東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ヘブル8章1-6節「まことの聖所で仕える大祭司」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2026/02/01

ヘブル8章1-6節「まことの聖所で仕える大祭司」

*** 2/1(日)主日礼拝 説教概略 ***

 私たちクリスチャンの特権は、いつでも天に目を向けて歩むことができることです。この地上のことに心が奪われがちな日々ですが、私たちの国籍は天にあり、「天国民」としてこの地に歩んでいることを忘れずにいたいのです。



 この地上での苦労も、天における神からの報いの大きさを見て慰められます。キリストを通してするならば何でも、天に直結させることができ、天に朽ちない宝を積むことが可能なのです。ですから、イエス様ご自身も、「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい (ヨハ6:27) と言われました。私たちが学んでいるこのヘブル人への手紙は、このように、「地上から天へと私たちの目線を引き上げてくれる手紙」です。

 本日のみことばも、その意味を持っています。私たちには、天にあるまことの聖所で仕える大祭司がおられます。主イエス様です。この方がいてくださるので、私たちはむなしく過ぎ去る「死んだ行い」から解放されるのです。永遠に残る尊いわざが出来るのです。ですから、地上のことばかり見て歩むことなく、キリストによって天を仰いで、「いのちの道」に歩んでいきましょう

 

1.写しと影、そして天の聖所  

 1節では、「以上述べてきたことの要点」として整理がされています。この要点とは何でしょうか。それは、私たちが歩んでいるこの新約の時代には、イエス・キリストというまことの聖所に仕える大祭司がおられるのだということです。だから、この大祭司を通して、より霊的な礼拝をささげ、いつまでも残るいのちの道に歩めるということです。
 しかし、旧約時代の幕屋は本物ではなく模型でした。壊れやすく、朽ちるものです。やがて来る本体を示す影でした。動物のいけにえも不完全でした。毎年繰り返し、多くの犠牲がささげられました。ヘブ10:1-4を開きましょう。

10:1 律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって神に近づく人々を、完全にすることができません。10:2 それができたのなら、礼拝する人たちは一度できよめられて、もはや罪を意識することがなくなるので、いけにえを献げることは終わったはずです。10:3 ところがむしろ、これらのいけにえによって罪が年ごとに思い出されるのです。10:4 雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができないからです。 

 この地上の儀式によっては罪を除くことが出来ませんでした。それらが本物ではなく、写しだからです。85にこのように語られています。

5 この祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。それは、モーセが幕屋を設営しようとしたときに、御告げを受けたとおりのものです。神は、「よく注意して、山であなたに示された型どおりに、すべてのものを作らなければならない」と言われました。 

 ここに「写し」と「影」とあります。写しは、本体をそっくりに模倣したものですよね。ですから、祭司制度は人が勝手に生み出したものではありません。神様の命令によって、本物に出来る限り似せて造られた模型のようなものでした。ですから、ここでは「御告げを受けたとおりのもの」とか、「よく注意して・・示された型どおりに」という言葉が続いています。こうして、人間の祭司たちは、天にあるものの写しや影と言われる地上のものに仕えてきました。当然それらは、不完全です。人間に、罪の重さや犠牲の必要性を示してくれましたが、これらの動物の犠牲と祭儀は、人を完全に救う力を持ちませんでした。しかし、本当に幸いなことに、今や完全に救うことのできるイエス・キリストがまことの大祭司となり、天の幕屋で奉仕されているのです。

2  人間によってではなく、主によって設けられた、まことの幕屋、聖所で仕えておられます。 

 ですから本来、ユダヤ人も異邦人も皆、こぞって本物の聖所に仕えるキリストに従うべきなのです。ところが、そうではなかった。「シルエット・クイズ」というものがあります。人や物のシルエットだけを見せて、これは誰か、あるいは何かを当てるクイズ。シルエットは不完全だからクイズになるわけです。そして、答え合わせの時には本物をジャーンと出し、本物が登場したらシルエットの役目は終わりますよねしかし、多くのユダヤ人は本物が登場しても、まだシルエットの方だけを見ていたわけです。それはむなしい事です。私たちも今、見える地上の事だけでなく、見えない尊いものを大切にする道に召されたはずではないでしょうか。人の顔色を恐れるのではなく、神に喜ばれるいつまでも残ることに心を向けたいのです。


