東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2019/04/02

創世記(LINEメッセージ・バックナンバー 2017)


以下はLINEメッセージで配信したものの「文字のみ」になります。
実際には改行の頻度が高く(その分句読点がない場合もある)、絵文字なども使われています。以上の理由にて読みづらい仕様となっていますことをご了承ください。


【神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。】創世記1:3    
神さまはすごい!    「光があれ!」と言った瞬間、すばらしい光がうまれる。    
おことば一つであのすばらしい光を創造された神さまが、私たちの天のお父さんなんです。太陽のあたたかな光を感じるとき、神さまの愛を思い出しましょう

 


【神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて・・・」】創世記1:26
 あなたは神さまにかたどって造られた最高けっさく! 偶然、たまたま生まれてきたのではなく、 神の意志で!神に似せて!目的をもって造られた! あなたにしかできない何かが必ずある あなただから素晴らしい! それを忘れないで歩みましょう




【神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさって いたすべての創造のわざを休まれたからである。】創世記2:3
 神さまにはお休みが必要? 疲れ知らずの神さまにはなくていいですね。 じゃ、何のために7日目をお休みに? 私たちは色んなことを理由にしながら、神さまの前に静かにやすらぎ、礼拝することをあとまわしにする。 さいげんなく、働き続け、趣味をやりつづけてしまう。 だから、神さまは聖なるお休みの日を造られた。 私たち人間のため。あなたのため 聖日の礼拝をいつも大切に! 身も心も神さまの前にやすらぎ、整えていただこう

 


【神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。】(創世記2:7
 人は肉体だけではいのちがない。 土でつくられた人間。人の体を構成している成分は、土の中に全部ふくまれているそうだ。 神さまがそこにいのちの息を吹き込んでくれた。 神さまの息吹(いぶき)が、私たちに注がれた! なんだか、うれしくない? 私たちは、神さまがくれたいのちの息で今日も生きている。 いや、生かされていること、忘れないで生きていこう




【神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」】 (創世記2:18
  人はもともと、ひとりで生きていくようには造られていない。 ミルクをちゃんと与えられても、一度も抱っこされず、話しかけられもしなかった赤ちゃんが次々と死んでしまったという中世の出来事を思い出した。 人は人といっしょに、励ましあって生きていく者。 神さまがそう造られたから。 だから、ひとりぼっちの人には自分から声をかけてみよう 友だちや家族に「いてくれてありがとう」と感謝しよう




【そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」】(創世記3:4-5
 これは、サタンのゆうわくのことば。 人は神のようになりたいといつも思う。 人からほめられたい! 人に尊敬されたい! 頭がいいと言われたい! 能力があるねと言われたい! えら~~~~~~くなりたい! そして、サタンにだまされてこれらを求め、疲れ果ててしまう だから、イエスさまを見よう。神さまなのに、これらのひとつも求めなかった。 持っていたのに自分からこれらを捨てて・・・ ののしり、さげすみ、不当なあつかいを自分から引き受けた 私たちはサタンの弟子じゃない。 イエスさまの弟子なんだから



【神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」】(創世記3:9
 「かくれんぼ」という遊び。 いつまでも見つけてもらえず、忘れられてしまったら最高に悲しい・・・ もしかしたら、「かくれんぼ」は見つけてもらえる喜びを知る遊びとも言えるのかも知れない。 私たちは、時々神さまから隠れてしまう。 やましい思い、罪深い思いがあると神さまの顔を見れない感じ そんな私たちに声をかけてくれる。 しかも、どこにいるのかなんて分かっているはずなのに。 「あなたは、どこにいるのか。」 あなたは今、神さまの前に立って神さまの顔をまっすぐに見ていますか?

 


【人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」】 (創世記3:12
  食べてはいけないと言われていた実を食べた、アダムの言い分がこれ。 あの人が食べろと勧めたから。 神さまがあの女(エバ)を置いたから。 いつも誰かのせいにする私たち・・・ これが人間の自己中心の姿なのかもしれない。 神さまは悪いことしたことよりも、それを認めない心をもっと悲しまれる。 だから「ごめんなさい。」と言える者になりたい。 イエスさまの十字架のゆるしがあるのだから!
 

【あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」】(創世記3:19
  人間の肉体は、死んだら土に帰る。 神さまがいのちを吹き込んでくれなければ、私たちはからっぽの土の器にすぎない。 だから、生かされていることを忘れないでいよう 神のいのちの息が吹き込まれているのだから、 ちゃんと神さまの声に聞き、聖霊に導かれて歩もう!

