東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: たまには政治の話を

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2024/10/29

たまには政治の話を

衆議院選挙が終わり、政権与党が過半数割れという結果になりました。
久しぶりにこういう光景を見たわけですが、以前よりも、健全なバランスになって良かったのではないかと感じています。民意が反映された実感のある選挙だと言えるかも知れません。(※10/30追記 橋本徹氏がこの結果を受けて「神の見えざる手があるのかと思うくらい最高のバランスの結果だと僕は思っています」と述べています。「神の見えざる手」というのは、アダム・スミスの表現として有名です。自由な経済活動を行うことで、神の「見えざる手」に導かれて、結果的に経済的均衡が生まれるとの意味。)



個人的には特定の支持政党を持たない私です。なぜなら、どの政党も変容するからです。また、賛成できる政策もあれば、明確に反対だなと思われる政策もあり、党で決めるのではなく、その時々の内容や人格を見ていきたいからです。実際に動くのは「人」であるので、リーダーや中心的な人材次第で、その政党全体も大きく変化していくものでもあると考えるからです。

実際、一党独裁の長期政権が一番危険ではないかと考えます。どんなに優れた人々でも、「思い通りにできる」という状態が長く続くほどに「堕落」が生まれます。独裁の怖いところはそこで、ほとんどの場合、この誘惑に抗うことができないのです。(ただし、良き助言者たちに耳を傾けることができるリーダーならば、長期政権もありかなとは思います。)

聖書が語る「人間の堕落」には、「神のようになりたい」という思いがあったことが創世記3章からわかります。神のように責任を取る者になりたいという意味ではなく、神のように「自分の思い通りにしたい」という意味であれば、罪の始まりです。自分(の欲)を神とする姿勢は、神の存在も人々の声をも無視した傲慢な歩みとなります。

J.S.トールキン作の「指輪物語」という小説(映画)は、この欲を「指輪」を巡る者たちの姿によって、鋭く描写している作品です。指輪は他の者を支配する力の象徴です。平和のため、世界を守るためと言いながら、指輪を前にすると(あるいは指輪を手にしていくと)性格も顔つきも変わり、自分の意のままに人々を支配しようとするのです。その誘惑に抗うことがどれほど難しいことなのかをよく描いています。政治の世界は、まさに指輪(権力)を巡る闘争そのものであるでしょう。

しかし、本来はそうであってはなりません。政治は「勝ち負け」ではなく、そこに住む人々を幸せにするために、選ばれた者たちが、異なる意見を持ちながらもよく話し合って、練り上げたより良い政策を、国民に寄り添って実現していくことでしょう。

今回の選挙では、国民が今まで以上に生活に苦しんでいるという現実が、はっきりと結果に表れたようにも思います。それゆえにお金に汚く、不誠実に見える人々が、当選できなかったのではないでしょうか。一方で、最も躍進したと思われる国民民主党は、個人的にはそれほど注目していなかったのですが、本当によく国民の声を聞いて、その訴えに十分に寄り添った政策を一貫して伝えてきたことが、支持されたと思われます。立憲民主党も党首が野田さんに代わってから、風向きが変わったのではないでしょうか。決して派手さはないけれども、実直な人柄・姿勢が評価されたように思います。批判だけの政党には魅力もありませんから、そのあたりの変化も大きいでしょう。

しばしば、政策内容よりも、人気・知名度・同調圧力等が選挙に強く影響しますが、今回は国民の生活における様々な苦闘が以前にも増して厳しくなっており、表面的なことではなく、本当に国民を助けようとしている人々が支持されたようにも感じ、それは良いことではないかと思うのです。知名度よりも人柄であったり、誠実な取り組み、一貫性だったりが重視された選挙であったのではないでしょうか(もちろん、以前に比べればという話です)。

そして、自己中心となり、保身ばかりを考えていると、結局はそれらを失うのだという「戒め」にもなったように思われます。こうした緊張感が人を誘惑から守り、健全な道を歩ませてくれるのでしょう。私たちは誰もが弱い存在です。だからこそ、お互いの声を聞き合うことをやめてはならないと思わされます。

自民党の石破さんも真面目で実直な方だと思います。防災や地方創生などは期待したい。日本保守党から出られた河村たかしさんも、今回、圧勝しました。金メダルをかじった事件ばかりが注目されましたが、名古屋市長時代に給与を低く抑え、退職金も返還し、減税に取り組み、インバウンドを活性化させました。その気さくな人柄も含め、地元の方々からはとても評価されています。れいわの山本さんも、いつも熱意と分かりやすい政策は一定の評価がされています。

「国民が見ている」ということでしょう。

こうした方々が安易な連立によるパワーゲームではなく、しっかりと国民の方を向いて十分な議論をして、幸いな社会を築く道を模索してほしいと思います。

また、そのために私たちも祈る責任があることを忘れないようにしたいのです。

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