*** 2/15(水)祈祷会 説教概略 ***
ヨブ記16,19章「イエス様がおられるから」
先日の朝、ものすごいダルさと胃の気持ち悪さ、胃液の逆流する感じがありました。その日、一気に熱が上がり39.5度まで・・・ 数日間、体の不調はなんとなくありましたが、熱自体は概ね一晩で下がり、検査ではコロナ、インフルは出ず、結局よく分かりませんでした。ただ、やはりそれだけ体調が悪いと何もできず・・・神様を求めることすらほぼできない自分がいました。
みことばことはもちろんできず、神様に祈ろうとしても、もう次の瞬間、眠ってしまっている自分。そう考えると、ヨブは全身が悪性の腫物に覆われ、心身ともに極限の苦しさの中で、神様に向き合い、神様と語り合おうとする姿に恐れ入ります。私はその気力すら起きなかったので。同時に、そのようなヨブでさえ、神様のことをまだまだ知らない者であるとしているヨブ記です。私が神様の何を分かっているのだろう?分かっていなくても当然だと思わされました。だからこそ、ご一緒に神様を知っていきたいとも思わされます。
さて、苦しむヨブと見舞いに来た3人の友人との問答は31章まで続きます。その間、3人の友人は順番に繰り返しヨブを説得しようとしていますが、ヨブは自分が正しいというところに立ち続けているので、この3人もついには話すのをやめることになります。
そこで4人目が登場するわけですが・・・。その前に、ヨブの苦しみに理由にもう少し目を留めたいと思います。
16章1-2節 ヨブは答えた。そのようなことは、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、人をみじめにする慰め手だ。
「みじめにする」のところは、「疲れさせる」と訳してもいいかと思います。厄介な慰め手ですね・・・。19章2-3節でも、ビルダデへの応答としてヨブはこう言います。
19章2-3節 いつまで、あなたがたは私のたましいを悩ませ、ことばで私を砕くのか。もう十度もあなたがたは私を辱め、私をいじめて恥じることもない。
19章13-19節でヨブは自身の孤独を率直に告白しています。
13節 神は私の兄弟たちを私から遠ざけ、知人たちはすっかり私から離れて行った。
14節 親族は見放し、親しい友も私を忘れた。
15節 私の家に身を寄せる者や召し対の女たちも、私をよそ者のように見なし、私は彼らの目に他人となった。
16節 私がしもべを呼んでも、彼は返事もしない。私は自分の口で彼に懇願しなければならない。
17節 私の息は妻にいやがられ、身内の者たちに嫌われる。
18節 若輩までが私を蔑み、私が立ち上がると、私に言い逆らう。
19節 親しい仲間はみな私を忌み嫌い、私が愛した人たちも私に背を向けた。
財産を失ったゆえに、離れて行った人々もいたでしょう。見下されたのもそのせいがあるかも知れません。また、大事なものを失っただけでなく、全身を腫物で覆われてしまいましたから、もはや見た目も人間の体をなしていなかったのであろうと思います。
友人たちもヨブだとは分からなかったとありました。そうなると、見た目がつまずきとなり、人からも疎まれがちですね。友人からも、兄弟からも、親戚からも、そして妻からも遠ざけられたら、私なら、もはや生きていけないという感じがします。
ローマ8章34-35節 34節 だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
35節 だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。