2.キリストの奉仕  

では、完全な大祭司イエス様はどんな奉仕をなさったのでしょうか。

3  大祭司はみな、ささげ物といけにえを献げるために任命されています。したがって、この大祭司も何か献げる物を持っていなければなりません。 

 普通の大祭司は動物を献げました。イエス様も祭司なので、何かを献げる立場です。しかし、4節にあるように、天に仕える永遠の大祭司ゆえに、イエス様は地上の祭司とは明らかに区別されます。献げる物も異なるのです。では、イエス様が献げる物とは何でしょうか。A5ランクの牛肉でしょうか。そのようなお金買えるレベルのささげ物ではありません。それは神の御子イエス様ご自身でした。汚れなきご自分のいのちを献げられたのです。私たちは御子のいのちによって贖われ、どんな罪をも赦される救いを受けたのです。

 旧約時代は、何度も何度も繰り返し動物の犠牲を献げました。けれど、先ほど開いた10章にあったように、動物の犠牲では完全な赦しはなかったのです。それどころか繰り返し献げるゆえに、罪が思い出されてしまった。しかし、天に仕える大祭司のささげ物は、私たちの罪を完全に取り除くのです!キリストによって神に近づく者は、罪からもその罪悪感からも完全に解き放たれるのです!

また、6節にこうありますね。

6  しかし今、この大祭司は、よりすぐれた契約の仲介者であるだけに、その分、はるかにすぐれた奉仕を得ておられます。その契約は、よりすぐれた約束に基づいて制定されたものです。 

よりすぐれた契約の仲介者である」と語られています。
イエス様のおかげで、私たちは行いによらず、ただ信じる信仰によって、すべての罪を赦される契約をいただきました。神の子とされ、神の義とされ、平安を与えられ、永遠のいのちをいただける恵み豊かな契約。ただ信じるだけで救われるのは、新しい契約がすぐれており、このイエス様が「はるかにすぐれた奉仕」をなさっているからです。イエス様のみわざは、すべての祭司たちにまさって、なんと尊く力あるものでしょうか。私たちの大祭司は、朽ちる小さな人間ではないのです。まことの聖所で奉仕する大祭司キリストです。こうしてキリストは、信じて従う者に「いのちの道」を開かれたのです。


3.死んだ行いから離れ、生ける神に仕えよう 

いのちの道に生きる恵みを覚えましょう。
ヘブ9:14をお開きください。 まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。 いのちの道と反対の「死んだ行い」とは何でしょうか。生ける神を信頼せず、生ける神から遠く離れた行いです。宗教的・道徳的な行為に見えても、実際は心が神から離れ、自分の栄光ばかりを求めるむなしい行為です。人の目を気にし、人の評価ばかりを求める偽善のことです立場や経歴は立派でも、愛も信頼も親切もない歩みです。これらは神の目に「死んだ行い」です。

 しかし、まことの聖所に仕えるキリストは、傷のないご自分をささげ、血を流されました。利益度外視で、損得勘定抜きで、むしろ多大な犠牲を払って、こんな罪深い私たちのためにいのちを下さったのです。このおかげで、キリストとともに生きる者は内側からきよめられました。死んだ行いから離れ、生ける神に仕える者へと変えられたのです。

 私たち福音自由教会は、中世ヨーロッパにて、形骸化した死せるキリスト教に抗いました。生きた信仰に歩む道を選んだのです。神様とイキイキと親しく語り合う交わりを大事にします喜びがあふれる霊的な礼拝をささげたい。人にいのちをもたらす交わり、励ましをもたらす歩みに召されています

 この世では得られない慰めのことばを主の御霊が語らせて下さるのです。食べるにも飲むにも、神の恵みとして味わいます。音楽も主をたたえるために、創作も主の栄光のために、遊ぶにしても主の豊かさを知るためにできる。

 なぜなら、イエス様が天のまことの聖所に仕える、私たちの大祭司、リーダー、師であるからです。ですから、私たちは自分たちが遣わされた場所で、人にいのちをもたらす言葉を語れるはずです。人のいのちをケアする優しさを提供できるはずです。なんて嬉しいことでしょうか。皆さん、クリスチャンとして自信を持ちませんか。世の人には出来ないことができるのです。天の聖所に仕えるキリストこそを私の大祭司とするとは、そういうことです

 死んだ行いから離れ生ける神に仕えましょう。

 今日も主はあなたに語っておられます。あなたは地上の小さな朽ちていく価値観に支配されていないか。目を上げて天を見なさい。天のまことの聖所で仕えるキリストが、あなたを導きあなたのわざを引き上げる。すぐに消えてなくなる物のためではなく、天につながる、尊いいのちの道に歩みなさいと。


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