東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 伝道者の書9章7-10節「楽しもう!神の恵み!」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2024/07/30

伝道者の書9章7-10節「楽しもう!神の恵み!」

*** 7/28(日)主日礼拝 説教概略 ***

 「人生の四季」という本を書いたポール・トゥルニエという人がいます。スイスの精神科医であり、クリスチャンでした。彼は、スイスの教会を見た時に「クリスチャンたちがとても暗い」と嘆いていたそうです。それは、教えを守ることに必死になり、戒律主義的な歩みに陥っていたからです。みことばを守ることは正しいことですし、罪を犯すべきではありません。しかし、神の恵みを楽しんで生きることもまた、神のみこころであることを見失ってはなりません。


 「神の子ども」となったクリスチャンこそ、父が造られたこの世界を真に楽しめる者なのですから!それを味合わないとしたら、いったい誰が、真の楽しみを発見できるのでしょうか。クリスチャンライフは、喜びに満ちたエキサイティングライフです!
 イエス様とともに歩む道は、苦難もあるけれども、それ以上に喜びや感動に満ちています!本日は「楽しもう!神の恵み!」というテーマで教えられましょう。

 

1.神はあなたのわざを喜んでおられる

7 さあ、あなたのパンを楽しんで食べ、陽気にあなたのぶどう酒を飲め。神はすでに、あなたのわざを喜んでおられる。 

今までも、与えられている恵みを楽しみ喜ぶことが語られてきました。しかし、ここではさらに、「さあ、〇〇せよ!」とより強く、行動を促していますよね。

 その中で、ひときわ目を引くのは、「神はすでに、あなたのわざを喜んでおられる」ということばです。「あなたのわざ」とは、人間が行っている様々な労働、働き、奉仕、営みでしょう。神様は、それらをすでに喜んでおられるのです。その証拠に、私たちはそのような労働や働きのゆえに、報酬を得ることができているのです神様がそのような仕組みを備えられました

 ですから、第一テモテ5:18には「脱穀をしている牛に口籠(くつこ)をはめてはならない」とありますし、「働く者が報酬を受けるのは当然である」ともあります。働くならば、その報い、報酬を受けられるのです。それを用いて、食べ物や様々な日用品を手に入れることができるでしょう。さらには、気に入った服を買ったり、ディズニーランドで楽しんだり、お気に入りの車を買ったり、生きるためだけでなく、様々な趣味や楽しみを得ることも許されています。いや、むしろ、神様はそれらを楽しんで味わうことを、今日のみことばから奨励してくださっています。

 さらに10節前半にこうあります。10 あなたの手がなし得ると分かったことはすべて、自分の力でそれをせよ。 人間には、各人に一定の力や才能が与えられています神を知る者はそれを、神からのギフトとして「賜物」と表現します。

 誰かにやってもらうのも良いですが、自分でできるということは、すごく嬉しいことですよね。体が不自由だった星野富弘さんが、もし、神様が自分の手をもう一度だけ動かしてくださるのならと、そんな詩を書いています。
何を願うと書いたのでしょうか? 

①お母さんの肩をもんであげたい 
②自分の手でご飯を食べたい 
③逆立ちをしたい 

 正解は①番です。

 富弘さんのこの願いは地上ではかないませんでした。
 したくても、できない人もいらっしゃるのです。

 ならば、できる人は、自分の力でそれをするよう与えられているのです。
 私たちは、自分に与えられた能力、賜物を用いて、この世界のために働き、役に立つことができる。役に立てるというのは嬉しいことです!

 以前、朝の祈祷会に、幼いお子さんが親と一緒に参加するケースがありました。その際には、その子たちに献金袋を回すお手伝いをしてもらいました。その時の彼らの誇らしげな嬉しそうな笑顔は、見ている者をも幸せにしたものです。献金袋を回す手伝い。いったい何が楽しいのでしょうか。袋を持って歩くだけなら、あまり楽しくないでしょう。
 やはり誰かの役に立てたことが嬉しかったのではないでしょうか。
 自分の力で何かができる・・・しかも誰かのために。幸いなことです。断られたらできないのですから。健康を失えばできないのですから。自分の力で今「働ける」ということは、神様からの恵みであり、分かち合うためにあなたに力が与えられているのです。神はすでに、あなたのわざを喜んでおられる!

 

2.主にある恵みを楽しもう  

 しかしながら、最初に少し触れましたように、しばしばクリスチャンは律法的になり、教えを守ることに終始してしまいます。その結果、与えられている恩恵を楽しめず、暗い顔になってしまいます。続く8節は、まさに、そのようなクリスチャンに必要なみことばです。

8 いつもあなたは白い衣を着よ。頭には油を絶やしてはならない。

 この8節は、簡単に言うと、「いつも喜びをもって、楽しく元気に過ごしなさい」ということです。よれよれの服装で、疲れ果てたような歩みではありません。きれいな白い衣は、祝いごとや祭事で着用され、お祝いや喜びの象徴でした。

