*** 11/4(水) 祈祷会説教概略 ***
私たちは思わぬトラブルに遭遇すると、状況を改善しようと慌ててしまいかえって混乱してしまうということがあるのではないでしょうか。しかし、本来はそのような時こそ信仰を働かせ、落ち着いて祈り、主の助けを待てたらいいですよね。
追い込まれている時ほど落ち着くこと自体難しいわけですが、そこに主がおられると覚える時、私たちは「ゆだねて焦らず待つ」という選択肢を見ることができます。神様を信じていない場合、この選択肢自体が存在しないわけですが、信じる者には一つ多く選択肢が与えられているわけです。せっかくある選択肢を用いないのはもったいないですよね。
みことばに心を開いて「主にゆだね、ゆっくり待つ」というテーマで教えられて参りましょう。
主のみこころならば
息子アブサロムが反旗を翻し、エルサレムに侵略しようとしていた頃、ダビデたちはエルサレムを後にして、まずは逃げることを考えました。その時祭司たちはどうしたのでしょうか。24節を見ると、祭司のツァドク、エブヤタルたちは神の契約の箱と一緒に脱出する準備をしていたことがわかります。
彼らはアブサロムにではなく、ダビデ王に従うことを決意していたのです。状況だけを見れば逃げて放浪するダビデよりも、エルサレムを占拠するであろうアブサロムの方が有利に見えたはずです。しかし、彼ら祭司もまたダビデに従うことが主のみこころであると信じていたのでしょう。ところが、ダビデは彼らに思わぬことを言いました。「神の箱を都に戻しなさい、戻りなさい」と言うのです。25-26節
26 もし主が『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、主が良いと思われることをこの私にしてくださるように。」
覚悟を決め、神の箱がダビデ王とともにあるようにと祭司たちは準備していたのです。しかし、ダビデはそれを止めさせ、神の箱と祭司たちは都に留まるようにと言いました。神の箱が自分とともにあれば、人々もここに主がおられると目に見えて分かりやすく、ダビデがアブサロムと対峙する上ではアドバンテージがあったはずです。しかしダビデはそれを止めました。なぜでしょうか?
ゆだねる決意があるからこそ、神の箱もエルサレムにあるままで良いとしたのでしょう。契約の箱が近くにあろうと、遠くであろうと、主はそれに支配されず、みこころならば私をまた神の箱のあるエルサレムに戻してくださるに違いないと信じたのです。
「神様に信頼してゆだねる」という信仰のあり方は、私たちの誰もが大切にしたい非常にシンプルなあり方です。ゆだねることができないので、力が入ってもがき、かえって苦しくなることがあります。
主に信頼してゆだねるならば・・・
さて、この追われて逃亡した時のダビデの信仰の姿勢が、詩篇3篇に告白されています。3:3-4のところ。
3:3 しかし 主よ あなたこそ 私の周りを囲む盾 私の栄光 私の頭(かしら)を上げる方。
3:4 私は声をあげて主を呼び求める。すると 主はその聖なる山から私に答えてくださる。
多くの仲間が裏切り敵に回ってしまいました。しかし、ダビデは気づいたのです。自分を囲んでいたのは敵だけではないと!自分の周囲には神様の盾が張り巡らされ、私を守っていてくださるのだと!下を向いている時に、主が私の頭を上に向かせてくださる主がおられる!この信頼によってダビデはドン底の中でも主にあって心が保たれています。
こうしてゆだねる信仰に立った時、どうなるのでしょうか?
この方にゆだねて、焦らず主のなさるみわざを、主の時を「ゆっくり」と安心して待ちましょう。