 

 

【アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。】(創世記4:4
 あなたには大切に思う人がいる? その人には良いものをあげたい? それとも良くないもの?  大切な人には、最高に良い物をあげたい。そうだよね? 神さまは、アベルがささげた物の奥にアベル自身を見ていたんだ。 アベルは神さまを愛していた。だから、一番良いものをささげた。それだけのこと。 あなた自身をささげよう!大切な時間やあなたの気持ちをささげよう
 

【カインは主に申し上げた。「私の咎(とが)は、大きすぎて、にないきれません。 (創世記4:13
  自分の罪の重さに押しつぶされそうになることがある。 人をひどく傷つけてしまったとき。 ねたみや憎しみに心が支配されたとき。 とりかえしのつかないような事をしてしまったとき。 誰にもになえない罪。 その重荷をイエスさまが代わりに背負ってくれた。 「父よ。彼らをおゆるしください」 イエスさまは自分を殺そうとする人のため祈った。 イエスさまに心から感謝しよう。そして罪から離れよう!
 

【レメクはその妻たちに言った。「・・・カインに七倍の復讐(ふくしゅう)があれば、レメクには七十七倍。」】(創世記4:23-24
 自分の犯した罪のためにおびえるカインに、神さまはあわれみをかけた。 カインを殺す者は七倍の復讐を受けると言って彼の命を守ってくれたのだ。 それを知ったレメクという男。 彼は自分の強さをほこり、自分に手を出す者には七十七倍仕返してやると言った。 神さまに頼らず、自分の力を神にしてしまう愚かな人の姿だ。 一番力の強いアリがいばっても、決してゾウには勝てないですよね~

 
 
【主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。】(創世記6:5-6
  神さまはすべてを知っている方。 人が悪いことを繰り返してしまうことも知っていた。 だから、本当は神さまに「悔やむ」ということはない。 でも聖書が、わざわざそう書くのは、 神さまが深く悲しまれたことを、私たちにわかりやすく伝えるためだ。 私たちが罪を犯すたびに、神さまは心を痛めてくれている。 それは、私たちを本当に大切に思ってくれているから 罪からはなれよう!

 

【箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。 (創世記6:15
  300(長さ)50()30(高さ) 大型タンカーがこの比率を採用していて、ほぼひっくり返ることがないとされている。 神さまってすごい ノアは造船の専門家じゃなかったし、力学とか浮力とかの専門家じゃない。 なのに、神さまの言うとおりにやれば、カンペキな安定感の箱舟ができた。 もっと神さまから色んなことを教えてもらおう!
 

ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行なった。】 (創世記6:22
  みんながやっていることをやるのはカンタン。 でも、みんながやっていないことをやるのは、とても難しい ノアはそれをした。 雨がぜんぜん降ってないのに、神さまのことばを信じて舟をつくり続けた。 大洪水なんて来ないさ!とみんなが遊んでいるとき、 彼はせっせと箱舟をつくった。 彼はそれで守られ、祝福された。 人に流されず、神さまが良いとおっしゃることをやろう

 

入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。】 (創世記7:16
 箱舟に動物がみんな乗り終えると、戸がしっかりと閉じられた。 「主は彼のうしろの戸を閉ざされた」 実際に戸を閉めたのはノアだろう。 でも、その戸をがんじょうにロックしてくれたのは神さまなんだ。 水が入って来ないよう、壊れないようにしっかりと! 神さまの守りは本当に心強い!安心して歩もう
 
 

こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。】(創世記7:23
  神さまはすべてのいのちをつくられた方。 だからそれを終わらせる権利も持っているお方。 いのちの初めも終わり、神さまだけが決められる。 だから、私たちは自分の人生の終わりを勝手に決めちゃいけない。 いのちを終わらせる権利を持つ神さまが 今日もあなたを生かしておられるんだ


 

【神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。】(創世記8:1
 大洪水がいつ終わるかもわからない。 そんな状況で箱舟の中に閉じ込められていたノアと家族、そして動物たち。 でも神さまは、人とすべての動物に心を留めてくれていた 神さまを信じて歩むことは、見えない箱舟に乗っているようなもの。 周囲が大洪水、大嵐であってもそこは安全。 神さまが心を留めてくれているんだ

 
 

【わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。・・・神は人を神のかたちにお造りになったから。】創世記9:5-6
  人の「いのち」は、お金では買えない。 人の「いのち」と等価値のものは、人の「いのち」なのだと神さまは言う。 だから、人を罪とのその結果である滅びから救い出すために払われた犠牲は 神の子イエス・キリストの「いのち」だったのだ あなたのいのちには、このキリストのいのちが注がれている

 

【わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。 】創世記9:13
 「虹」を見た時には、神さまの約束を思い出そう。 それは、二度と大洪水で人を滅ぼすことはなさらないということ。 人の罪は深く、自然破壊をし続けて来た人間。 本来ならば大洪水で、すべてを洗い流されても仕方がない存在 でも、神さまは寛容を示してくれた。 むしろすべての人への救いを用意し、平安に歩めるようにと願ってくれている

 

【そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」 】創世記11:4
 有名な「バベルの塔」の出来事。 ノアの大洪水の時代から時がたって、人はまた高慢(こうまん)に歩み始めた 天に届く塔を立て、名を高く上げよう! 自分の力を誇るため。有名になるため。 人は本当に大切なものを見失って、上へ上へと昇っていこうとする。 神さまが高く引き上げてくれるのだから、私たちは自らをわきまえ、けんそんに生きていこう

 

【主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 】創世記12:1
  慣れている場を離れ、新しい世界に行くのは誰でもしんどい まして、この時アブラムは75歳だ。 でも、神さまが行けと導かれるなら、そこは今まで以上に祝福があるところなんだ。 慣れているところはストレスが少ない。 失敗も少ないし、安全な気がしてしまう。 でも、本当に安全なところ、幸せな地は神さまだけが知っている。 神さまが「行きなさい」とおっしゃるなら、私たちは喜んでそこへ行こう。 主はいつでも「新しい良いもの」をあなたに備えておられるから!

