東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: エステル記5章9-6章4節「主の御手が確かにある」

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2025/08/27

エステル記5章9-6章4節「主の御手が確かにある」

*** 8/27(水)祈祷会 説教概略 ***

 今日の場面では、宴会の後のハマンと王の様子があります。ユダヤ人の行く末を決する日の決戦前夜、エステルとモルデカイがあずかり知らないところで、何が起こっていたのでしょうか。ある注解書にこうありました。「神の御名はこの書に現れないが、神の御手は至るところに明白に見受けられる」と。主の御手が確かに動き、着々と主の救いが起こっていることが分かります。ハマンとクセルクセス王、それぞれに主が臨んでいます。



1.承認欲求の塊・・・ハマン

 王妃エステルの宴会に、王と自分だけが招かれたことで、宰相ハマンは上機嫌でした。ところが9節にあるように、ハマンは王宮の門でモルデカイを見かけるのです。すると、相変わらずモルデカイだけは、彼が通っても特別な敬意を払おうとしません。それで、ハマンは一気に激しい憤りへと変わってしまうのでした。自分にひれ伏さない人間がいることが、ハマンには我慢ならないのです。それでも彼なりに我慢して帰宅するも、腹の虫が収まりません。そこで10-11節にあるように、友人や妻を集めさせ、自分の自慢話をするのです。

11節 ハマンは自分の輝かしい富について、また子どもが大勢いることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを、すべて彼らに話した。 

 ここからハマンの人物像がよく分かりますよね。モルデカイが自分にひざまずかないイライラを自慢話で発散しているのです。彼の富の多さ、多くの子どもたちがいること、王が自分を重んじて、宰相の地位にまで昇進させたこと。そして、12節では、王妃エステルからも、王と自分だけがその特別な宴会に招かれたこと。これらを皆に自慢げに話して聞かせました。そうやって彼は自分のすごさを認めさせようと必死です。

 「承認欲求の塊」のような人物ですね。
 しかし、私たちにも歪んだ承認欲求が確かにあります。認められ、尊ばれたいのです。それがしばしば、ハマンのように他の人を振り向かせることに囚われます。自分に振り向かない者には攻撃的になり、自分になびく者は極端にかわいがるという問題が起こります。

 さて、この時ここに集められた者たちは、まさにハマンの言うことを何でも聞く「イエスマン」たちでしょう。彼を称え、持ち上げたことでしょう。ただ、だからこそ、唯一ひれ伏さないモルデカイがハマンには余計に腹立たしいのです。13節で彼は、こうまで言っています。

13節 しかし、私が、王の門のところに座っているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これら一切のことも私には何の役にも立たない。」 

 これだけ自慢しておきながら、これらが何の役にも立たない程に、モルデカイが憎いのです。すると、それを聞いた妻ゼレシュや友人たちは、彼にこう言ったのです。

14節 すると、彼の妻ゼレシュと彼の友人たちはみな彼に言った。「高さ五十キュビトの柱を立てさせて、明日の朝、王に話して、モルデカイをそれにかけるようにしなさい。それから、王と一緒に、喜んでその宴会にお出かけなさい。」ハマンはこの進言が気に入ったので、その柱を立てさせた。 

 恐ろしい話です。高さ「五十キュビト」は、22~23mの高さです。かなり高いこの柱にモルデカイをかけて処刑すればいいというのです。おそらく見せしめにする意図があるのでしょう。ユダヤ人虐殺を待たずに、理由をつけて「さっさとモルデカイを殺してしまえ」との意見です。ハマンはその意見が気に入り、早速柱を建てさせます。

 ただ、種明かしをするならば、実にこの柱は、最終的に、ハマン自身がかけられることになるのです。それこそは神の御手によることでした。イエス様は、逮捕される時「剣を取る者は剣で滅びる」とおっしゃいました。神は真実な方ですから、一方的に危害を加える者が幸せになることはないのです。この最悪な計画さえ、主は益とされます。主の御手の中にあるのです


