東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: コロサイ2章9-15節「キリストによって、満たされて生きる」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2022/08/04

コロサイ2章9-15節「キリストによって、満たされて生きる」

*** 7/31(日) 主日礼拝 説教概略 ***

コロサイ2章9-15節「キリストによって、満たされて生きる」


 私たちが「救い」を求めるのは、何のためなのでしょうか。どういう時なのでしょうか。少なくとも今より良く(幸せに)なりたいと願って救いを求めるのではないでしょうか?


 福音書の中で、病で長年苦しんできた女性の話があります。彼女はまさに、苦しみから少しでも解放されたいと願い、救いを求めて必死でした。多くの医者に助けを求め、多くの財産を用いて治療を受けました。

 ところが、一向に良くなりませんでした。聖書が言うには、「多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物すべてを使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。」と語られています。

 どんなに熱心に求めても、求めた先が間違っているのならば、そこに救いはないのです。それどころか、かえって苦しめられるという現実を、聖書はこうして教えているのです。

「求める信仰自体が尊いのだ」とよく言われますが、だからこそ、ふわしい方に求めて、正しく報われて欲しいと切に願います。

 苦しんできたこの女性は、イエス様と出会うことができました。まことの愛を知り、そして癒されていきました。それは、イエス様のうちには、癒す力、救う力があるからです。神のご性質がそこに満ちており、人の罪を赦す権威、病と滅びから救い出す権威があるからです。それはこの手紙の著者パウロが9節で語る通りです。

9節 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。

 全知全能の神の力、慈愛と恵みに満ちたご性質をキリストは持っておられる。ゆえに、人を不幸のどん底から救うことができるのです。私も人を助けたい、救って差し上げたいと思うことは山ほどあります。でも、残念ながら同じ人間に過ぎません。

 家族に陽性者が出たり、自分が罹患したりすれば、それだけで外出すら出来ない小さな者だと痛感します。

ですから、人間のルールに一切束縛されず、求める者なら誰でもいつでもお救いになられるキリストを心にお迎えしていただきたいのです。

そして、このキリストに心を治めていただき、争いや混乱ではなく、愛と平和を。束縛ではなく、自由と解放を受け取っていただきたいのです。

 


1. キリストと一つにされている

 パウロは、10節のところで、キリストを心に受け入れた人々は、もうすでにキリストにあって満たされているのだと語ります。

 10節の後半には「キリストはすべての支配と権威のかしらです」と語られています。つまり、この世界に存在する、どんな支配や権威も、キリストを束縛することはできないという事です。

 キリストの支配権の方が圧倒的に上にあるのだと言うのです。

 ですから、この世界の罪に歪んだ様々な支配や、私たちを苦しめる偽りの権威があっても、キリストのものとされるのなら、私たちはそれらの世の力から解放されるのだということです。

 何よりもキリストのご支配、権威は、私たちを束縛し奴隷のようにするものではありません。この救いは、私たちを内側から、新しく造り変え、愛と平和と自由をもって歩めるようにしてくださるのです。 

 それは11節にあるように、「人の手によらない割礼」つまり、「神の手によるバプテスマ」を受けたからです。洗礼・バプテスマ式を先月に行いました。そのバプテスマには「浸す」「浸かる」という意味があります。続く12節にこうありますね。

12 バプテスマにおいて、あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じたからです。 

 バプテスマ(洗礼)の時に、水に全身が浸かり、そして水の中から起き上がりますよね。そこに象徴されていることは、キリストと一つにされた者として古い罪深い自分が一度死んで、キリストとともによみがえり、新しくされるということです。  

 皆さんは、温泉はお好きですか?みんなで温泉旅行とか行きたいですね。ああ、頷いてくださる方がたくさんいらっしゃる・・・と想像します。信仰の目で見た景色ですが(笑)。

 私は、以前はあまり長い時間浸かれませんでした。しかし、年とともに温泉が身に染みて、以前より長く浸かれるようになりました。妻と行った時に、「私が先にあがるだろうけど、のんびり浸かっていいからね」と言ったものの、出てみたら妻を待たせていた、なんて事が起こるようになりました。温泉に浸かる時に、一瞬だけだとあまり体に浸透していく感じがないですよね(もったいない)。

