東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 第一ヨハネ2章7-11節「初めからあったみ教え」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2023/05/30

第一ヨハネ2章7-11節「初めからあったみ教え」

*** 5/28(日)ペンテコステ主日礼拝 説教概略 ***

第一ヨハネ27-11節「初めからあったみ教え」

 本日は「ペンテコステ」です。イエス様を信じるすべてのクリスチャンに、キリストの御霊(聖霊)が与えられた記念です。イエス様は復活後40日間、弟子とともに過ごした後、天に昇られました。そして、その代わりに、ご自身の御霊を遣わしてくださいました

 この御霊はすべてのキリスト者のうちに住まわれるお方です。クリスチャンの信仰生活の力の源、聖霊なしの信仰生活は、人間的な力によるので疲れてしまいます。ですから、私たちすべてのクリスチャンは、いつでも御霊の助けをいただきましょう。

 第一コリント2:16では、この御霊の内住を指して「私たちはキリストの心を持っています」とも語られています。御霊がいてくださるので、みことばの真理を深く味わう者とされました。御霊によって神様のお心がわかる者とされました。勇気と知恵を与えられました。語るべきことばも・・・です。

 さらに御霊は私たちに多くの人格的な実りをもたらし、キリストの姿へと近づけてくださいます。その実りはガラテヤ書5章で列挙されています。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制。9つあります。

 その最初の実として語られているのが「愛」でした。今日は特に、御霊の実として与えられる「愛」がテーマとなっています。常に教えられ、いつまでも教えられ続けるべき神の命令は「神と人とを愛すること」ですね。

 ただし、「御霊の実」として語られているということは、人が生まれながらに持っている資質ではないということです。本物の愛は、生まれながらに身に着いてはいません。キリストの愛を受け、キリストの御霊によって実らせていただけるものです。ペンテコステの恵みを覚えるこの時に、御霊の実である「愛」について、ともに教えられましょう。

 この手紙の著者ヨハネは、愛するキリスト者である読者にこのように語っています。

7 愛する者たち。私があなたがたに書いているのは、新しい命令ではなく、あなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いているみことばです。 

 語られていることは、決して新しい命令ではないと言います。最後の一文に、「その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いているみことばです」とあります。すでに聞いてきたみことばなのですよね。読者たちが最初期から教えられてきたキリストによる愛の教え。繰り返し語られてきた教えなのです。

 もっと遡るならば、旧約時代から一貫して語られてきたことです。

レビ記の中で「あなたは隣人を自分自身のように愛しなさい」とありました。そして、イエス様はその教えを実際に行われたのです。ユースの皆さんがよく賛美していた「真昼のように」という曲があります。その歌詞にこうあります。「いのちをかけて愛を示された、イエス様と出会い、すべてが変わった」。「いのちをかけて愛を示された」単に愛を説明されたのではなく、ご自分のいのちをもってその愛を現わしてくださったのが、主キリストです。

そして、その愛を実際に受け取ったのが、イエス様の弟子たちです。私たちもそうです。ですから、イエス様は弟子たちにこう言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34と。これを受けて、ヨハネの手紙の時代の読者もこの教えを当然に知っており、救われた時から語られ続けてきたはずです。私たちも何度も聞いています。


 では、なぜ、ヨハネはここで改めて語る必要があったのでしょうか。

9節や11節を見ていただくと、その理由が垣間見えますね。「自分の兄弟を憎んでいる人は闇の中にいる」。そういう人らが教会にいたということです。いや、もしかしたら、多くのクリスチャンがその闇を抱えたままでいたのかも知れません。

私たちも、こうした最も基本的で大切な教えこそ、何度も聞いているからこそ、「そんなことはもう分かっている」と条件の反射のように受け流してしまうのではないでしょうか。「私が求めているのは、もっと新しい斬新な教えなのです」と。イエス様が聞かれたら「何を言っているのか」と問われそうです。この基本的で大切なものを適当に流して、一体どんな新しい教えに聞き従えると言うのでしょうか

「そんなことは分かっている」と応じる人ほど、何もわかっていないのです。親が心配して注意した時に、「分かってるよ!分かってるってば!」と答えた経験はないでしょうか。よくある光景です。けれども、本当にそこにある親の思い、親の愛を分かっているのでしょうか。私たちも主に答えるかも知れません「そんなことは、もうわかっています。何度も聞かされていますから!」と。

でも、何度も語られているのは、大事でありながら私たちが一番避けているところ、見失っているところだからです。そこにある主のみ思いを、私たちは受け取っているのでしょうか?

