東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅱサムエル記17章1-23節「ダビデの祈りへの答え」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2020/12/03

Ⅱサムエル記17章1-23節「ダビデの祈りへの答え」

 *** 12/2(水)祈祷会 説教概略 ***

 15章に記されている窮地における「ダビデの祈り」を覚えていらっしゃるでしょうか。
 危機的な状況の中で追い打ちをかけるようにして、腹心であり良き助言者であったアヒトフェルが反逆している息子アブサロムの側に寝返ったとの知らせが届いた時でした。
 
 ダビデはそこで神様にこう祈りました。

1531節 「主よ、どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」
そして、その時のダビデの心境は、詩篇55篇等からわかるように、本当に苦しく裏切られた悲しみ怒りに満ちていました。しかし、それでも幸いだったことはダビデが主に向かって行ったということです。神様にその叫びを訴え、祈りもがくうちに神様からの平安とその答えをいただくようになるのです。神様に祈り求める者は、この世が与えることのできない不思議な平安と主のすばらしいご計画を知ることになります。


 アヒトフェルの助言とフシャイの助言

 今日の17章では「その祈りの答え」が具体的に見えるかたちで実現しています。

1-4は、ダビデを裏切ったアヒトフェルがアブサロムに助言をしています。

 今やエルサレムを占拠し、勝利目前に見える状況にあったアブサロム陣営です。あとはダビデ王を打ち負かしてしまえば、名実ともにアブサロムが王になれるという状況がもう目の前にありました。その「とどめの策」としてこの軍師アヒトフェルは進言しているのです。

彼が言うには「今」がチャンスなので、私に12千人の兵を預けてくださいとのことでした。今ならダビデ王一行は疲れており、気持ちも落ちています!今攻めれば、ダビデ王と一緒にいる民は逃げ、ダビデ王だけを打つのは容易いです。正面衝突するよりも奇襲をかけ、ダビデ王だけを打ちましょう!そうすれば、残りの兵士は全員アブサロム王の兵士になることでしょう。そういった内容で、アブサロムや長老たちもなるほどと納得しました。

さすがの参謀アヒトフェルです。賢く理にかなった無駄のない策であると言えますし、これが実行されればダビデは必死です。一方で5節にはこうあります。 

5節 アブサロムは言った。「アルキ人フシャイを呼び出し、彼の言うこと聞いてみよう。」 

 この行動がアブサロムの行く末に大きな影響を与えます。
 フシャイこそはダビデが送り込んだ人であり、神様がアヒトフェルの助言を無効化するために用いた人物だからです。 

 フシャイの助言は7-13に記されていますが、要約するとこうです。

アヒトフェルの助言は良くない。今ダビデ王を襲うのは危険すぎます。彼はまるで「子どもを失ったメス熊」のごとく気が立っており凶暴な状態です。それに彼は歴戦の戦士で、夜も兵士たちと一緒に過ごさず隠れているでしょう。そんな状況でダビデ軍に戦いを挑んでもダビデの首を取れず、兵士がダメージを受け「アブサロムの兵が打たれた」と情報が流れれば、戦士の気力も落ちますよ!つまり、夜襲はダビデには通用せずかえって危ないと進言したのです。 

そしてフシャイが代わりに提案したのは、兵力を全イスラエルから数多く集めておき、ダビデを発見したら、アブサロム自らが先頭に立って正面から堂々と戦いを挑むことでした。

 さて、これらの軍師の助言対決はどうなったのでしょうか。先週読んだ14節です。

14節 アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。

 おそらくアヒトフェルの助言の通りになされていたらダビデは危険でした。
 しかし、フシャイの妨害が効果を発揮します。アブサロムにとってフシャイの提案は「自分の名を知らしめる」という欲を満たす提案に見えたことでしょう。これが実に罠になったわけです。

例えばフシャイの提言の中で、9節の中には『アブサロムに従う兵たちのうちに、打たれた者が出た』と言うでしょうと触れています。アブサロムは見栄えを気にする人でしたから(それは劣等感から来ていますが・・・)、アヒトフェルに任せて「兵が打たれた」となれば、結局はアブサロムに従う者が打たれたというイメージになります。彼は自分の名前が悪い出来事の中に使われることを恐れたことでしょう。

ダビデに劣っていると思われたくない。ですから、手柄は自分のものにしたいし、マイナスの出来事は自分のせいにされたくない。それでアヒトフェルが12千の兵で挑んでも勝利できない場合、自分の名誉が傷つくと思ったのではないでしょうか。さらにイスラエル全軍を率いることこそ、王なる自分の勇姿を示すのにふさわしい!そう考えたことでしょう「奇襲」ではなく、王が先頭に立って堂々と威厳を見せつけながら勝ちたいという欲が出たのです。

