東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: マタイ16章24-26節「人の心を動かすもの」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2023/11/10

マタイ16章24-26節「人の心を動かすもの」

 *** 11/8(水)祈祷会 説教概略 ***

 サバティカルの恵みについて、祈祷会でも少しお分かちしたいと思っています。
 私自身が興味を持っていたことは、16世紀に起こった「戦国時代における福音宣教」についてでした。実に、戦国時代の日本のクリスチャン人口は推計75万人、人口全体の約5%ほどでした。日本は今でも人口の1%にも満たないと言われますから、数字だけ見ればすごいことです。



 なぜ、協調性を重んじる同じ日本人が、この時代はこんなに多くキリスト信仰を持てたのか。また、もっと不思議なのは、過酷な迫害の中でどうしていのちをささげてでも信仰を守ろうと思えたのかということに関心がありました。おそろしい拷問、迫害でした。多くの殉教者が出ました。そして、島原の乱以降は、250年もの間、一人の宣教師も日本には入れない状況でした。それでも、信仰を継承し続けた人々がいました。もちろん、神父・宣教師がゼロという時代ですから、信仰が土着の宗教と結びついたり、ズレたりしていくという問題もありました。

 それにしても、潜伏キリシタンの生活は本当に不自由で、過酷でおびえる生活です。なぜ、それでも信仰を保とうと思えたのかということです。色々な理由があると思っています。ただ、その中でも私が今回の学びで気づかされた一番のことは、やはり本気で主に従う人々の献身の姿が、日本人を心から感動させたのだと考えています。 そして本当に良いもの、何にも代えられない価値あるものとして人々が受け止めたからでしょう。

 私はカトリック教会についても、日本に初めてキリスト教を伝えたとされるフランシスコ・ザビエルについても、無知であったと反省させられています。「ザビエルさん、ごめんなさい」という気持ちです。彼らがいなければ日本においてこのようなリバイバルはなかったし、今の時代にまで、その影響は少なからずあることを教えられています。

その背景をお話します。そもそも、この時代になぜ、カトリック教会が日本に宣教することになったのでしょうか。それはやはり、1517年の宗教改革があったからです。堕落した当時の教会に反対しプロテスタントが生まれていきましたよね。その際、カトリック教会はどうなったのかご存じでしょうか。残された側のカトリックにおいても、この宗教改革は起きているのです。「対抗宗教改革」と呼ばれます。

ただ、単なる対抗心ではなく、純粋に良い刺激を受けた人々もいました。その中心にいたのが、イグナチウス・デ・ロヨラやザビエルといった人たちでした。特にロヨラは、極貧生活にも関わらず、喜びにあふれる熱心な信仰に歩んでいました。このロヨラと出会い、ザビエルは変わります。特に、このロヨラがいつもザビエルに語っていたみことばがあります。それが今日のみことばです。

26節 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。

 ザビエルもまた、私たちと同じ主のみことばによって召しを受けたのだなと新鮮な思いがしました。これはイエス様のおことばです。この世の栄光は一見良いものに見えます。しかし、それは一時的なものです。やがて消え失せるものです。それらを手にして喜んだとしても、ごく短期間のむなしい喜びです。

 では、ザビエルのことを少しお話ししましょう。彼は実はスペインの名家に生まれた貴族でした。ただ、彼が9歳の時に父親が、23歳の時に母親が亡くなりました。それでも彼は必死に勉強しパリ大学で優秀な成績を収め、教鞭をとるようになりました。これは「高位聖職者」への道で、エリートの出世街道でした。ところが、彼は、ロヨラがみことばに生きる姿とマタイのみことばに心刺され、献身していくのです。

 長崎の平戸にザビエル記念教会があります。そこを訪れた時に、彼のこのみことばによる決心が記念像の説明文として記されていました。「既に約束されていたパリー大学教授の地位と一切の名誉から離れ、同志とともに修道会(イエズス会)を創立し、キリストの教えを伝える一介の伝道者になった」とありました。ザビエルは出世街道のまま、名誉をたくさん抱えて日本に来たのではなかったのです。イエス様の弟子たちが漁師網を捨ててイエス様に従ったように、モーセがエジプトでの地位と宝を後にして主に従ったように、ザビエルも富や名誉を後にして主に従ったのです。それがこの世のどんな富よりも価値のある、いつまでも残る真の宝物だと信じたからです。だからこそ、彼の姿に感動し多くの伝道者が彼についていきました。そして、日本人もまた彼の中に「本物」を見たのです。