 

【全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」 】創世記13:9
 アブラムと甥(おい)のロト家族の間に争いが起こりつつあった。 アブラムは争いを避け、ロトに好きな方の土地を選ぶようにとススメた。 アブラムは立場は上なのに、自分は残りもので良いと申し出たのだ。 神さまは愛のわざを行う者を必ず祝福してくださる! 相手を思いやり、「どうぞお先に」とゆずることのできる者。 神さまはそういう人を絶対に忘れたりしないのだ 一歩ゆずれば、不要な争いをさけることもできるんだ。 それに、あなたがゆずったことを神さまはちゃんとわかっていて、そこに良いものをくださるのだから!

 

【しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。 】創世記14:22-23
 よこしまなソドムの王は、アブラムに恩を売ろうとした。 だが、アブラムはきっぱり断ったのだ。 甘い話にそそのかされて、悪者の仲間になってはいけない。 目先の利益にとらわれず、神さまの愛と正義の道に歩もう。 神さまはあなたの必要をちゃんと知っていて、助けてくれるのだから

 

【これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」 】創世記15:1
 アブラムを取り巻く環境は決して順調なものではなかった。 神さまは彼の不安を知り、語りかけられたのだ。 「恐れるな。わたしはあなたの盾である。」 なんて心強いことばだろうか どんな攻撃もはじき返す最強の盾。 神さまがあなたの盾であるなら、何を恐れる必要があるだろう

 

【そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」 】創世記15:5
 真っ暗な大自然の中で、夜空の星を数えたことがある? 「星を数えることができるなら、それを数えなさい。」との神さまからの問いかけ。 もちろん、数え切れるはずもない。 でも神さまは、ぜんぶの星をよく知っている。 それどころか、宇宙のすみずみまでも造られた偉大なお方。 その方が、広大の宇宙の片隅の小さな地球の・・ その地球の中でさらに小さなあなたに・・・ いつでも目を留めてくれている。 この偉大なる愛の神さまを信頼して、その御手の中で生きていこう!

 

【主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と尋ねた。】創世記16:7-8
 ハガルは世間では気にも留めてもらえない身分の低い人。 しかし神さまには関係ない 女奴隷ハガルにも目を留め、声をかけてくれた。 彼女は自分の態度の悪さのゆえ、女主人サラから嫌われ逃亡中だった。 どこまでも神さまは迷子のあなたをさがし求め「どこへ行くつもりか?」 そう声をかけ、いるべきところへ帰りなさいと優しく教えてくれるのだ。 あなたはどこへ行ってもひとりじゃない。主はあなたをどこまでもさがし求め声をかけられる

 

【アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。 「わたしは全能の神である。 あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。】創世記17:1
 神さまはアブラムに「わたしは全能の神(エル・シャダイ)」と名乗った。 私たちは神さまが全知全能だって、知っているだけでなく信じているだろうか? そして、最後にあなたは「全き者(まったきもの)」であれと命じられた。 私たちは不完全だ。 でも、神さまは「全き者=完全な者」であれと言った。 どういうこと それは、自分の弱さを素直に認めて神さまに頼るとき・・・ そこに完全である神さまの力が現れ、あなたをおおうからなんだ

 

【あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。 】創世記17:5
 アブラム=「偉大な父」、アブラハム=「多くの国民の父」 アブラムからアブラハムへ、名を変えるようにと神さまから言われた。 アブラハムにとって大きな転機(てんき)だ! 私たちもイエスさまを信じて歩むなら、新しい呼び名、新しい立場をもらう。 神の子!新しく生まれた者!クリスチャン!御国(みくに)の相続者! 神さまとの出会いによってあなたは、立場も中身もすべてが新しくなる



【主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。】創世記18:17
 全知全能の神さま。すべてを造られた神さま。 そのお方が、不完全で小さな人間のアブラハムに対してこんな風に思ってくれている。 神さまは弱い私たちのことを決して無視しない! 軽んじない、スルーしないんだ! 神さまはあなたと語り合いたい。 神さまが欲しいのはあなたの立派な行いや良い成果じゃない。 あなた自身なんだ 神さまは今日もあなたに、何をしようとされているのか語りかけてくれている

 

【アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。】創世記18:27
  神さまが愛の神なら、すべての人間をなぜ救わないの? 自分たちが救われて当たり前だと考える人は、このように思う。 でも、アブラハムのように「私はちりや灰にすぎません」と言う人にとっては 救いは神さまからの特別なプレゼント もらって当たり前なんかじゃない。 神さまに意見を言うことすら、アブラハムは許可求めてお願いしている。 見捨てられても仕方ないこんな者のために、 イエスさまをありがとう!と心をこめて言える者になりたい

