東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 詩篇119篇65-72節「神のみおしえに感謝!」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2020/12/28

詩篇119篇65-72節「神のみおしえに感謝!」

*** 12/27(日)年末感謝礼拝 説教概略 *** 

 先日、中高生のクリスマス会の時に連想ゲームがありまして「2020年と言えば?」というお題に「コロナウイルス」と答えた子が一番多かったようでした。本当であれば「東京オリンピック」という答えが一番になってもおかしくなかったのでしょうけれど、人の心に描く計画は思い通りにならないものだと痛感させられた一年でした。


そのような意味でも、この一年まずは皆様、お疲れ様でした。本来であれば皆さんで握手し労い合いたいところですが、握手ではなく気持ちで労い合いたいと思います。オンラインで参加くださる皆さんにも感謝です!

大変な中でしたが、この一年を感謝と賛美で締めくくりたいと思います。本日は一年を振り返りつつ、恵みを数えるようにして神様に感謝をささげて参りたいと思います。


神のみおしえの尊さ

詩篇119篇のみことばに聞いて参りましょう。

この詩篇119篇は非常に特徴のある詩篇となっています。

第一に、聖書中で最も長くなんと176節まであります。1日何章か読んでいく場合、詩篇119篇だけで何章分もあるので「まだ終わらない」という感じがするかも知れません。通読する人には今日の1章はやたら長い!と感じるでしょう。

第二に、段落のまとまりごとに、最初の文字がヘブル語のアルファベット順になっています。日本語で言えば段落の書き出しの文字が「あいうえお順」になっているという感じです。日本語で例を作ってみると、1つ目の段落は「なたの神主を恐れて生きよ」、2つ目の段落は「つでも神のみ教えに心を向けよ」、3つ目の段落は「しろを振り返らず前に進め」・・・ このようにあいうえお順で始まる感じです。分量は多いですが、アルファベット順なので覚えやすいということはあったことでしょう。

第三に、この詩篇119篇全体を味わうと、「神のみおしえを学ぶことがいかに幸いであるか」がテーマになっているという印象を受けます。

最初の1節ではこうあります。
「幸いなことよ 全き道を行く人々 主のみおしえに歩む人々」 
世界の造り主である神様のみおしえに歩む人々は幸せであると始まります。

そして、14節ではこうあります。
「私は、あなたのさとしの道をどんな宝よりも楽しんでいます」 
この世界には美しい宝石、財宝が色々あるでしょう。子どもの頃、色々な色のビー玉やおはじきを持っていましたが、それらを手に取って眺めているだけでも楽しかったのを覚えています。ガラス細工でさえそのようにきれいで私たちの目を楽しませますが、高価な宝石の輝きはそれらとは比べ物になりません。しかし、神のさとしの道は、そうした高価な美しいどんな宝物よりも楽しませてくれる価値あるものなのです!

16節ではその「おきてを喜びとする」ともあります。このような調子で神の「みことば、みおしえ、さとし、おきて、仰せ」等のことばが繰り返され、そこにある恵みの豊かさを楽しみ喜ぶ詩篇であると分かります。

本日開いている65節ではこうあります。 

65節 主よ あなたはみことばのとおりに あなたのしもべに良くしてくださいました。 

 主のみおしえに従って実際に歩んでみた!その結果、みことばのとおりだった。みおしえに歩んだら、良いものをいただいたと65節で告白されています。

この一年を振り返り私も実感しています。「みことばのとおりに良くしていただいた!」この実感の積み重ねをぜひ大切にしていただければと思います。そのためにはすぐに忘れる「しもべ」にならないで、聞いたことを心に留め、期待しながら実行する「しもべ」となりましょう。「この方に信頼する者は失望させられることがない」とのみことばは真実です!その実体験が私たちの信仰を強くします。66節を御覧ください。

66節 良い判断と知識を私に教えてください。私はあなたの仰せを信じています。

 「良い判断と知識を教えてください」との祈りは今年どれだけ祈っただろうかと思い起こします。数えきれないほど神様に祈りました。今年のコロナウイルスのことは未知の領域のことでした。非常に頭を悩ませ続けました。常に教会でこれはできるのか、どこまでして大丈夫なのか、ここは止めるべきか・・・いつも考えていました。まさに良い判断と良い知識を受けなければできない状況を経験しました。

ですから、今まで以上に神様に判断力や良い方法や知恵を祈り求めてきました。

 そして、それを振り返るとき「恵まれたなぁ」と感じるのです。

 今まででしたら、例年やってきたことは、当たり前のように今年もやることが前提になってしまいます。ですから「やるか、やらないか」から、こんなに丁寧に祈り求めることをしなかったわけです。