かくしてアブサロムはフシャイの方の意見に流れて行きます。

ただ、こうしたアブサロムの罪深さ、欲深さをすべてご存知の神様のご計画がここにあったということを聖書は明確かに語っています。

繰り返しになりますが14節の後半にこうある通りです。 

これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。 

ダビデは神の栄光を求め、神の助けを頼みとしましたが、アブサロムは自分の栄光を求めました。結局、罪の結果が自分に帰って来ています。神の前に、人の前に謙虚であればこうはならなかったでしょう。

詩篇182-3節にこうあります。

「主はわが巌 わが砦 わが救い主 身を避けるわが岩わが神。わが盾 わが救いの角 わがやぐら。ほめたたえられる方。この主を呼び求めると私は敵から救われる。」  

これはダビデがかつてサウル王に追われ、命を狙われ続けていた時の経験から生まれた詩です。彼はそのような危険な状態を幾度も通る中で、「神様の守りの確かさ」を体験してきました。自分を守るのは鎧でもなく、兵力でもない。神様こそが盾であり、砦であり、頑丈な岩なのだと言うのです。こうして敵から救われるのだと。

この方に身を避け、この方に祈り求めることが何よりも強い守り、保証なのです。

 

 神に逆らう者、神に従う者 その結末

さて、この後、15節からフシャイは早速ダビデ陣営に情報を伝えようとします。

ただ、フシャイから伝言を受け取ったヨナタンとアヒマアツはダビデのもとに急ぎますが、途中で若者に見つかりアブサロムに知らされてしまいます。すぐさまアブサロムの配下の兵が彼らを追うのですが、彼らを井戸に隠してかくまってくれる女性によって難を逃れ、無事にダビデのもとに行きました。

名もなき女性ですが、もしアブサロムに事実がバレれば命はなかったのではないでしょうか?命がけでダビデの配下の祭司たちを守ってくれたのです。ダビデには本当に色々な人が助力してくれていることが分かります。

それは神様がそのように多くの人をもって助けてくださっているということに他なりません。神様ほど顔の広い方はいらっしゃらないのですから!

そしてフシャイはアヒトフェルの進言が万が一実行されることがあっても大丈夫なように、まずは夜明けまでにヨルダン川を渡らせました。アヒトフェルの作戦というのは迅速さがいのちでした。今がチャンスなのだ、今晩のうちに!という状況でした。でも、こうしてダビデたちは夜中に逃げ続け、アヒトフェルの作戦は実質的に実行不可能になりました。これでアヒトフェルはアブサロムが勝てないと分かったのだと思います。自分の提言も受け要られず、実行されず、そしてそれは敗北を意味したのだと彼は悟りました。

それで23節にあるように、アヒトフェルは自ら首をくくって死んでしまったことが語られています。イエス様を裏切ったイスカリオテのユダを想起させます。神様に敵対する者のは一見うまくいったように見える時があっても、自分で自分の首を絞めていくのだと気づかされます。

 こうして、ダビデの祈りに対する神様のお答えがここに実現しています。アヒトフェルの助言を愚かなものとした神様の導きです。フシャイがアブサロムにあっさりと参謀として迎え入れられ、さらにアヒトフェルの助言の方が勝利への道であったのに、それが退けられるようになさったのも主です。

 しかもアブサロムがアヒトフェルではなく、フシャイの意見を気に入ったことによって、アブサロムの罪深さはますます露わになってもいます。そしてまた、主が油注いだ王ダビデを裏切ったアヒトフェルに対するさばきも、この事でなされています。すべての出来事が神様のみこころに沿ってなされていることに気づくのです。

 そして神を恐れ、神に祈り従う者に確かな守りと報いが与えられていくという真実をここに発見するのです。私たちの人生においても、信頼していた人が離れて行ってしまうことや、裏切られるような経験も起こりえます。

 しかし、その時に私たちは主なる神様に祈り叫ぶことができます。沈黙し続け何もできない偶像の神ではなく、祈りをすべて聞いておられ、善人も悪人をも用いることができる神様が祈りに応えてくださるのです。

 人の前に無防備な自分に見えても、主の守りは確かです。私たちはこの方の御手の中に身を避け、この方の救いを待ちましょう。

 ダビデは確かに多くの人に見捨てられました。ただ、彼らは自分の都合でフラフラとなびく風に揺れる葦のような存在です。アヒトフェルがその例でしょう。しかし、ダビデにはいざという時に命がけでともに歩んでくれる仲間も与えられました。しかも、ユダヤ人だけでなく外国人たちまで協力してくれました。すべて神様が遣わしてくださり、危機にあっても守ってくださいました(15節以下でもギリギリ守られている)。あなたをも守ってくださる主です。





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