 

そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。】創世記19:24-26
 ソドムとゴモラはあまりにも不道徳で悪意に満ちた街となっていた。 罪が罪を呼び、ざんぎゃくな行為が行われていた街。 正義と公正の神さまは、仕方なくこれらの街をついに滅ぼすことを決めた。 アブラハムのお祈りのおかげで、ロトとその家族は滅びの前に逃げさせてもらった。 なのに・・・ ロトの奥さんは、欲深い生活への未練があって 振り返ってしまった 欲と罪にまみれた生活は麻薬のようだ。依存し、逃げられなくなり、やがて身を滅ぼす。 イエスさまを信じたら、もう振り向かない!そう心に決めて前に進もう!

 

【アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。】創世記20:2
 アブラハムは自分の奥さんを妹だとウソを言って身を守ろうとした 信仰の父と呼ばれるアブラハムでも、こんな失敗をする。 しかも人生で二度、繰り返したのだ。 聖書がアブラハムを英雄にしたかったのなら、こんなことは書かないだろう。 でも、聖書が言いたいことはむしろ逆だ。 正しい完ペキな人はひとりもいない!アブラハムも例外ではないってこと。 伝道者の書に「正しすぎてはならない」とある。 みな失敗もする、罪も犯す、だから十字架が必要なんだ

 

【主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。】創世記21:1
 神さまはどういうお方か? その一つの説明は、真実なお方、誠実なお方だと言える。 約束されたことを決して破らず、言ったとおりに実行なさる。 そこにはごまかしもなく、忘れることもなく、わずかなズレもない。 時効もないし、言い間違いもないし、遅れることもない。 だから、心から信頼できる 神さまが誠実なように、私たちも誠実に生きるならば、人から本当の信頼を勝ち得る。 ごまかしは、必ず後から明らかになる。 だから、ごまかさず、ことばと行動がいつも一つであるように歩んでいこう

 

【神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」】創世記22:2
 長い間待たされて、ようやく息子が与えられたアブラハム。 しかし、その子を与えた神さまが、その子をわたしに「ささげよ」と 言われた。 愛するわが子イサクを、偶像にしてはならないということだ。 私たちはすぐに、神さまの位置に他のものを置いてしまう。 与えてくださったのは神さまなのに、まるで最初から自分のものであるかのように。 妻、夫、子ども、恋人・・・ これらが神さまになったら、私たちは道を誤る。 人は人でしかないのだ。 神を神としてあがめ、すべてはこの方の御手の中にあることを忘れずに歩もう

 

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。】 創世記22:13-14
 自分の子イサクをささげよと言われ、アブラハムがささげようとした瞬間、神さまはそれを止めた。 神さまは「あなたが神を恐れることがよくわかった」とおっしゃり、 神さまの方で、ささげものの雄羊を用意してくれた。 ここから「主の山に備えあり」ということばが広まった。 私たちの救いのために必要なものを用意したのは誰か? 私たちではない! 愛するわが子キリストを備え、十字架にささげられたのは神さまの方である。 いつでも、悪くない神さまの側が私たちのために尽くしてくださっていることに気づく。 私たちがこのお方を恐れ尊ぶとき、そこに「主の備え」があることに気づかされるのだ

 

【あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」 】創世記22:18
 私たちに出会う多くの人が、私たちを通して祝福を受けるとしたら どんなに嬉しいことだろうか アブラハムが神さまに従い、愛するわが子さえも神さまのものだと信仰を表明したとき、 神さまは、あなたの子孫を通して大いに祝福すると言われた。 神の声に聞き従うことこそ、私たちにできる「最高のささげもの」だ。 そういう人を通して、神は多くの祝福をもたらされる。 あなたも祝福の基(もとい)となろう

 

彼に水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのらくだのためにも、それが飲み終わるまで、水を汲んで差し上げましょう」と言った。彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲むためにまた井戸のところまで走って行き、その全部のらくだのために水を汲んだ。】創世記24:19-20
 イサクのお嫁さんになるリベカという女性の姿だ。 らくだは1回で80リットルほど水を飲むそうだ。 ここには10頭のらくだがいたが、このリベカは何度も井戸まで往復して水を飲ませている。 体力ありすぎだ!とつっこむ人がいるかも知れない しかし、この行為が愛と思いやりから来ているということを忘れてはいけない。 「愛は楽な道を選ばない」と、ある本で読んだ。その通りだと思う。 口だけで「愛している」と言うのはなんと簡単なことか。 今日、ぜひあなたも、愛を行動で表してみよう

 

