*** 10/19(水)祈祷会 説教概略 ***
マタイ9章35-38節「働き手のために祈る」
最近つくづく思わされていることがあります。この新会堂、子どもからお年寄りまでが主の前に安心して集えるようにとのビジョンの中で建てられました。ただ、人に安らぎを与えるのは建物ではないということです。
子どもたちも最初こそボルダリング、バスケット等、遊べるからとのきっかけで来ます。でも、続けて来ている子たちの発言や様子を見ていると、実はそこではないと気づきます。
結局は、彼らを迎え入れ愛する人の存在なのです。
もちろん、ビジョンの中で祈られて建てられた会堂ですから、会堂そのものに人への愛があるので、建物としても大いに用いられています。それでも、人々が続けて集う理由は、建物ではなくそこにある愛と真実な交わりだと感じています。
9:36 また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。
イエス様はまさに群衆の姿を見て深くあわれまれ、羊飼いのいない羊の群れのようだと見られたのです。弱り果てて倒れていたという現実を見たのです。弱り果てるということばは、生々しく訳すならば「生皮が剥がれて」とも訳せます。
羊が狼たちの鋭い牙に襲われ、皮が剥がれ血を流し、傷だらけの姿です。私たちの周囲の人々に目を向ける時に、そのような状態になっている人々がたくさんいるように感じます。少なくともイエス様の目には、当時の人々の姿がそのように見えました。