先日、ある姉妹が分かち合ってくれました。その方のお子さんが、思うようにいかないことがあってイライラし、不安定になっていたそうです。親としては心配で「どうしたらいいでしょうか」と神様に祈っていたのです。すると、神様からはっきりと示されたと言います。それは、「あなたの夫を愛しなさい」ということでした。「子どものために何ができるでしょう?」と祈ったのに、神様から示されたことは「夫を愛しなさい」でした。「そうなのですね」と、彼女はその通りになさったそうです。

ご主人と向き合い、ご主人と一緒にお子さんと対話をしました。やがて、お子さんに笑顔が戻ってきたと話してくださいました。聞いていてとても教えられ、励まされました。初歩的だけれども、とても大切なその愛の教えにまっすぐに従ったのです。

「夫婦が愛し合うこと」も何も新しい教えではないですよね。聖書が繰り返し語っていることです。しばしば、家族の関係改善のために、「あっと驚くような新しい攻略法、特効薬はないですか?」と求めるかも知れません。しかし、初めからあったずっと教えられている愛のみ教えこそ、最高の解決策です。ご主人に限らず、あなたが愛せていない隣人。まずはその人を愛することからですよね。自身の力では難しいでしょう。主に祈り求め、主がくださる御霊によって愛の実を結ぶのです。

実は、この手紙の読者については、エペソの教会の兄姉たちであると考えられています。当時のエペソの教会については、黙示録でこうあります。

黙示録2をお開きください。1-3節を見ると彼らのそれまでの労苦と忍耐が十分に認め、ねぎらわれています。しかし続く4節でこう語られているのです。「けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」 

忠実な愛にあふれる熱心な時代があった。けれども、教会が様々な迫害や困難からひと段落していくと、徐々にこの世に流され、偽りの教えに惑わされ、「初めの愛」から離れてしまったのです。人を愛する燃えるような信仰を徐々に失って行きました。厳しい時代を通った初代の信仰者たちは熱心でした。燃えていました。しかし彼らは天に召され、二代目、三代目が中心になっていきました。そういう時こそ内部において問題が起こりやすいものです。

教会が堕落するのは、貧しい時代や迫害のある時代ではありません。むしろ、穏やかな安穏とした日々においてこそ、信仰が堕落しやすく、愛が失われる危険があります。

13世紀ヨーロッパでのことです。教皇イノセント2世はトマス・アキナスに言いました。「トマスよ、教会が『金銀は私にはない』と言う時代はもう終わったな」と。当時、教会は政治権力と癒着し、大変な財産を持つようになっていました。これに対して、トマス・アキナスは皮肉を込めて言いました。「はい、そうでございます。しかし、教会は『イエスの名によって歩け』と言うこともできなくなりました。」と。

わかるでしょうか。使徒の働き3章を背景にしたやり取りです。

物乞いをしていた足の不自由な人にペテロが言いました。「金銀は私にはないが、私にあるものをあげよう。」それは「キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」という信仰のことばでした。たちまち彼は癒され、喜び踊りながら主を賛美したのです!!

エペソの教会も一時の苦難を潜り抜けると、偽りの教えや世の価値観に流され、初めの愛から離れてしまったのでしょう。


 今日のみことばに戻ります。ヨハネは初めからあった主のみ教えを意識させています。すでに聞いてきた教えだけれども、
8節では、「新しい命令としてもう一度あなたがたに書いている」と言います。ここで使われている「新しい(カイノス)」ということばは、質が新しいという意味のことばです。新しく出て来た教えではなく、前からあるけれども、決して古びたり、風化したりしないもの。この愛のみ教えはいつでも新しく、新鮮で、人々に感動と喜び、平安をもたらすのです。時代が変わっても、世界が変わってもです。

 むしろ、この愛のすばらしさを見失っているキリスト者こそ、古い肉に生きる自分へと逆戻りしているのです。救われた頃の原点、純粋な輝きを失ってはいないでしょうか。神様のみ教えがアップデートされる必要があるのではありません。

 主の愛に立ち返ることで、新たにされるべきなのは私たちの方なのです。私たちこそが、みことばと御霊の導きによって新しくされる必要があります。

 まっすぐにみことばに向き合いましょう。「わかっています」と流さず、丁寧に御声に聞いていきましょう。10 自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人のうちにはつまずきがありません。まず、ここから始めましょう。光の中に歩むなら、つまずきは消え去ります。あなたの愛すべき人は誰ですか。





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