そこでその人は、ひざまずき、主を礼拝して、言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」 】創世記24:26-27
 「無料で、めちゃめちゃ得させてあげる」と言われたらどう思う? 何か裏があるはず・・・利益があるから宣伝するのだろうと思う。 得にもならないことに、時間や労力をかけることはムダだと誰もが考える。 だが、ただひとりだけ、得にならないことを喜んでしてくれる方がいる。 主なる神さまだ! 「私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった」 とあるように、神さまはいつでも恵みとまことをもって私たちと接してくれる。 恵みは、見返りを期待しないで与えるプレゼント。 まことは、言葉と行いが完全に一致している誠実さ。 神さまは自分が何の得もしないのに、あなたに恵みを与え、あなたに誠実でい続けてくれるんだ。

 

【エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう」と言った。・・・こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。】 創世記25:32-34
 生まれる順番は誰が決める? 創造主なる神さまが最善の計画の中で決められた。 上には上の、二番目には二番目の、末っ子には末っ子の・・・それぞれに必ず良さがある。 だから、与えられた立場を軽んじたり嘆いたりしないで、それを大事にしよう。 花は自分で咲く場所を選べないけど、置かれたところで精一杯咲いている 神さまが置いてくれた場で、精一杯美しい花を咲かせていこう

 

【主はイサクに現われて仰せられた。「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。】 創世記26:2
 トラブルが起こった時、しばしば神さまに相談することを忘れる。 あわてて浅はかな知恵で乗り切ろうとする。 そして後悔する(笑) あなたはどう? ききんが起こったとき、イサクはエジプトに下ることを考えたのだろう。 でも、神さまは「わたしが示す地に住みなさい」とおっしゃった。 未来を知らない私たち。 だから、未来をすべて知っている神さまに導いてもらおう

 

イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。 彼が羊の群れや、牛の群れ、それに多くのしもべたちを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。】創世記26:12-14
 私たちの人生では、「不当な苦しみ」を受けることがある。 相手に悪いことをしてないのに「嫌われる」ことがある。 イサクが神さまの祝福を受けて豊かになったのを、ペリシテ人たちはねたんだ。 これらは必ず起こること。 すべての人に好かれることはできない。 だから、すべての人に好かれようとがんばらなくていい。 でも、そういう人のためにも祈ろう。 自分を好かない人のために祈れたら、それはあなたの勝利だ

 

【見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」 】創世記28:15
 父イサクをだまし、兄を出し抜いたヤコブは家を出ざるをえなかった。 実の兄から命をねらわれるようになったからだ。 彼は孤独だった。知らない地で、ひとりぼっち でも、そんな時に夢の中で神さまが語りかけてくれた。 「決して捨てない」なんて約束できる人はこの世にはいない。 病気や事故で記憶を失うこともあるし、いつ死ぬかもわからないから。 だから、「決して捨てない」と約束できる神さまが私たちには必要なんだ



【ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。】 創世記28:16
 神さまの愛のメッセージを受け取ったヤコブ。 彼は今、ここでひとりぼっちじゃないんだ!と気づいた。 ここに神さまが共にいてくれた。 なのに、神さまに心を向けず、意識もしなかったのは自分だ あなたはどう? 神さまに愛されているのに、気づこうとしないで 「だ~れも愛してくれない」となげいてない? 今日も神さまはあなたを抱きしめてくれている

 

【私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。」 】創世記29:25
 ヤコブは、父イサク、兄エサウをだまして生きてきた。 しかし、今度は、彼自身がだまされる側に立った。 だまされることが、どんなに悔しく悲しく傷つくことか、彼は身をもって知ったことだろう。 因果応報(いんがおうほう)ではない。 神さまが、ヤコブを愛するゆえに与えた試練だと私は思う。 自分がその立場にならないと、私たちにはその痛みがわからない。 後にヤコブが、兄エサウに心からあやまる場面がある。 彼のこの経験があってのことだ。 試練にあったとき、そこにある意味を少し思いめぐらしてみよう

 

【ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見て、姉を嫉妬し、ヤコブに言った。「私に子どもを下さい。でなければ、私は死んでしまいます。」 】創世記30:1
 「僕が僕でいるために、勝ち続けなきゃならない」とロック歌手・尾崎豊は歌った。 人はきっと誰もが負けず嫌いで、他人より少しでも勝っていたいと思う。 そして、自分に与えられている神さまからのギフトよりも 他の人が持っているギフトにばかり目がいく。 あるものを感謝できず、ないものを欲しがり続ける道に本当の幸いはない。 勝つ必要なんてない。もうあなたはギフトをたくさん持っている。 与えられているものを、ひとつひとつ感謝してみよう

 

・・・しかし私の父の神は私とともにおられるのだ。・・・しかし神は、彼が私に害を加えるようにされなかった。こうして神が、あなたがたの父の家畜を取り上げて、私に下さったのだ。】創世記31:5-9
 これらはすべてヤコブの口から出たことばだ。 人は成長できる。 人を出し抜いて生きてきたヤコブも、だまされ傷つき悩みながら、神さまと共に生きることを学んだ。 神さまへの信頼がここに現れている。 信頼関係は、何の問題もない順調な時に育つものではない。 むしろ、いくつもの困難をいっしょに乗り越えるとき、きずなが深まり信頼が生まれる。 苦しい時こそ、神さまと強いきずなで結ばれていけるチャンスなんだ

