*** 10/14(水)祈祷会説教概略 ***
Ⅱサムエル記 14章25-33節「存在がないもののようにされる痛み」
人間関係において「存在をないもののように扱われる」、つまり無視されることほど苦しいことはありません。特に大切な方から無視をされることは本当にさみしく辛いことです。
そして、どんなに良い物を持っていても、親の愛を受けられないでいる、感じられないでいる子どもは幸せとは言えません。ここに登場しているアブサロムはそういう痛みを通っていた人であると言えます。
そこで彼は考えました。私をエルサレムに戻すよう動いてくれたヨアブならば、何とか助けてくれるのではないか?ダビデに対して影響力がある人だから、きっと彼らならば!と。
そこで・・・29節です。
29節 アブサロムは、ヨアブを王のところに送ろうとして、ヨアブのもとに人を遣わしたが、彼は来ようとしなかった。アブサロムはもう一度、人を遣わしたが、ヨアブは来ようとしなかった。
ヨアブのもとに人を派遣して、お願いしようと思ったのですが、ヨアブは一向に来ようとしません。頼み綱のはずのヨアブが全然相手にしてくれないのです。これにはガッカリしたことでしょう。このあたりからも、ヨアブの行動が、アブサロムやダビデのことを心配する思いやりから出たものではなかったことが見えてきます。
自分の利益のためにばかり動いているように見えるのです。ここにあるように、アブサロムは一度ならず、もう一度ヨアブに使者を送りましたが、やはりヨアブは無反応だったのです。まるで存在がないもののように扱われる。これほどさみしく、むなしいことはありませんよね。
こうやって見ていると、アブサロムはかわいそうだなと思うのです。王ダビデとも面会したいけれど出来ない。ようやく間に入ってくれたヨアブも、全然相手にしてくれない。仮にも彼は王子様ですが、このように存在を無視され軽んじられることは、とても傷ついたのではないでしょうか??
この愛を求めているアブサロムのような人がこの世界にはあふれているのではないでしょうか?