*** 4/9(水)祈祷会 説教概略 ***
ローマ書12章から続く「信仰の実践編」も終わろうとしています。
これまで、「互いに愛し合うこと」について、繰り返し語ってきたのです。
そして、この手紙も終盤に差し掛かり、パウロのこれからの歩みについて語られています。そこでも彼は、異邦人とユダヤ人が良い関係を築けるように自分を献げているのです。
こうして「自分の道」ではなく、「神のみこころの道」を歩んだことが祝福に満ちあふれるのに必要なことでした。
22節 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを何度も妨げられてきました。
パウロは、先週学んだようにエルサレムから、イルリコ(現ユーゴ)あたりまで、広範囲に宣教してきました。その後、3か月ほどコリント(ギリシャ地方)に滞在しましたが、その時にこの手紙を著したと考えられます(使徒20:1-3)。
これらの宣教に多くの犠牲をささげてきたので、パウロは「あなたがたのところ=ローマ」に行くことについて、何度も妨げられてきたのです。しかし、この地域での宣教もひと段落ついたようです。23節で「しかし今は、もうこの地方に私が働くべき場所はありません」と語っています。くまなく宣教してきたゆえに、これらの地での役割を終えたと主から示されたのでしょう。
そして、パウロはかねてから願ってきたローマに行き、さらにはイスパニア(スペイン)まで行けたらと望んでいました。特にローマは、当時の社会で最も大きな都市。ローマで宣教するならば、宣教において非常に大きな影響をもたらすはずでした。ですから、ローマに行くことはパウロの彼岸だったのです。
しかし、それにも関わらず、彼は25節でこう語るのです。
25節 しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます。
どういうことでしょうか。
パウロがコリントにいたのなら、ローマまでそこまで遠くありません。それなのに、わざわざ反対方向の、しかもずっと遠いエルサレムに戻るとは、どういうことでしょう。そこまでの犠牲を払って、行きたいはずのローマを断念して、エルサレムに行くのはなぜなのでしょうか。26節に理由があります。
26節 それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。
実は、エルサレムの聖徒たちが、迫害や大飢饉(クラウディウス帝時代)で、経済的にとても困窮している者が多かったのです。その際、マケドニアやアカイアといったギリシャ地方のクリスチャンたちが、このために喜んで援助してくれたのでした。そして、その支援金をパウロはゆだねられていたのです。
非常に困っている時、「ユダヤ人だ!」「異邦人だ!」と言わず、助け合って同じ主を見上げていく道が生まれます。日曜の礼拝説教でも、イスラエルの民が性別や世代を超えて皆で喜べたのは、困難な中で一緒に犠牲を払って助け合ったからであるともお伝えしました。同じように、苦しむユダヤ人たちを異邦人たちが支援することが、良い関係を生むことを期待していたのです。
しかも、当時、ユダヤ人と異邦人の分断は改善されるどころか、より悪化の傾向がありました。ですからパウロは、自分の望みや計画よりも、彼らの必要に応える道を選ぶことにしたのです。それで、あれほど行きたいと願い続けて来たローマへの道は、今回も先送りにすることにしたのです。
しかも、それはもしかしたら、二度とローマに行くチャンスを失う可能性を十分に持った選択でした。なぜなら、この時エルサレムは迫害が増し、政治的にも不安定で危険な状況にあったからです。異邦人に肩入れするパウロがエルサレムをうろつく事は、深刻な危険を伴いました。異邦人の援助を渡すにしても、いのちの危険を顧みず、愛と信仰をもってする必要がありました。実際、エルサレムに近づいた頃には、ある預言者がパウロ逮捕を預言し、仲間たちが「エルサレムに行かないように」とパウロに懇願したほどです。その時のパウロの返答が使徒の働き21章13節にあります。
すると、パウロは答えた。「あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」
なんという献身でしょうか。実際パウロは、逮捕され、ひどい目に遭います。しかし、こうしてパウロは自分の願う道ではなく、主の道を歩みました。その結果、そこでも多くの人々が福音を聞き、さらに最終的にパウロは、自分の望む形ではまるでなかったでしょうけれど、ローマにたどり着くのです。
さて、パウロはこの異邦人からの援助について、それが自発的なものであることを強調しつつも、同時に彼らが誇るべきものではないことも伝えています。
27節 彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります。異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべきです。
彼らは「霊的な恩恵」を受けたのだから、物質的なもので返すのは、むしろ当然の義務でもあると言うのです。パウロの理解では、霊的なものは、むしろ物質的なものより価値が高いのです。この理解は、この世の人からは理解されにくいかも知れませんが、見えない永遠に残るものに価値を置く信仰においては、これは当然のことです。
私も新会堂ができて最初の礼拝で、「会堂も素晴らしいけれども、それ以上に、そのプロセスにおいて神様がなさったみわざこそ、私たちの永遠の宝である」と申し上げました。まさにそういう価値観です。
ですから、例えば、私たちも講師の先生をお迎えした際、霊的に豊かなプレゼントをいただくので、物質的なもので十分に感謝を表すのは当然です。そして、長い目で見ると、いくらかの謝礼よりもずっと多くの恵みをいただいたことになるでしょう。
こうして、パウロはこの支援金をエルサレムに届ける責任を果たしていくのです。28節にこうあります。
28節 それで私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニアに行くことにします。
エルサレムでの危険からすれば、現実的ではない道のりでした。しかし、彼が果たさなければならない責任でした。なお、29節で彼はこのような期待にあふれて語ります。
29節 あなたがたのところに行くときは、キリストの祝福に満ちあふれて行くことになると分かっています。
大胆な言い方ですよね。何の安全も保障されていないのです。それでも「キリストの祝福に満ちあふれて行くことになると分かっています」と彼は信仰によって言いました。この世の保障ではなく、神の守りへの信頼です。
実際はどうだったのでしょう。パウロはこの後、エルサレムで逮捕され2年間獄中生活を強いられます。そこでパウロが上告してローマでの裁判を望んだので、長い船旅で移送されて行くことになるのです。さらに、冬の無謀な船旅で暴風に見舞われ、船は漂流し、難破し、ローマに着くのは出発から半年後です。それでも、パウロは、キリストの祝福に満ちあふれて念願のローマに着いたと告白することでしょう。
ローマでも彼は囚人でしたが、彼の心は自由でした。確かに彼の望む方法ではありませんでしたが、神様の方法によってローマに導かれ、そこでまる二年間、尋ねて来る人々に、少しも妨げられることなく、福音を伝えたのです(使徒28:30-31)。
引用元聖書
<聖書 新改訳2017>
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