 

【神は私の悩みとこの手の苦労とを顧(かえり)みられて、昨夜さばきをなさったのです。】創世記31:42
 さばきは神さまがなさること。 さばくと言っても、人を罪に定めるという意味だけじゃなく、 スポーツの審判のように、正しいジャッジをしてくれるという意味がある。 人間のジャッジは限界があって、正しい者が悪者にされることもある。 なぜなら、真実のすべてを知ることは人には不可能だから。 でも、神さまは全部を知っていて、正しく判断してくれるんだ。 神さまはあなたの苦労も言い分も全部わかってくれている。 あまたの愛の行動を神さま決して忘れないし、 あなたの忍耐もよく見ていて、むくいてくださるんだ

 

【どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子どもたちまでも打ちはしないかと、私は彼を恐れているのです。】創世記32:11
 あなたには恐いものがありますか? ヤコブはお兄さんから強くうらまれ、彼をとても恐れていた。 そこで、正直に神さまに自分の心の恐れを祈ったんだ。 「私は彼を恐れているのです」と。 何かを恐れることはおかしなことじゃない。 強がって、恐くないと言い聞かせれば恐怖が消えるわけじゃない。 恐いものは「恐い」と神さまに祈ればいい でも、この祈りから何かが始まる。 祈りのうちにヤコブは神さまの助けや約束に気づき、やがて前に進むことができたんだ。 不安も恐れも、ぜーんぶ正直に神さまに祈ってみよう

 

【しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」】創世記32:26
 コブは祈りの格闘(かくとう)をした 神さまに必死にすがりついて、こう言った。 「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」 こんな風にすがりついて祈っていいんだ 私は夜明け近くまで、この祈りをしたことがある。 夜が明ける頃、私の心はふしぎな安心と、言いようもない喜びに満ちていた。 本気で求める者には必ず応えてくださる神さまなんだ。

 

ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。】創世記33:3-4
 ついに兄弟が仲直りする場面。 ヤコブは兄をだました時とは別人のように、家族の先頭を行き、7回も地面に伏してあやまった。 だが、一番先頭にいたのは本当はヤコブじゃない。 神さまだ。 だから、彼は進むことができた。 ここまでヤコブをけんそんにさせ、兄エサウの心をやわらかくしたのは神さまなんだ。 人の心を変えることは、私たちにはできない。 でも、神さまが私たちの前を行き、ふしぎに道を開いてくださる。

 

【神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」】創世記35:1
 「ベテル」とは「神の家」という意味だ。 苦しい時も、うれしい時も私たちが帰るべきところは、神の家だ。 苦しいときだけ神に頼み、そこをこえると神への感謝も忘れてしまう。 そんな私たちではないだろうか エサウと仲直りし、大きな山場をこえてヤコブはほっとし、同時に神への感謝を失いかけていたのかも知れない。 だから、神さまはヤコブに、その信仰の原点にあたるベテルに住むようにとおっしゃったのではないか。 いつでも初心に帰り、神の家を生活の拠点にすることを大事にしたい

 

【イスラエル(ヤコブ)は、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。・・・彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。】創世記37:3-4
  不良の道に走る若者の背後に、どうしようもない愛へのうえかわきがある。 愛されたくて、さみしくて、自分の存在の意味がわからない若者の叫び。 「えこひいき」や「かたよった愛」は、時々人の心を傷つける。 特別扱いされたヨセフはうれしかったかも知れないが 他の兄弟たちは、父イスラエルの愛にうえていた。 生意気(なまいき)だったことで、余計にヨセフは兄たちの怒りを買った。 それは父への怒りだったのかも知れない 愛すること、愛されること・・・ 人として最も大切なこの愛を聖書からしっかり学びたい



【そのとき、ミデヤン人の商人が通りかかった。それで彼らはヨセフを穴から引き上げ、ヨセフを銀二十枚でイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。】創世記37:28
 兄たちはヨセフを憎み殺そうとしたが、それよりも得になる方法に気づいた。 ちょうどミデヤン人(イシュマエル人)の商人が通りがかったからだ。 彼らにヨセフを売れば、殺さずして目の前から消すことができ、しかもお金も手に入る! それでヨセフは奴隷(どれい)として売られた。 でも、この後の展開を知れば、これらが神さまの救いの計画だったとわかる。 ヨセフはやがてエジプトで二番目の地位につき、一族を救いに導く。 あなたは結論を出すのが早すぎないだろうか? 失敗だ、無理だ、最悪だとすぐに結論づけないほうがいい。 その先に神の良い計画があるかも知れないのだから

 

【主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。】創世記39:2-3
 主なる神さまがともにおられるなら、あなたを恵みと祝福が追ってくるエジプトという外国の地に連れられて来て、奴隷(どれい)として売られたのに ヨセフは「幸運な人」となったと語られている。 どこにいようと、何をしようと、神さまがあなたとともにおられるなら、 まわりの人がおどろくような祝福がそこにある! 本当の成功とは、祝福のみなもとである神さまとともに歩むことなんだ


 

