠が2つ語られています!

 第一の喜びの理由は「主はあなたへのさばきを取り除かれ、敵を追い払われた」からです。当時のエルサレム滅亡は、不信仰や背信等の罪深い歩みの結果であり、さばきとして神様が近隣諸国による支配という形で実行なさいました。けれども神様はそのさばきを取り除かれ、敵を追い払われる宣言なさいます。新約の時代を生きる私たちにとって、敵とは罪の支配であり、悪魔の存在です。悪魔は私たちの心を攻撃して私たちを責めます。私たちを訴え、罪悪感に押しつぶされるようにし、神の真理から遠ざけます。けれども、救い主キリストがクリスマスに来られ、そこに勝利を打ち立てられました。すべての罪は十字架の上で廃棄され、キリストを信じる者は罪と悪魔の奴隷から完全に解放されて、自由とされました。もはや神様のさばきを恐れることはありません。無罪放免とされたのですから!もはや悪魔を恐れる必要がありません。信じた者は神のものとされるのですから、もう悪魔に占拠される恐れがありません。  聖書ではしばしば、十字架による救いのことを「贖われる」と表現します。「贖われる」とはどういう意味でしょう?別のことばでは「買い戻される」という意味です。もともと神様のもとにいた人間が、悪魔の誘惑に乗り罪を犯し、悪魔の側の人質とされたのです。人が神を離れ、自分から欲の奴隷となって悪魔の支配に落ちたのです。しかし、人質となった私たちのために、神様が身代金を用意されました。その身代金は「イエス・キリストという神の子のいのち」だったのです。私たちは御子イエス様のいのちをもって、買い戻され、神の所有へと戻って来られようにされたのです。なんと大きな犠牲でしょうか?

第二の喜びの理由は「イスラエルの王、主はあなたのただ中におられるからです。ただ罪を赦した、永遠のいのちをくれたというのではない。主が私たちのただ中に住んでくださる。ともに歩んでくださる。私たちの友、私たちの隣人となってくださる。だからわざわいを恐れなくていいのです。しばしば私たちは、シビアな現実から乖離した政治を見てガッカリすることがあります。私たちの現実を知らずに浮世離れしたお金持ちの政治家が上の方で何かを決めている。生々しい深刻な現場に来て一緒に苦しんで理解を深めて欲しいと思うことがあります。 しかし、神である方はそれをなさったのです。誰よりも偉大で、誰よりも栄誉に満ちた方が、クリスマスに弱さを身にまとう人間として赤ちゃんの姿で来られた。立派な宮殿でも富豪の家にでもなく、非常に貧しい家に汚らしい家畜小屋でお生まれになった。私たちの厳しい現実のただ中に、貧しさの中に、寂しさの中に主が同じ人の姿をもって寄り添われたのです。私たちのように涙し、私たちのように空腹を覚え、私たちのように傷つき痛みを通られました。神様が涙するなんて考え難いですよね!しかし、人となられたイエス様はラザロが死んだ時に涙を流されました。また、傷ついた民を見てはご自分のことのように深く心を痛められました。まさに王の王、主の主である方が私たちの隣人となられたのがクリスマスです。そして、イエス様の十字架によって、私たちは父なる神様との親しい交わりに回復してくださいました。主は私たちから遠く離れているのではなく、毎日の歩みのただ中におられます。だから喜べと言われるのです。


 私たちの救いを喜んでくださる主

  

 そして、16-17節では神様ご自身が私たちの救いを心から喜んでいてくださるのだということが語られています。これを味わうと私たちの喜びはさらに増し加わります。

16節 その日、エルサレムは次のように言われる。「シオンよ、恐れるな。気力を失うな。

17節 あなたの神、主は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。 

 ここは本当にことばを駆使して、美しい詩を歌いあげています。

 どうしても日本語の訳では「喜び」という一語に集約されてしまうのですが、原語では何種類ものことばを用いて「喜び」を立体的に表現しています。

 もはや「歓喜」という表現の方がふさわしいぐらいです。そして喜ぶのは誰なのか?? ここでは神様が主語です。神様がイスラエルの民を救いの民として大喜びなさるということです。

 主なる神様が、私たち救われた者たちの中にあって、私たちとの交わりを、私たちの存在を、大絶叫するほど、歓喜するほどに喜んでくださる。これ以上ないほど幸せをかみしめるようにして喜んでくださる!そういうことばです。私たちが救いを喜ぶよりはるかに大きな喜びで、私たちが立ちかえるのを喜んでくださるのが神様なのです。

 

 なぜ、そんなに喜びが大きいのでしょうか?? 

 私たちへの愛があまりにも大きく、それゆえ払っている犠牲が本当に大きいからです。私たちは努力が大きければ大きいほど、待たされる期間が長ければ長いほど、そこに多くの痛みや忍耐があったからこそ、それらが報われた時、大きな達成感と喜びを味わえますよね? 神様は愛するわが子キリストを、人の救いのために差し出されました。そのいのちを、私たち罪ある者たちのために身代わりになさいました。それほどに愛してくださっているゆえに、その犠牲を払ったがゆえに、私たちの内のたった一人が神様のもとに立ち返る時、神様は喜び大歓喜し、高らかに歌って私たちの帰りを心底喜んでくださる!! 神様が私たちとの交わりを楽しみ、喜び、幸せをかみしめてくださる。そんな風に皆さんはイメージしたことがありますか?

「私なんかと話しても楽しくないのでは?」「私のようなものが帰ってきたところで、そんな大歓喜されるのか?」「自分なんて」と思うかも知れません。

 しかし、神様はあなたを造られた方。あなたのために御子をも差し出された方。あなたの帰りを誰よりも喜び、嬉しくてついつい歌ってしまうほどです。

 クリスマスは上辺ではなく、真の喜びの出来事。神様からのプレゼントです。そこには罪と滅びからの解放の喜び、主が私たちのただ中におられる喜びがあります。そして神様ご自身が私たちの帰りを、私たちの存在を大喜びしておられることもまた、私たちの心を強めてくださいます。


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