東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ピリピ4章10-13節「あらゆる境遇に対処する秘訣」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2026/03/27

ピリピ4章10-13節「あらゆる境遇に対処する秘訣」

*** 3/25(水)祈祷会 説教概略 ***

 皆さんは、環境や状況の変化に対して強い方でしょうか。それとも、環境や状況の変化が苦手で戸惑ってしまう方でしょうか。私は以前、こうした変化が苦手な方でした。予定と違うことが起こったり、環境が大きく変わったりすると恐れ不安になり、緊張してしまう者でした。しかし、みことばを通して少しずつ変えられてきたのは本当に感謝なことです。



 本日のみことば、12節にこのようにあります。 

12私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 

 「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」とあります。心からこのように言えるなら、なんと安心なことでしょうか。本日は、この秘訣についてみことばから教えられます。

10私を案じてくれるあなたがたの心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって大いに喜んでいます。あなたがたは案じてくれていたのですが、それを示す機会がなかったのです。 

 ピリピ教会のパウロたちへの献金が再開されたことへの感謝を伝えていると思われます。15-16節を少し見ていただけるでしょうか。そこで分かるように、ピリピ教会は、以前から数回に渡ってパウロたちの宣教を支援した教会だったのです。それも非常に熱心な支援です。ところが何らかの理由で、そのような支援がしばらく中断していたのです。しかしながら、それが再開されたことをパウロは大いに喜んでいます。また、彼らを優しくフォローし、気遣いを見せているのがこの10節でしょう。

 ただし、パウロは経済支援自体を喜んだのでもなかったようです。パウロは決して、自分たちが乏しかったから、支援再開を喜んだのではありませんでした。パウロは、ピリピのクリスチャンたちの霊的な祝福を喜んでいると言えます。その証拠が17節です。

17私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。 

 宣教のために献金する、教会の働きを覚えて献金する。それは、お金の使い道として、とても幸いな道ではないでしょうか。失われる富を用いて、いつまでも残る宝のために貢献できるのですから。人の救いのため、本当の幸いのために貢献できる道です。むなしい自分の刹那的な快楽のためではなく、世のため人のため、苦しむ者、悲しむ者のためになるのです。このように神のみこころに沿って歩む時、ここにあるように「あなたがたの霊的な口座に加えられていく実」となると言えるでしょう。それはイエス様のことばに言い換えれば、「天に宝を積む」ということでした。

 ですから、乏しくて支援が欲しくてこの話をしているのではないと分かりますよね。むしろ、パウロは経済的に厳しい時にも、霊的視点では富む者として歩んでいたのであり、それを教えたかったのだと分かるのです。むしろ、経済状況や健康状態にとらわれないで、いつでもイキイキと満たされて歩んで欲しいために、パウロはこれを語り、主もこれらのみことば私たちに与えておられるのです。

 私たちは視点が変わると、生き方が変わります。同じものを見ても否定的に見ることもできれば、感謝の材料とすることもできます。そしてパウロは、あらゆる状況にあっても、感謝と喜びに満ちていられる方法をしっかりと得ることが出来た人物でありました。それゆえ彼は、読者たちに、喜びに満ちて満足する信仰のあり方を教えているのです。私たちもこのような者でありたいのです。11-12節。

11乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。
12私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 

 パウロは言うのです。貧しかろうと、富んでいようと、あるいはその他どんな厳しい状況にあろうと、キリストにある者として、あらゆる境遇に対処する秘訣を知っているのだと。どのような時にも満たされ、喜びに満ちて歩める道を学んだ。そして心得ていると言うのです。

 11節の「満足」ということばにはいくつかの意味が含まれています。第一に、これは状況に左右される満たしではないということです。この世の価値観では、実に多くの場合、環境が良ければ安心できると考えます。高い給与をもらい、良い家に住み、経済的な安定があること。あるいは体も健康で、人間関係も良い人に囲まれていれば・・・と。しかし、クリスチャンの満たしは、状況や環境等、外的な要因によって満たされるのではないのです。では、何によって満たされるのでしょうか。パウロが言うどんな境遇でも満たれる「秘訣」とは何でしょうか。それが次の13節です。

13私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。

 私を強くしてくださる方、つまりキリストによる満たしなのです。環境が整っているから満たされるのではありません。キリストがともにおられるから満たされるのです。

自分自身が強くなることではありません。弱い私であることを率直に認めて、私を強くしてくださる方によって、強められ満たされていくのです。なぜ、この方と結ばれて歩むと安心なのでしょうか。それは、この方には枯渇するということがないからです。燃え尽きることがない方なのです。無限に与え、無限に励まし、無限に支えてくださるお方です。良き恵みで満たしてくださる主に信頼ならば、どのような状況でも満たされ得るのです。

また、11節の「満足」ということばには、「自給自足」という意味で使われることばでした。これは、現在の日本は痛感しているかも知れないことです。日本は輸入にかなり依存している国で、食料も燃料も自給自足とはほど遠いのです。ですから、輸入が難しくなれば、たちまち弱ってしまうのが日本の現実です。その意味では、自給自足ができれば、外からの支援が失われる事態が起こっても、揺るがされないという話になります。また、これはストア派の哲学用語でもありました。当時のストア哲学の理想は、「最も少ないもので満たされる」ことでした。あるもので満足し幸福感を得ることです。パウロはその哲学用語「自給自足」という表現をあえて使い、こう言いたかったのでしょう。

「私はまさに自給自足である。誰からも支援が与えられないとしても、私には主がおられ、あらゆる必要を与えてくださるから大丈夫なのだ」と。

つまり、実際に彼が言っていたのは自給自足と言うよりは「神給神足」ということです。自分は足りなくて良いのです。しかし、私たちには主がおられる。すべての必要を知っておられ、折にかなって与えてくださる方がいらっしゃる。主なる神に求め、神によって与えられることこそ、いかなる状況でも満たされ、充足していける道なのです。
 
 みことばに教えられて参りました。私たちはどうでしょうか。環境が整えば安心し、崩れれば不安になる。そのような歩みを繰り返していないでしょうか。しかし主は語られます。「あなたの満たしは、状況ではなく、わたしのうちにある」と。たとえ状況が変わっても、主とそのみことばは変わらないのです。どんな状況でも主の恵みは十分あります。この恵みをしっかり数えて賛美と感謝にあふれ歩んでいきましょう。

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