*** 10/13(火) ママ’sカフェ 子育て講座 ***
「反抗期は成長期」
神様は人を「神のかたち」に造られたました。それは、神のように知性や情緒、意志(知・情・意)があり、それぞれに個性があるということであります。ですから子育ては決してマニュアル通りにいかないものと言えるでしょう。
しかし、だからこそ、その成長が大変嬉しくもありやりがいのある尊い働きです。人材こそは国の宝であると言えますし、良い人材は何にも代えがたいとは、昔からよく言われることではないでしょうか。お母さんたちのしている「子育て」という人を育て上げる働きは、本当はもっと大切で難しいものだと理解される必要があります。
そして、成長のプロセスの中では、一般的に言われる表現で「反抗期」というものがあります。そこでは多くの親が苦労しますよね? しかし、その本質に目を向けるならば、成長している証しであると理解でき、嬉しくもなることを覚えたいものです。また、その「反抗」はある程度落ち着かせることができるものであり、場合によってはほぼ反抗的な態度を取ることなく、豊かに成長することも可能であることを知りましょう。
特に「反抗期」は子どもが大きく成長する時に起こる表面的な現象です。その奥には「今までとは接し方を変えて欲しい」という子どもの願望があるのです。もう、今までのような幼稚な扱いはやめて欲しい、自分でやりたい、自分の意見を尊重して欲しいという現れなのです。実にその面から言うと「反抗期」と呼ぶよりも「成長期」と呼ぶ方がふさわしいのです。
ですから、時々反抗期がなくて心配になる方がいらっしゃいますが、反抗する理由となる部分に対処出来ているならば「反抗する必要性がない」ということも起こり得ます。良いコミュニケーションが取れているようならば、心配はいらないかと思います。
ただし、親が高圧的過ぎて、子どもが委縮してしまい、「反抗すらできない」というケースもあります。それは反抗できない代わりに、内側に怒りを溜めてしまい心が破綻したり、どこかで爆発する危険があるものですから、お子さんの心の声によく聴いてください。
Ⅰ. 幼少期~児童期の「成長期(反抗期)」 自分でやりたい期!
「イヤイヤ期」とも呼ばれたり、「魔の2歳(魔の3歳)」などとも言われます。何をするにも反抗的な態度を取ったり、嫌がったりする傾向が見られる場合があります。親は大変ですが、これはその子の精一杯の自己主張です。未熟なので上手に自分のことを表現することができず、「イヤ」と言うのが精いっぱいだったり、泣きじゃくったりします。ある子は噛みついたり、ある子は髪を引っ張ったり、とにかく自分の主張をうまく伝えられず本人もイライラしているのです。その背後にある意味をくみ取ってあげられるといいですね。「僕(私)は少し大きくなったから、自分でしたいんだ!」ということです。
Ⅱ. 小学校高学年~思春期の「成長期(反抗期)」 大人扱いして欲しい期!
この時期は、今まで以上に自分を一人の人格として尊重して欲しいと考えるようになります。自分の意見も、親の意見と対等に扱って欲しいのです。
今までは親が好きなもの=自分も好きだと考えてきた。でも、親が嫌いなものでも、自分が好きなものもあることに気づきます。そこで、それを正直に出せる環境か、それとも親の顔色をうかがってそれを言えないかで、反抗の出方が変わります。親の基準で「くだらない」とか「価値がない」と否定されると、非常に傷つきます。
特に親子関係から、次第に友人関係へと人間関係のウェイトが移っていきます。親は高圧的に指示する関わり方や何でもやってあげることを少しずつやめなければいけません。
むしろ、本人にチャレンジさせ、励ましながら自立へと向かわせていく必要があります。
Ⅲ. 「成長期(反抗期)」の対応の原則
ポイント1 「反抗の本質を理解する」
~なぜ、反抗的な態度を取っているのか?~
成長期は自我が確立されていくタイミングです。反抗は心にある思いの結果なのであって、その行動の奥にある心に目を向けることが成長期を乗り切って行くポイントです!
子どもたちは、自分の意見、自分の主張が持てるようになり、今までと同じ対応をされることが「不満」なのです。扱い方を変えて欲しいという態度の表れです。こうして、成長期だと受け入れるならば対応の仕方もわかってきます。
反抗自体が本人の願いではなく「わかって欲しい」「尊重して欲しい」「認めて欲しい」という主張の現れなのです。それが満たされれば反抗の理由がなくなっていきます。関心を持って欲しいのです。
不安なのか?孤独なのか?
大人扱いして欲しいのか?
自分の意見を尊重して欲しいのか?
心に寄り添いましょう。
マタイ8:2-3 ツァラアトの病の人に、イエス様は手を伸ばして触っていやされました。彼の願いは癒されることでありました。しかし、病の特質上、長年隔離生活を強いられ、誰にも触れてもらえないという孤独な日々を送ってきていたはずです。
主イエス様は、その心を見ておられて、あえて手を伸ばしてさわって癒されたのです。主イエス様は外側だけでなく、内側を取り扱っておられることがわかります。
私たちも反抗という外側の行動をを直そうとすると必ず失敗します。
その中に起こっている成長を見ながら、その子がどのように接して欲しいと願っているのか。親の側の接し方を変えるべき時なのです。そういう意味では親自身の成長期とも言えるかも知れません。
ポイント2 接し方を変えていく
箴言15:1 柔らかな答えは憤りを鎮め、激しいことばは怒りをあおる。
(1)まず、よく聴く。
話を途中で遮らず親身に聴く。アドバイスしたがりな親が多いです。
まずは遮らないで、最後まで話を聴いて理解することを大切にしましょう。
(2)言い方を変える(命令口調ではなく。私は嬉しい、悲しい、ありがたいへ)
私言葉で話しましょう。相手を責めるのではなく、私はこうされたら悲しい。
私はこうしてもらうととても助かる、嬉しい。
尊敬をもって、大人を相手にする時のような配慮をもって!
(3)前もって予定を告げる。
準備の時間を提供する。帰る時間になる10分前に伝える。
子どもにも自分の計画や予定があるのです。
遊びにおいても、これぐらいは最低でもしたいというのがあります。
出かけるならば、何時ごろに出かけるのか?
何時に準備を終わらせておいて欲しいのか?それをきちんと伝えておきましょう。
(4)無理やり抑え込まない。
むしろ、「やってみたら?」と余裕を見せましょう。
植物が成長する時に、地面がコンクリートだったら地面を割って出て来るか、
地面の中を他に方向に曲がって伸びて行くしかありません。
芽を出せないこともあります。
成長期に抑え込むことは、地割れや変な方向に曲がっていくことを助長します。
親は、自分の意見を言えるようになった子をもっと喜ぶべきです。
反抗が見えるようなら、「お!自分の主張きたな?大人になったなぁ!」と評価しましょう。大きな器で受け入れられ、理解され、尊重されていると感じる時、子は反抗する理由を失います。理解されているのですから、尊ばれているのですから、満たされていくのです。
わがままを助長するのではなく、意見として真摯に受けとめ、他の大人の人に対するようにリストペクトをもって返答していくべきであり、まだまだお子さんは助けを必要としている面もあるので、プライドを傷つけないように上手に助けましょう。
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