【主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。 】創世記39:5
 主の祝福はせまくないし、小さくない。 神さまを信じていなかったはずのエジプト人の主人だったけど、 ヨセフを祝福する神がおられることに気づいて、彼にぜんぶを任せた時から このエジプト人の家、財産にまでその祝福がおよんだんだ。 あなたが神とともに歩むということは あなたの周りの人々にも、多くの祝福をもたらすということ。 あなたを通して、神さまはあなたの住む世界を祝福されるんだ

 

 

【ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」 】創世記39: 9
 エジプト人の主人にお世話になっていたヨセフは、主人の妻からからゆうわくを受けた。 ヨセフはご主人に罪を犯すだけでなく、神さまに罪を犯すことになるので、それはできないとことわったのだ。 見つからなければ大丈夫と思ってしまう私たち。 神さまといっしょに歩むということは、誰も見ていないひとりと思えるときにも 神さまを意識して生きること。 いつでもこのお方を意識して歩んでいこう

 

 

ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁(かんきん)されている監獄(かんごく)に彼を入れた。こうして彼は監獄にいた。しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。】創世記39:20-21
  ヨセフは悪いことをしていなかったが、ぬれ衣をきせられてろうやに入れられた。 だれもが絶望してしまうような状況だ。 でも、ヨセフは下を向かず、天に目を向けた。 神さまがろうやであろうと、見捨てることなく共におられるのだ 恵みがここにあり、ヨセフはろうやでも認められ生活が守られていった。 どこにいこうとも、そこで神さまはあなたを守られる!

 

【ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」 】創世記40: 8
 テニスプレイヤー錦織選手のコーチ、マイケル・チャンは 自分のテニスの才能は「神さまからのギフト」だと言っている。 だからこそ彼は、テニスを心から楽しむことができていた。 ヨセフにも「夢をときあかす」という特別な力、神さまからのギフトがあった。 ろうやの中でさえも、その力ははっきされ、神さまのすばらしさが現わされた。 神さまがくださった才能・ギフトは、神さまのいだいさを伝えるためのもの。 それを忘れないでいよう

 


【ところが献酌官長(けんしゃくかんちょう)はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。】創世記40:23
 ヨセフの夢のときあかしは当たった! 献酌官長はろう屋を出ることができ、パロ(ファラオ)に役を戻してもらえた。 ヨセフは彼が復帰できたなら、私のことをパロに進言して助けて欲しいと頼んでいた。 だが、献酌官長はこの約束を忘れた!! こんな大事なことを!ひどい・・・ 結果、ヨセフはさらに2年間、苦しいろう屋生活を続けた。 誠実をつくしても、他人の不誠実によって、悪い結果を受けることもある。 でも、あきらめないでいよう 「私たちは真実でなくても、彼(キリスト)は常に真実である。」(Ⅱテモ2:13)のだから!

 

 


パロはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。あなたについて言われていることを聞いた。あなたは夢を聞いて、それを解き明かすということだが。」ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」 】創世記41:15-16
 ついにヨセフはろう屋から出され、エジプトの王の前に立った。 夢の解き明かしを頼まれたのだ。 ヨセフは言った。「私ではありません。神が・・・」と。 兄弟たちの中で、特別に父から愛され、また格別な才能を持っていたヨセフは ねたまれ、憎まれてしまう面があった でも、彼はエジプトでの奴隷生活やろう屋での生活を通して成長した。 自分の才能をひけらかすのではなく、神さまがくださっているギフトであることを一番に伝えている
 


パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。 あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」 】創世記41:39-40
 ヨセフはついに、王パロの次に高い地位に任じられた。 夢を解き明かすヨセフのおかげで、エジプトは7年に及ぶ飢きんに対して備えができたのだ。 全知全能の神さまに知恵をいただく人は、どんなに賢いことだろう そういう人が家族や友人にいる人は、なんて幸せだろう あなたがその人になって欲しい。 神さまは心からそう願っている!



ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」からである。 また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」からである。】創世記41:51-52
 初めてこのみことばを読んだとき、とても感動したのを覚えている。 不当な苦しみを通ったのに、 神さまがその労苦を忘れさせてくれるほど祝福をくれた。 彼はその感謝の告白を、自分の子の名「マナセ」として現わしている。 経済的、地位的な祝福も与えられ、さらには奥さんと子どもたちにも恵まれ、 その感謝として、二男に「エフライム」と名づけた。 苦しみながらも、神さまと共に歩んだ実が、愛するわが子の名に刻まれているとは、なんてステキなことだろう。 いつまでも忘れることはなく胸に刻まれることだろう 

 

【また、ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。】創世記41:57
 世界が神さまの御手の中で動き出している。 飢きんはエジプトに留まらず、広い地域におよび、多くの民族がエジプトのヨセフに頭を下げに来たのだ。 奴隷(どれい)生活もろう屋での生活も、この時のための必要な訓練だった。 神さまはムダなことをなさらない。 あらゆる状況を用いて、神に仕える人を育て、神の国の救いを実現なさる。 神さまは世界の中心。導き手。 だから、この方と共に歩めば間違いない!安心して歩もう  

