*** 9/3(水)祈祷会 説教概略 ***
エステル記は、ユダヤ人存亡の危機における神の救いを語るシリアスな内容です。それにも関わらず、本日の場面はつい笑ってしまう部分もあります。それは、ハマンが神の手の上で踊らされているように見えるからです。
前回、引用した詩篇55篇22節を改めて読みたいと思います。
詩篇 55篇22節 あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して正しい者が揺るがされるようにはなさらない。
私たちは難しく考えすぎます。複雑にしてしまうのです。しかし、「主は決して正しい者が揺るがされるようにはなさらない」とおっしゃるのです。
ならば、ただ、神のみこころを求めて、正しく歩めばいいのです。安心して主に重荷をゆだねていればいいのです。主がその者を支え、正しいことをなさるからです。モルデカイは神のみこころを求めて、正しく歩みました。頑固なほどに。脅されてもハマンをあがめず、しかし、異国の王の危機においては、誠実な対応で命を救い、それでいて褒美も求めませんでした。このような主の目に正しい者が、揺るがされるようには決してなさらないと、みことばは語るのです。
栄誉を誰に与えるのか、それについて王は触れていません。しかし、ハマンの自惚れはすごく、王が栄誉を与えたいと思う者は「私以外にいない」と考えたのです。愚かです。ただ、彼のこの思い込みの激しい傲慢さを主はよくご存知で、それも用いています。それでハマンは、7-9節のところで自分が望むままを言っています。非常に面白いのですが、もし王様が「ハマンよ、お前に栄誉を与えたいのだが、何が良いか」と尋ねたなら、ハマンはこのような要求は出来なかったでしょう。欲張りで不遜な人間だと思われてしまうので。しかし、与える相手が明かされていないのをいいことに、彼は法外な願望を出したのです。匿名ゆえに本性が出たのです。
9節 その王服と馬を、貴族である王の首長の一人の手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着せ、その人を馬に乗せて都の広場に導き、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれまわらせてください。」
はっきり言ってこれは、王様と同じぐらいの名誉を与えるという進言です。とんでもない内容をハマンはよくも言ったものです。また、王もあまり細かく自分で考えません。宰相ハマンの言うことはほ何でもその通りにしてきた人です。この性格も神様はよくご存知なのです。そして、いよいよ、正しい者、モルデカイに主の報いが返ってきます。10節です。
10節 すると、王はハマンに言った。「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところに座っているユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい。あなたの言ったことを一つも怠ってはならない。」
ハマンはこれを聞いた瞬間に、気を失うぐらい衝撃を受けたことでしょう。自分の耳を疑ったでしょう。王が栄誉を与えたい人物は、王のいのちの恩人モルデカイだったのです。そして王の命令はこの国では絶対です。ハマンは気が狂いそうな思いでこの命令に従ったことでしょう。
11節 ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて都の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫んだ。
内容はシリアスなのですが、これらのやり取りは笑い話のようです。ハマンはユダヤ人とモルデカイを殺したかったのです。一方、王はその逆にユダヤ人モルデカイに非常に大きな栄誉を与えるかたちにしたのです。しかも、その提案をしたのが、結果的にハマン本人なのですから、どうにもなりません。さらに10節では「あなたの言ったことを一つも怠ってはならない」とも命じられています。自分の発言が自分に返ってきたのです。私たちは自分の語ることばは、自由に出せます。しかし、そこに責任があります。安易にウソをついたり、無責任なことを言ったりしないようにしたいものです。それは自分に返って来るからです。
同じく10節で、王は明確に「ユダヤ人モルデカイ」とも言いました。王はモルデカイがユダヤ人であることをはっきり認識しているのです。そして、そのユダヤ人を王と同等の立場ある者にしてしまったのは、ユダヤ人を殺したかったハマンの発言です。なんという主のみわざでしょうか。名前さえ出て来ない主の臨在がここにあり、その主の御手が確かに働いているのです。
ですから、私たちは「ハマンの自業自得だ」と考えて終わりにはしません。自業自得になるように導いているのは世界を造られた神様なのですから。これは神のみわざなのです!
すべてのタイミングを主は支配されています。過去に語られたことば、それぞれの性格、また国の制度や習わし・・・それらすべてを完璧に知り抜く主が、圧倒的なご計画をもって導かれたのです。この国でも真の王は神様ご自身なのです。
こうして、エステルの命がけの訴えの前に、主が背後で働かれ、既に勝敗は決したも同然でした。12節を見ると、荒布を着て嘆いていたモルデカイは、王の門の仕事に復帰しています。一方で、ハマンは嘆き悲しみ頭を覆いながら、家に帰るしかありませんでした。彼が頼れる場所は、あの自慢話を聞いてくれる妻と友人たちでした。しかし、13節にこうあります。
13節 ハマンは自分の身に起こったことの一部始終を、妻ゼレシュと彼のすべての友人たちに話した。すると、知恵のある者たちと妻ゼレシュは彼に言った。「あなたはモルデカイに敗れかけていますが、このモルデカイがユダヤ民族の一人であるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。必ずやあなたは敗れるでしょう。」
事実上の敗北宣言を、いつも自慢話を聞かせていた人々から聞かされることになったのです。なんという皮肉でしょう。財力や権力のみで結びついた人々の対応は、このようなものでしょう。いざという時には慰めのことば一つもくれず、「あなたの負けだ」と突き放すのです。
しばしば私たちも、人の罪深さによって不当な扱いを受け、傷つけられることがあります。正しい道を歩んでいても起こります。それに対して、私たちも怒り、悲しくなり、あるいは反撃したくなることがあるでしょう。しかし、私たちがいつでもすべきことは、主のみこころに生きることです。神の復讐や報いが目的ではありません。主のみこころが正しい良いものだから従うのです。正しい者が正しい報いを受けられる神の国の建て上げのために。かつては、闇の中、罪の中に生きて来た私たちです。しかし、主はそのような罪深い私たちを愛し、喜んで十字架に死なれました。十字架の死ほど不条理な死はないでしょう。しかし、そうして主が私たちを愛し、良いもので私たちを満たしてくださったのです。ですから、小さな私たちですが、神の国のために何かをしていきたいのです。 そして主は、そのような者が決して揺るがさないように、お支えくださいます。重荷をゆだねましょう。引用元聖書
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