 そして、頭につける香油も、喜びや楽しさの象徴です。特に、香りの高い油は、聖霊の象徴でもあります。聖霊に満たされていく時に、私たちは力をいただき、本当の楽しさ、本当の喜びを体験していくことができるのです。ここでは、その油を「絶やしてはならない」とあります。油が切れて、意欲のない、張りのない、死んだような生活にならないようにと。絶えず、主にあって力を受け、喜びにあふれて歩めと言うのです。

 もうお忘れかもしれませんが、今年の新年礼拝では、ハバクク書317-19節より「主にあって楽しむ一年」と題してお話しました。改めてその箇所を開いてみましょう。

17 いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木には実りがなく、オリーブの木も実がなく、畑は食物を生み出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。18 しかし、私は主にあって喜び躍り、わが救いの神にあって楽しもう。19 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。指揮者のために。弦楽器に合わせて。  

 思うような結果が出ない困難なことが必ずあります。それでも、私は主にあって喜び躍り、わが救いの神にあって楽しもうという決意表明です。 聖書において喜び、楽しむことは、環境に左右されないものだと教えているのです。

 

3.神の賜物を信仰によって受ける  

 環境に左右されずに喜び楽しむためには、私たちに与えられるすべてのものの背後に、神様がおられると信じることがどうしても必要です。今日のみことばに戻りましょう。7節です。主がくださる食べ物、飲み物を楽しみなさいとあります。パンやぶどう酒はイスラエルの民にとって、最も馴染みのある毎日の恵みでした。それを主にあって楽しみ喜ぶことが、神様のみこころなのです。同様に、9節では、何が起こるかわからないこの人生において、「愛する妻との生活を楽しむがよい」とも教えられています。いつも一緒にいるゆえに、当たり前のようになってしまってはいないでしょうか。その大切な伴侶を、神様からの尊い贈り物であると感謝し、ともに過ごす日々を楽しみなさいと語られています。そして、本当に夫婦がお互いの存在を喜び、愛し合う家庭ならば、子どもたちも幸せになれます。どんな子育て本を学ぶよりも、まず夫婦が愛し合うことです。

そして、10節後半にこのようにあります。「あなたが行こうとしているよみには、わざも道理も知識も知恵もないからだ。」 著者ソロモンは、あえて読者たちに死を意識させて、今の恵みをしっかり味わい、感謝して生きよ!と伝えているのです。ここにある「よみ」ということばは、旧約聖書では広い意味使われることも多く、「すべての人に等しく訪れる死の世界」という意味でしょう。ある修道院の朝礼の挨拶で、いつもこのように告白して始めるそうです。『人間は、死ぬものであることを銘記せよ』と。すごいですね。「今日が最後の日かも知れない」との思いで生きる時、目の前のことをもっと大切にし、深く味わうことができるのではないでしょうか。

もちろん、イエス様を信じる者は永遠のいのちを持っています。いわゆる天の御国、新しい天と新しい地を主は用意しておられます。それは幸せなことです。けれども、聖書はそればかりを書いているでしょうか。むしろ、死後のことは、紙面の割合からしたら、そこまで多くないのです。人が死後の世界に関心を持ちすぎるので、神様はあえて、あまり多くを語りません

それが主のみこころです。天の御国だけではなく、この地上での日々も、神様からのすばらしい恵みなのです。しばしばクリスチャンであっても、苦しい時には、早く天国に行きたい!と、思うことがあるでしょう。現実からの「逃げ」として天国を求めてしまうのです。

神と共に歩まないゆえに、毎日のすばらしい恵みに盲目になっているということかも知れません。プロのミュージシャンを目指して歩んでいた知人がいます。でも、挫折をして、自暴自棄になっていた時にイエス様を信じたのです。その彼が信じてから作詞した曲の歌詞に、このようなものがあります。 Oh Jesus 心にあなたさえいれば ぬくもりに包まれて 目に映るものすべてを愛せるから」 すべてが灰色に見えていた彼が、イエス様と出会って、目に映るすべてのものが輝き愛おしく見えるようになった。主の愛に包まれた時、目に映るすべての景色が変わったのです

私たちクリスチャンは、そのような見方ができる器なのです。もっと胸を張りませんか。日本ではクリスチャン人口1%未満と言われますが、その中に選んでいただいたのは、とても光栄なことです。宝くじに当たるかのような確率。なんと恵まれていることでしょうか

さらに、とても参考になる新約聖書のみことばを開きましょう。

Ⅰテモテ4:3 「しかし、食物は、信仰があり、真理を知っている人々が感謝して受けるように、神が造られたものです。」4:4「神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません」 

 神が造られたすべては良いものなのです!しかし、ただ当たり前のように受けては「わからない」のです。ここにあるように、食べ物にせよ、何にせよ、信仰があり、真理を知っている者が、感謝して受けるよう神が造られたのです。信仰を持って受けないと、その本当の恵みを発見できないように造られているのです!!

ですから、神を信じて、神に感謝して受けるならば、もはや無駄なもの、捨てるべきものなど何もないと気づかされていきます!苦難さえも恵みに見えて来るのですから、なんという力でしょうか! 文句ばかり言っていないで、山も海も、月も星も、食べ物も、音楽も、アートも、主が造られたあらゆる恵みを信仰をもって味わい、楽しみましょう!

神の子から、それを世界に発信しようではありませんか! 


引用元聖書
<聖書 新改訳2017
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