イエス様の降誕や幼少期の出来事全体を通して、その母マリアの信仰の姿勢はとても印象的です。よく理解できない不思議なことが沢山起こっていましたが、分からないながらも、すべて心に納めて(心に留めて)思い巡らしていたのです。神様のなさった不思議なみわざ、神様がこれからなさろうとしている良いこと、これらをみな心に留めていたのです。
そして、イエス様が大人になり公生涯を歩む際、最初の奇跡がカナの結婚式でなされました。その時、マリアはイエス様を尊重し、「あの方が言われることは、何でもしてください」と給仕の者たちに言いました。マリアはイエス様の周囲で起こって来たすべての良いことに心を留め、そしてイエス様に従い実行する姿勢でいたのです。
私たちも、主が与えてくださる良いものに心を留め、教えられたことを実行する者とならせていただきましょう。そのようにする時、平和の神がともにいてくださる幸いを味わっていけるのです。
1.大切な良いことを心に留める
8節のみことばを味わいましょう。
8節 最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。
パウロは「最後に、兄弟たち」と呼びかけ、もう一度注意を向けさせています。その上で大切なことに、兄姉たちが心を留めることができるように励ましています。まず、前半に「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いこと」に心を留めよとリズカルに語られています。最後の「評判の良いこと」がやや分かりにくいでしょうか。このことばには、隣人への「親切心」「恵み深いこと」などの意味があります。親切心や恵み深い関りは良い評判を生みますよね。
そして、この6つはどれも男性形でも女性形でもなく、「中性形」です。男女どちらかの人間を連想させず、神が世界に与えられた良い性質そのものに着目させる意図があるかも知れません。
後半の「また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば」の部分は、より一般的な美徳の話です。前半6つの徳の他にも「素晴らしい優れたものや、誉れ高いものがあれば、それらにも心を留めなさい」と教えられているのです。
つまりここでは、悪いことや汚いことに心を留めるのではなく、この世界に神が与えられた良いもの、価値ある尊いものに積極的に心を留めるように教えられているのです。
マリアが大切なことを一つずつ心に留めたように、私たちも良きものにこそ心を留めて歩みたいのです。すぐに消えてなくなってしまうむなしいことに心を留めず、いつまでも残るような大切な価値ものに心をフォーカスして歩むよう教えられています。
私たちは日々、本当に多くの情報に取り囲まれて生きています。TVやネットのニュース、SNS、日常会話、仕事や学びに関する情報など。そして、その影響を多分に受けてしまいます。ですので、気がついた時には、心の中が様々な否定的な思いや、不安や恐れ、怒りや憎しみ、悪い考えや思いであふれてしまっていることがあり得るのです。
しかし、気をつけなければなりません。イギリスの作家のジェームズ・アレンという人は言いました。「人はその人が考えている通りの人間になる」と。私たち人間の人格や性格は、自分が毎日繰り返し考えているものによって形づくられていく面が確かにあるのではないでしょうか。
ルカの福音書6章45節にもこうあります。 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。
心に留めているものが出るのです。もし、私たちの心が不安や怒り、偽りや高慢、比較や不満でいっぱいならどうなるでしょうか。そこから出てくる言葉や行動も、やはりそのようになってしまうのです。
私は自分が認知症になるのが怖いです。物忘れが怖いのではなく、自分の心のうちにある良くない思い、汚れたものを制御できなくなり、それで人を傷つけることが怖いのです。そのためにも、この8節にあるような良いものに心を留め、心に納め、大切に保管していきたいと思わされます。普段から、心が良いもので満たされるようにしたいですよね。
2.実行される時に与えられる恵み
そのためにどうしたら良いのでしょうか。もちろん、まずは、この交わりにとどまることです。教会に、みことばに、この交わりにとどまること。神様との祈りの交わりを絶えず続けることです。しかし、それだけではありません。これらは実行されることによって、私たちのうちに豊かに実っていくのです。心にある良いものを実行するならば、これらの良いものが私たちの人格となっていくのです。
9節にこうあります。
9節 あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
ここには4つの動作がありますね。「学んだこと」、「受けたこと」、「聞いたこと」、「見たこと」の4つです。パウロは、決して知識だけで伝えたのではなく、心と体、また態度や生活のすべてをもって伝えたのだと分かります。
信仰は「教科書」をお勉強するのではなく、人の生きざま、人生全体を通して語られ、証しされるものだと言えます。私たち自身が誰かに何かを伝えたり教えたりする時も、繕ったことばでは伝わらず、私たちのうちに蓄えられ、結実しているものが伝わっていくのではないでしょうか。ですから、どんな奉仕においても、当日だけでなく、その準備における信仰の姿勢や生活全体がとても大切なのではないでしょうか。見えない部分をこそ、主はご覧になっているのです。
そのようにみことばに示された良きものに生きていく時、平和の神がともにいてくださる恵み、その幸いを私たちは豊かに味わうことができるのです。ただ考えるだけではなく、ただ知るだけでもなく、実行するときに、神の臨在を豊かに経験できるのです。それが私たちの心を励まし、力づけ、その信仰に熱い炎を与えてくれるのです。
主は今日も親しく語っておられます。神がくださったあらゆる良い性質、価値観に心を留めるよう教えられました。悪いもので心を満たさないという消極的な歩みではなく、主がくださる良いもので心をいっぱいにすることに積極的になることです。
そして、心に留めただけでなく、それを実行しましょう。実行することで、ますますこれらは私たちのうちに培われます。その時にこそ、神の臨在を豊かに味わうことができ、心が励まされ、力づけられ、その信仰が熱くされていくのです。