2.眠れぬクセルクセス王

さて、クセルクセス王にも主は働きかけておられました。

1節 その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた。
2節 その中に、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタナとテレシュが、クセルクセス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれているのを見つけた。 

 その夜、王はなぜか眠れずにいました。そこで、年代記を家来に読ませると、そこにモルデカイの功績についての記録があったのです。そこで、王はふとあることに思いが至り、家臣に尋ねています。 

3節 そこで王は尋ねた。「このことで、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイに与えたか。」王に仕える侍従たちは答えた。「彼には何もしていません。」 

 なんと、モルデカイにはまだ何の栄誉も昇進も与えられていなかったのです。この出来事は221-23節にありました。確かにモルデカイが二人の宦官の暗殺計画を阻止し、王にもその事実が告げられていました。223節をよく読むと、王の前で「年代記に記録された」ともあります。それなのに、その時、モルデカイには何の褒美もなかったのです。それは一見すると、王のために貢献したのに報いがない不条理に見えました。王の目の前で年代記に記録されたのに、王は何か別のことを考え、ボーっとしていたのかも知れません。

 ところが、それもまた神のみわざであったのです。この夜まで王が褒美を与えなかったことも、主の綿密なご計画のうちにあったのです。モルデカイのいのちのかかったこの時まで、主はまるで秘密兵器のように王の意識からこの出来事を隠しておられたのです。

 さて、今、気づかされた王は、気になって行動に移します。

4節 王は言った。「庭にだれがいるのか。」ちょうどハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来たところであった。 

 なんというタイミングでしょう。「庭にだれがいるのか」と探すと、そこにハマンが来たのです。タイミングが良すぎます!!ハマンは、モルデカイを柱にかける計画を王に相談しようと「ちょうど」やって来たのです。片やモルデカイを死刑にするために、片やモルデカイに栄誉や昇進を与えるために!!不思議な鉢合わせです。 そして、当然ながら、王のやりたい事が優先されていきます。神の救いのみわざが少しずつ前進していくのです。

3.すべては主の御手のうちにある

 主は確かに生きておられます。悪意に満ちたハマンはすぐにでもモルデカイを殺したくて、早くに王のもとを訪れたのです。しかし、それは、モルデカイに褒美を取らせる動きをする王と同じタイミングで起こりました。ハマンの企みは消え去りました。いや、彼の意志とは裏腹に、かえってモルデカイにアシストをしてしまうのですしかも、エステルもモルデカイも一切関与しないこの夜に、事が大きく動いているのです。

詩篇127:2にこうあります。「あなたがたが早く起き遅く休み労苦の糧を食べたとしてもそれはむなしい。実に主は愛する者に眠りを与えてくださる。

 「眠りを与える」とは、別訳として「眠っている間に必要を与える」という訳の可能性もあり(七十人訳はその訳を採用)、その場合、寝ている間に主が整えてくださるので、結果的に「良い眠りを与えられる」と言えます。いずれの訳の場合でも、主が夜中も働いていてくださるので、安心してゆだねて眠ることができるのだということですよね。私たちもどうなるのか不安で眠れないということがあります。しかし、私たちが寝ている間も主は、この世界のすべてを知り抜き、信じる者の益のために働いておられるのです

 神の御名が記されていなくとも、神の御手があらゆるところにあるのです!ですから、ある時には不公平に見えても、主の最善がなされることを信じましょう。確かに、悪い者が栄えるように見える世の中です。しかし、主は私たちの労苦をご存じです。その思い、その訴え、人知れず涙していることもご存じです。人には見えない尊い働きも!!ですから、たとえ今は主のご計画が見えなかったとしても、背後には必ず主の御手があると信じ、重荷をゆだねましょう。
最後に詩篇5522節をお開きください。 

詩篇 5522節 あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して正しい者が揺るがされるようにはなさらない。

引用元聖書
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

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