 やっぱり、じっくり浸かり、体の芯まで温泉の効能が行き渡っていくと、体も温まりリラックスできますよね。

 あくまで例えではありますが、私たちはキリストに芯まで浸かるようなイメージで、キリストの愛の成分、平安の成分が、喜びの成分を、私たちの「心の芯」まで染み渡らせたいものです。神の良いご性質に満ちたキリストが、私たちの内に満ちているとは、そういう恵みであろうと思うのです。

実際にキリストを信じて受け入れた者には、主の御霊が働かれ、キリストのご性質へと変えられていきますよね。イエス様のこうした神のご性質が、イエス様を信じて一つにされた私たちのうちにも広がるのです。環境によらず、「あらゆる境遇において満たされる恵み」です。

 

2. キリストにある救いの力

13-14節には、その神様の救いの力がまざまざと語られています。

13 背きのうちにあり、また肉の割礼がなく、死んだ者であったあなたがたを、神はキリストとともに生かしてくださいました。私たちのすべての背きを赦し、14 私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。 

 コロサイの人々は、ユダヤ人と異なり、神の教えの中には歩んで来ませんでした。ユダヤ人なら受けるはずの「割礼」という「神の民のしるし」も受けていません。

 それどころか神の救いの教えを全く知らない者たちでした。けれども、キリストの十字架の知らせが彼らに届けられたのです。それゆえに、死に定められていた者が生きる者とされた! 

私たちもコロサイの人々と同様です。

愛を込めて私たちを造り「わたしの目にはあなたは高価で尊い」とまでお語りになる神様。大切なひとり子さえも与えてくださった神様。なのに、この方を神としてあがめず、感謝もせず、その良いお心に背いて生きて来た私たちです。

しかし、13節にあるように、「すべての背きを赦してくださる」お方なのです。さらに14節では「債務証書」のたとえが登場しています。

簡単に言えば「借金の借用書」ですよね。私たちが「罪という名の借金」を山ほど抱えている例えです。借金は「少しなら」と手を出してしまうと、やがて雪だるま式に増え、返せなくなり、借金取りに追われるということがありますよね。14節に「私たちを責め立てている債務証書」という表現がありますが、まさにその通りです。

罪も私たち自身を追い込みます。罪の苦しみの大きな部分は、実は「自分で自分を責め続ける」ことなのです。誰も責めていないことでも、自分が自分を赦せず責めているので、人から責められているように思い続けますよね。これがとても苦しいのです。

しかし、イエス・キリストは、この債務証書を破棄するために、十字架で身代わりとなってさばきを受けてくださったのです。すべての負債を肩代わりし、もうその債務証書は無意味だ!無効だ!と宣言してくださった。「あなたの罪は赦された」と言ってくださったのです。

私はかつて、自己嫌悪がとても強い人間でした。過ちをずっと引きずり、自分を責めました。思い出しては苦しくなり、自分は「ダメな人間だ」と責めるのです。それは本当に苦しいことですよね。けれども、主はその債務証書はもう完全無効だとしてくださった。神様がそうしてくださった以上、自分で自分を責めることも私たちはしなくていい。

それどころか、今後も罪の支配に置かれないように、何かの奴隷にならないで済むように、「本当の自由と解放を与えてくださる」のです。15節にこうあります。

15 そして、様々な支配と権威の武装を解除し、それらをキリストの凱旋の行列に捕虜として加えて、さらしものにされました。 

 キリストは、罪に歪んだあらゆる支配、闇の権威の武装を解除させるお方です。むしろそれらを捕縛して、ご自分の支配のもとに置き、終わりの時に正しくさばかれるお方なのです。

キリストにある十字架の力は愛と赦しの力です。人を押さえつける武力的、圧力的支配ではなく、それらから自由に、解放してくださる権威です。

以前、ある先生からこんなことばを教えていただきました。「真の権威は束縛ではなく、自由を与えるものだ」と。本当にそう思います。

 権威と聞くと、たいてい上から抑えられるようなイメージがあります。でも、それは人間同士が互いに権威を競い合って、奪い合って、それを自分の欲のために用いているからです。

 しかし、自分の自由さえ、神の子としての栄光さえ手放して、私たちのためにご自分をささげてくださったイエス様なのです。私たちのために、正しく愛をもってその統治権と権威を用いるお方です。そこに真の自由があります。罪からも、罪悪感からも自由にする権威です。



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