東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: イースター:Ⅰコリント15章54-58節「ゆるぎなき勝利」

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2025/04/21

イースター:Ⅰコリント15章54-58節「ゆるぎなき勝利」

*** 4/20(日)イースター主日礼拝 説教概略 ***

 ここ最近、社会全体が本当に不安定であると感じます。気候変動も非常に激しく、目まぐるしく、春から急に夏になる感覚がありますよね。あるいは、最近の株価の変動も激しく、ヤキモキされている方もあるのではないでしょうか。「株価がどう動くかは、誰にもわからない」と、詳しい方ほどおっしゃる。そして、私たちの心も不安定ではないでしょうか。



 それこそ未来のことが分からないので、この選択で良いのか?正しいのか?いつも迷いながら歩んでいるという方も少なくないことでしょう。そのような私たちですから、揺るがされることのない土台を持てるとしたら、どれほど心が安定し、落ち着いて歩めることかと思いませんか。

 特に、明日生きているのかどうか分からないという、「死」の恐怖は、誰も自力で克服することができないものです。しかし、この世界を造られた神様は、聖書を通してゆるぎなき勝利を与えるとおっしゃっているのです。

 そして、このゆるぎなき勝利を得たなら、むなしい労苦に振り回されず、胸を張って良き働きに励んで行けるのだと教えておられるのです。本日は、キリストが死に勝利された復活祭、イースター礼拝です。皆さんにこの勝利をお分かちいたします。

 

1.何に対する勝利なのか  

 世の中には「勝ち組」「負け組」という考え方がありますが、世界の造り主、神様はすべての人が「勝ち組」になれると言われます。なぜ勝てるのでしょうか?本当に勝利すべき相手を神様が教えて下さり、神様が勝利を与えて下さるからです

 では、私たちが本当に勝利すべき相手は誰でしょうか。55-56節をご覧ください。

55節 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」56節 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 

 もうお分かりですね。私たちが勝利すべき最大の敵は「死」です。「死に対して勝利を得よ」と神様はおっしゃるのです。この「死」とは肉体の死だけでなく、神様とのいのちの交わりが失われている「霊的な死」をも含みます。それは永遠の死に直結しています。

 神様はこれらの死に対する勝利を与えるとおっしゃっているのです。ただし、死に勝利するためには、死に至らせる原因を取り除く必要があります!それは何でしょうか?

 ここでは「とげ」と例えられていますが、「罪」のことです。私たちすべての人間には「罪」という名のとげが刺さっており、それは猛毒のとげですから、抜かないままだと死に至るのです。では、聖書が語る罪とは何でしょうか。

 人のルールではなく、神のルールを無視して生きることです。一部の偉い人が自分の都合に合わせて作った人間のルールではなく、全世界共通・公平な神のルールです。それは、造り主なる神様を無視して自己中心に生きること。人を愛さず人を傷つけ、なすべき正しいことを知りながら、それをしないこと。自分自身を傷つけることも罪です。なぜなら、あなた自身、神様が愛を込めて造られた尊い神の作品だからです。

 私たちは終わりの時に、これらすべての行いについて、神の御前に立たされ、神様のジャッジを受けることになります。私はこの話を聞いた時、正直ビビリました。あまりにも恥ずかしくて、恐ろしくて(笑)。だから、完全無罪にしてくださるイエス様という弁護士が必要なのですよね。

 

2.どのような方法で勝利を得るのか  

 57節にこうあります。

57節 しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。 

 ここからはっきり分かることがあります。この勝利は、神様が用意してくださった、御子イエス・キリストによって、与えられるものだということです。さばく神様の方で最高の弁護人を与えてくださったのです。その方法とは、神様がご自分の御子を犠牲にして罪と死への勝利を与えてくださることでした。

 全く罪のないキリストが、私たちの罪の借金を肩代わりしてくださるのです。それが十字架の死でした。罪なき神の子の「身代わりの死」によって、キリストを受け入れるすべての者の罪のとげが取り除かれたのです。
 
 しかし、キリストが私たちに代わって死なれただけなら、罪のさばきは終わりますが、「死」に勝利したことになりませんよね。けれども、キリストは死から三日目によみがえられたのです。罪の結果である死に、完全に勝利されたのです。それがイースターです。

 死を打ち破られたのですから、今も、そしてこれからも、永遠に生きておられる救い主なのです。キリストは言われました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」と。死に勝たれたキリストを受け入れる者は、その永遠のいのちにあずかります。

 改めて54節に目を留めましょう。

54節 そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に吞み込まれた。」

 私たちは罪というとげのゆえに、朽ちるべきもの、死ぬべきものでした。罪と死には決して打ち勝てない者でした。どんな英雄も、どんな権力者もそうです。しかし、信じるなら、キリストにある永遠のいのち、すなわち天の御国の国籍をいただけるのです。つまり、朽ちないもの、死なないものを着る者とされるのです。その時、54節最後にある「死は勝利に吞み込まれた」という、旧約時代からの預言が実現するのです。

