東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ローマ書8章18-25節「待ち望まれている神の子どもたち」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2024/06/20

ローマ書8章18-25節「待ち望まれている神の子どもたち」

*** 6/19(水)祈祷会 説教概略 ***

 昨年秋から、我が家ではフクロモモンガを飼育しています。皆さんの中にも、ペットを飼っている方がいらっしゃることでしょう。あるいはお花を育てている方、野菜などを育てている方もいらっしゃいますよね。でも、当然ながら逆はありません。動物に人が飼われているということはないですよね(映画の中ぐらいです・・『猿の惑星』?)。また、動物たちが他の動物を檻に入れて動物園を作ったり、植物園を作ったりもしません。植物が動物を飼うなんてこともあり得ないことです。



 ですから、よく考えてみると、人間だけが世界の被造物を養ったり、育てたりできるわけなのです。それは、世界を治めている神様から人にゆだねられた一つの使命であることが、みことばから分かります。世界を治める神の御力をいただいているので、人間だけがその立場になりえるのです。実に、今日のみことばでは、私たちの回復こそが、世界の回復の初穂なのだと学びます。

 

 18節からみことばに聞いて参りましょう。 
18節 今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。 

 今通らされている苦難が「取るに足りない」と思える人はほとんどいないでしょう。しかし、これはやがて私たちに啓示される栄光に比べた場合の話です。つまり、私たちが受ける栄光が圧倒的に素晴らしいゆえに、苦難さえも小さなものと見なせるということです。苦難は苦難では決して終わらず、苦しんだ分だけ輝く栄光が待っている。それが神の摂理です。

 そして、これらは私たち人間だけの話ではないことが語られています。

19節 被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。

 ここでの「被造物」とは、人間以外のすべての被造物のことです。それらは、あることを切実な思いで待ち望んでいるのです。何を待ち望んでいるのでしょうか。神の子どもたちの出現です。つまり、クリスチャンである神の子どもたちがこの世界中に満ちることを、自然界も全宇宙も切実なる思いで待ち望んでいるということです。皆さんは、世界全体から待ち望まれてきた存在なのです。

 そう思うと、なんだかとても光栄ですよね。でも、それは事実なのです。虚無に従わせられてしまっている被造物が、そこから解放されるからです。新しい創造に向かうからです。その希望が、神の子たちが世界に満ちることにかかっているというのです。

20節にこうあります。 

20節 被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。 

 神様によって造られたすべての物は祝福に満ちていました。栄光に満ちていました。しかし、世界を治めるようにと任された人間が、堕落したので、被造物すべてにも罪の影響が入り、全体として本来の栄光を失ったのです。神のさばきとして虚無に服するかたちになったのです。

 実際、神様はアダムが罪を犯したすぐ後に言われました。

 創世記317節ですが、「大地は、あなたのゆえにのろわれる」と。

 それは人間以外の被造物にとっては、とても不本意なことでした。管理者である人間の罪のゆえに、巻き込まれたのだからです。人の「罪」というのは自分だけで終わらないのですよね。その罪深さは周りの人も、周りの被造物すべてをも傷つけていくのです。

 ですから、神様から罪を気づかせていただいた者たちは、率先して神の前に悔い改めていくことが必要ですよね。それが世界を救うのですから。救いの望みは「ある」とはっきり語られています。神のさばきである以上、そのさばきへの勝利がもたらされれば、新しい創造による回復の道があるのです。

 21節でこうある通りです。

21節 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。 

 なんと、私たち神の子どもたちが滅びから解放されるならば、それに伴って被造物も一緒に滅びから解放されるのです。人間が救いの栄光を受けるなら、すべての造られたものも、一緒に栄光を受けるようになると言うのです。

 人から「罪」が入りましたが、「救い」も人から全世界、全宇宙に及んでいくのです。

 聖書によれば、その完成は終わりの時です。全世界に福音が宣べ伝えられ、多くの者が神の子どもとされ、それから世の終わりが来ます。栄光を受ける時です。だからこそ、世界の癒しと回復のためにも、私たちは福音を世界に伝えていく責任があると言えます。
 なぜ、人はそんなにもすばらしい立場をいただいているのでしょうか。それは、神が人をご自分の子として愛しておられるからです。創世記にあるように、「神のかたち」に似せて、神にかたどって人を造ったからです。世界を治める神の性質を、人は神様からそのまま受け継いだのです。だから、人が悪くなれば世界も悪くなり、人が良くなれば世界にも良い影響をもたらすのです。実際、そうですよね?

 あらゆる環境破壊は人が望んだ結果です。逆に、私たちがこの世界を愛し、大切にするなら、世界は良い方向へと変わることもあるのです。22節を読むとそのことがよりはっきりします。 

22節 私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。 

 人の影響をそのまま受けているから、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしているのです。だからこそ、すべての人が神に立ち返り、神の子どもとしての本来の生き方を取り戻す必要があるのですよね。人間だけではなく、この世界の回復のためにも、人の救いがカギとなっていると分かりますよね。

 ですから、23節にあるように、人間は「御霊の初穂」なのです。

23節 それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。

人が、この世界のすべての被造物のための「初穂」なのです。私たちが変われば、世界が変わります。そのために、主は福音を世界に伝えるよう命じておられます。キリストの十字架の贖いによって、私たちが神のもとに買い戻されたように。この世界全体も神に買い戻される必要があるのです。今、目に見えているものがすべてではありません。まだ見ていないけれども、すばらしい神の国の完成が近づいています。その時が早く来るように祈り、世界に福音が伝えられるよう努めるのが私たちです。24-25節にこうあります。

24節 私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。25節 私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。 

 25節の最後に「忍耐して待ち望みます」とあります。人がすぐに救われるなら忍耐は不要でしょう。でも、罪の根は深く人の救いは簡単ではないですよね。罪の影響はすべての人間とあらゆる被造物に及んでいます。それらが私たちを苦しめてもいるのです。良かったはずのものが、のろわれ私たちに牙をむきます。ですから、本当に愛と忍耐が必要です。救われた人々を教え導くにしても、古い肉の性質がこびりついているゆえに、愛と忍耐が必要です。ですから、愛せない時にも、忍耐して主が愛を下さるよう祈り求めるのです。

 けれども、必ず神の救いの完成はなります!それは確定しているのです。神の国が完成します。これは予定ではなく、確定した未来です。反故にされることのない救いの完成の望みが、私たちに今日も力を与えてくれるのです。確定している未来。それを主にあって望みを持って、忍耐深く続けましょう。


引用元聖書
<聖書 新改訳2017
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