でも当たり前が通用しない状況の中でこそ、神様に良い判断を教えてくださいと改めて祈らされたのです。礼拝堂で礼拝をするかどうか、そんなことそもそも悩んだことがなかったのです。インターネットで礼拝を配信することも考えたこともありませんでした。当たり前と思っていると私たちは神様に尋ねることすらしなくなります。慣れから来る「怠慢」と言ってもいいかも知れません。

しかし本来ならば、去年やったから今年もやるということではなく、去年はやったけれども今年どうするかは「神様と相談しましょう」と、いつでも丁寧に神様のみこころを求めていく者でありたいのです。今年はそのような苦労をたくさんさせていただきました。考えないでやってきた事を改めて考えさせられ、祈らないでやっていたことを今年は丁寧に祈らされた。しかしそれはむしろ良いこと。

固定観念に縛られている私たちが、一度リセットして神様のみこころを求め直す機会でした。初心に帰る、信仰の原点に帰るということでした。そういう意味では恵み深いことだったのではないでしょうか? 

今までは自分の経験と知恵で決断してきた部分を、今年は神様に丁寧に相談させていただいたのです。そして、それゆえに、新しい発見、新しい恵みも増し加わったのではないでしょうか。


苦しみを通して神に導かれる

では、続けて67節、71節を味わいましょう。 

67節 苦しみにあう前には私は迷い出ていました。しかし今はあなたのみことばを守ります。  

71節 苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。 

どちらも同じ主題を語っています。
西洋の諺に「人の窮地は、神の機会」というものがあるそうです。聖書から来ていることばでしょう。私たちがピンチの時こそ、神様が働かれる絶好の機会でもあるということです。

また、ダニエル・ウォーレスという人はこんな風に言っています。「聖霊は、我々の苦しみを取り除くことによってではなく、苦しみを通して、我々を今日、神へと導く」と。

 コロナ問題がなければもっと楽でした。そこまで苦労しないで済んだでしょう。でも、聖霊は苦しみを取り除く方法ではなく、苦しみを通して私たちを神様へと導かれると知る時、神様のなさることに無意味なことはない、主をさらに知る者となれるための神のご計画なのだと知るのです。

 以前、賛美デボーションのテープを聞いていた時(まだテープが使われていた時)、その賛美の間に証しやメッセージがあったのです。その中である牧師の奥様がガンの病を診断され、目の前が真っ暗になったとのお話でした。しかし、本当にその苦しい時に今までにないぐらい、夫婦でむさぼるように聖書を読んだそうです。平穏無事でうまくいっている時に、むさぼるように深い求めをもって読み味わうことは意外に難しいことです。読むことはできますが、むさぼるように深く味わえない。本当に苦しく求めている時、飢え渇いている時には、みことばが染みわたります。頑固でわからずやな私たちですから、時に私たちを砕いて、謙虚にさせ、神のみことばが五臓六腑に染みわたるように主がしてくださるのです。

70節にはこうあります。 

70節 彼らの心は脂肪のように鈍感です。しかし私はあなたのみおしえを喜んでいます。 

 すごい表現ですね。神様の教えに対しては敏感に察知できる心を持っていたいと思います。みことばや恵みをキャッチする敏感な心を主に造っていただきましょう。

72節にもこうあります。

72節 あなたの御口のみおしえは私にとって幾千もの金銀にまさります。

 この困難な時代だからこそ、私たちは神のみおしえの価値を再発見するのではないでしょうか?

 ご一緒に主の御声に聞いて参りました。神様はこの一年の最後の礼拝において語っておられます。「わたしの教えに生きれば大丈夫だ。あなたは幸せになる。だから、神のみおしえをどんな宝よりも価値あるものとせよ。それを喜び楽しみとせよ」と。

脂肪で覆われた心になって、何も考えないでぼ~っとやっていれば確かに楽だったことでしょう。でもそうして肥え太った心は、気づかないうちに私たちを神様の愛から引き離します。神様の恵みに気づけない心となってしまいます。神様は肥え太って滅びる前に、私たちに気づきを与え、恵みと祝福の道に召してくださるのです。

「いつも通り」という考えから神様は一度引き離して下さいました隣人を愛するとはどういうことなのか?神様のみこころは何なのか?本当に問われ丁寧に主に祈り求めました。

 まだ分からないことだらけです。何が正しいのか分かりません。


 でも、神様がご存知です。


 神様の御声に信頼して歩めることはなんと幸いでしょう。感謝します。








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