 「呑み込まれた」とはすごい表現ですね。私たちが何かを丸呑みするとどうなるでしょう?もう一切、跡形もなく見えなくなりますね。「死に対する完全な勝利」を示しているのです。神様は公平ですから、誰でもいつでも「イエス様、私の心に来てください」と祈り求めるなら、この方はその祈りに聞いて、確かにあなたを神の子とし、永遠のいのちの勝利を与えてくださいます。そして、55節のように、高らかに勝利の宣言をすることができます!

55節 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」

 

3.ゆるぎなき勝利がもたらすもの 


 では、この勝利を得た者は、どのように変えられていくのでしょうか。58節に明示されていますね。 

58節 ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。 

 ここに「堅く立って、動かされることなく」と語られています。これこそ「ゆるぎなき勝利」を得ている者の姿です。死が怖くないというのは、とんでもないことです。不思議な平安があります。

 病が怖いのはその先に死を感じるからです。孤独が怖いのは死が孤独そのものだからです。暗いところが怖いのは、死を感じさせるからです。罪悪感で苦しむのは、死後のさばきを本能的に意識するからです。しかし、神が与えてくださった罪と死への勝利は、もう奪われることがありません。

 看護師をしていた友人が、強そうな大人の男性が、死の恐怖で夜な夜な泣いていたと言っていました。一方で、クリスチャンの方も末期の病で入院していたけれど、本当に穏やかに過ごしているのを見て驚いたと言います。クリスチャンは死への勝利という確信のうちに歩んでいますので、平安があるのです。落ち着いて、神が良いとされる働きに邁進できるのです。「永遠」という価値観をいただくので、いつまでも残るもののために働けるので、労苦が無駄ではないといつも胸を張って歩めるのです!!

ある50代の男性のお話をします。彼は喉の癌(咽頭がん)になり、医師から奥様に末期の告知がされました。奥様はクリスチャンでしたが、ショックで目の前が真っ暗になり、病院の帰り道も記憶がない程でした。子どもたちに涙を見せられず、夜中に外で泣きながら「どうしよう」と考えました。ただ、考えれば考えるほど、ご主人と一緒に死にたいと考えてしまうのです。結局、家に戻り祈り続けました。するとイエス様から『わたしが、力を与える』との声が聞こえたような気がしたそうです。それで彼女は、神様の助けを求めながら、ご主人に真実を伝え、二人の子どもたちと生きて行く覚悟を決めました

ご主人は非常に悩み苦しみ、奥さんが通う教会の牧師の訪問を受け言ったそうです。「先生、私は死の準備がありません。どうか、私を救ってください」。そしてご主人は、イエス・キリストを信じて洗礼を受けました。その後、間もなくして天に召されたのです。ただ、ご主人は長男宛に遺書を書きました。

「お父さんは病に倒れたが、そのことによって、主イエス・キリストを知った。それは、すばらしいことだと思わないか。父親を亡くした君の人生は、平坦ではないが、主イエス・キリストに頼って生きれば、すばらしい人生が与えられる。また天国で会おうぜ」。 

 最後の「また天国で会おうぜ」との一言に本当に大きな希望を感じます。小さな一言ですが、何とも言えない平安と明るささえ感じます。死に勝利している人の言葉です。 

奥様にも遺書を書きました。そこには奥様への心からの感謝と愛が伝えられていました。本当の夫婦愛を教えられた感謝。そして、神様への信仰を与えられた感謝が強く深く伝えられていました。その上で、このように続きます。

「私は愛の中に生き、今、愛の中に死にます。そして、今、主の愛の中に新しく生き、あなたを待ちましょう。ありがとう。再び、心からありがとう。二人の息子を残されて、これからのあなたの人生は、決して平坦ではないことを知って、つらい思いでいますが、道は必ず開けます。二人の息子を信じ、たくましく生きてください。あなたなら、必ずやってゆけます。なによりも、あなたがた3人には、主イエス・キリストの衣があるではありませんか。感謝と励ましと、愛を込めて」。

  最後の「主イエス・キリストの衣」とありました。信じた者は、イエス・キリストという白き義の衣を着て、罪を洗い流されて「無罪です」という神様の判決をいただくのです。そして、もはや死も苦しみも悲しみもない天の御国が待っているのです。

今日の54節にあった「朽ちないものを着る」「死なないものを着る」というイメージとつながります。やがて「朽ちないからだ」をいただいて、天の御国でいつまでも幸いに生きるのです。


引用元聖書
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