 
 さて、このロヨラとザビエルが中心になって「イエズス会」を設立します。マリア会ではなく、イエズス会です。それはキリストに仕え生涯をささげる会です。この「会」と訳されたことばは、通常使う「オルデン」ではなく「コンパーニア」ということばだと言われます。このことばは、軍隊の「中隊」をも意味することばです「キリストのためにいのちをかける兵士」という意識をも持って設立したのではないでしょうか。

 そして、今回書籍なども調べる中で、ザビエルの日本宣教は、彼の希望ではなく、主の導きの中で与えられた使命だったと分かりました。イエズス会は当初、スペイン国王の承認を求めましたが得られず、ポルトガルの承認のもとで動くことになりました。そうすると、宣教地もポルトガルが開拓した航路に限られていきます。それが、アフリカ、インド、東南アジアだったのです。ザビエルにとって、日本は自分で選んだ宣教地ではなく、神の導きの中で与えられた宣教地だったのです。それで、ザビエルはインドを中心に宣教を展開していきます。その後マラッカにて、初めての日本人ヤジロウ(アンジロウ)と出会います。このヤジロウと知り合うことで、ザビエルは日本に宣教すべきだ!と示されるのです。

 では、ヤジロウとはどういう人物でしょうか?
 
 彼はなんと殺人犯でした。何らかの事情で殺人を犯し逃げてきたのでした。

 ヤジロウはマラッカでキリスト教を学び洗礼を希望するものの、教区の祭司からは許可が出ませんでした(見知らぬ日本人、しかも殺人犯だったということが関係しているかもしれません)。

 ただし、ザビエルと出会うことで彼の人生は変わります。
 彼はやがて聖書学院で学び、洗礼を授けられていきます。ザビエルによると、彼はとても賢く熱心で、よく祈る人物でした。また、慎重で、注意深くザビエルを観察し、多くの質問をしました。半年ほどかけて、ザビエルのことばと行いが一致しているのかを見極めようとしていたと言います。ザビエルは、日本人の多くがこのヤジロウのような人であるなら、ぜひ宣教すべきだと示されました。この出会いがなければザビエルの日本宣教はなかったでしょう。サマリアの女に語りかけたイエス様の姿を思い出します。一人の罪深い女との出会いが、その町にリバイバルを引き起こしました。ヤジロウはこの世的に見れば、逃亡中の犯罪者ですよね

 しかし、ザビエルは彼の中に良きものを見つけ、彼の助けを得て日本へと導かれていくのです。ザビエルが、上辺で人を見ず、そのうちにあるものを見たということではないでしょうか。 

 ザビエルはその後、鹿児島、平戸、山口、京都、大分等に行き、各地で宣教のために労します。京都へは天皇に謁見するためでした。ザビエルが天皇や大名たちへの謁見を大事にした理由は、政治的な視点でとらえられがちです。

 しかし、私はただただ宣教のためであったと理解するに至りました。

 なぜなら、彼はインド宣教で大きな失敗しているからです。少し前にインドで多くの人が信者になりました(ちなみに、三位一体論などを中心に伝えている)ところが、国王が少しばかり迫害をすると、多くの信者が離れてしまったのです。ザビエルはその失敗から様々なことを学びました。腰を据えて本格的に宣教するためには、国のトップ、偉い人に許可を取り付ける必要があることもそこで学んだのでしょう。それで首をはねられる危険をかえりみず、天皇や大名たちに進んで会いに行きました。

 日本に船で来るだけでもいのちがけです。見知らぬ国、しかも覇権を争い荒れに荒れている戦国時代の日本で、宣教の許可をとりつけに頭を下げてお願いする。それは、本当に大変なことでした。

 しかし、自分のいのちを守ることばかり考え、それを得ようとするならかえって失います。
26節 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。 

 ザビエルは失われることのない、まことのいのちを信じて、日本の救いのために献身したのです。

 日本ではかなり強い迫害にまで発展しますよね。なぜでしょう?

 キリスト者が迫害されても信仰を捨てなかったからです。まことのいのちを信じて、信者も増え続けたからです。ザビエルの働きの実りです。

 キリシタン大名も、自国の信者たちをいのちがけで大事にした姿があります。まことのいのちを信じたからです。ザビエルはその後、中国に渡ろうとしている中で天に召されます。中国行きも日本宣教のヒントを得るためであったと考えられています。




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