 

そこで、ヨセフの十人の兄弟はエジプトで穀物を買うために、下って行った。 しかし、ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄弟たちといっしょにやらなかった。わざわいが彼にふりかかるといけないと思ったからである。】創世記42:3-4
 食料難になり、ヤコブの息子たちはエジプトへと行くことになった。 だが、ひとりの息子だけは行かせなかった。 末の弟ベニヤミンだ その理由は「わざわいが彼にふりかかるといけない」からだ。 ん? では、上の子たちはわざわいにあってもいいの?? ヤコブはヨセフだけを特別に愛したように、ヨセフを失った悲しみでその愛はすべてベニヤミンに向かった。 幸せな家族の姿とはほど遠い。 すべては健全な愛を知らないことにある。 神さま、あなたの愛を私たちに教えてください

 

【彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請()うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。」】創世記42:21
 食料難でエジプトを訪れたヨセフの兄たちは、スパイだと疑われ苦しんだ。 その時のことばだ。 苦しんできたのはヨセフだけではなかった。 ヨセフを売り飛ばし、父をだましてヨセフは死んだことにしてきた。 彼らはその罪をずっと後悔(こうかい)してきたのだ。 20年以上もの間、兄たちも犯した罪の重荷を背負ってきたんだ。 私たちには、ゆるしが必要だ。ゆるされないままだとずっと苦しい イエスさまの十字架にはすべての罪のゆるしがある。 イエスさまの十字架を見上げて重荷をおろそう 

 

【私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。】創世記43: 9
 末の弟ベニヤミンを連れて来なければ信用しない! エジプトの大臣(ヨセフ)にそう言われたヤコブの息子たちは、どうにかして父を説得して末の弟ベニヤミンをエジプトに連れて行かなければならなかった。 そこで、一族を救うため、ユダは自分がベニヤミンの保証人となり、責任を負うと覚悟した。 「私に責任を負わせてください」と彼は言ったのだ 誰もが「責任を私に負わせないでよ!」と逃げる時代だ。 でも、本気で何かをしようとすれば、必ずそこに責任があるはずなんだ。 だから、責任から逃げないで生きていこう 最後は神さまがちゃんと責任を取って守ってくれるのだから
 

【もし私たちがためらっていなかったなら、今までに二度は行って帰って来られたことでしょう。」 】創世記43:10
 ヤコブの息子ユダは、エジプトに食料をもらいに行くことについて ためらっていなかったら、もう2度は往復できたと言った。 心配しすぎて、行動できない人はいないだろうか? 過去の傷から来る不安や恐れが、ときどき私たちをしばる・・・ 心配の8~9割は不要な心配と言われる 実際には起こらないことさえ、あれこれ心配する あまり心配しすぎて、前に進めないのはもったいない。 神さまが先のことまでぜ~んぶご存知なのだから、一歩をふみ出してみよう

 

【ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷(どれい)としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。 】創世記44:33
 エジプトにて、末の弟ベニヤミンの袋から銀の杯が見つかり、盗みをしたとの疑いがかかった。 そのとき、ベニヤミンの安全を父に保証したユダが言った。 あの子の代わりに、自分を奴隷としてください。 それでベニヤミンや兄弟みなを帰してくださいと。 ユダは自分をささげて、兄弟や家族を守ろうとした。 ヨセフはこの姿を見たかったのだ。 罪の世は自分のことばかり大事にして 大切にすべき家族さえも後回しにされる。 ユダもかつて失敗をし、ひどく傷つけ、傷つき歩んできた。 でも、そこから悔い改めて今があるんだ。 あなたは何が一番大事?少し考えてみよう

 

 


ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。 】創世記45:1-2
 兄ユダのことばを聞いた時、ヨセフは感情を抑えきれなくなった。 自分の身をぎせいにして、兄弟や父を守ろうとする姿がそこにあった。 それはかつて、ヨセフに対してなした大きな罪を心から悔いている姿であり そこから神さまによって変えられ、成長した姿だった。 口先だけでない本物の愛に触れるとき、人の心が開かれていく あなたはこの姿を見て何を感じる? 本物の愛が、人を動かすということを心にきざみたい

 
 


ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。】創世記45:4-5
 ついに自分の正体を兄弟に明かしたヨセフ。 エジプトで大臣をしているが、自分こそは売りとばされた弟ヨセフです!と でも、この不幸と思えるできごとをヨセフはこう言って説明した。 「神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」 売られた、捨てられた・・・ではなく神さまが遣わしてくれたんだ。 ヨセフの苦労は、イスラエルの民を救うためだったのだと。 深く、愛に満ちた神のご計画が何事にもある。 不幸を呪う歩みをストップして、どんなご計画があるのだろうと主に期待して歩んでいこう!




すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」 】創世記46:3-4
 年老いたヤコブには、異教の地エジプトへ行くことは不安の種であったろう。 神さまは、そんなヤコブに語りかけ「恐れるな」とおっしゃった。 エジプトは約束の地ではなかったし、不慣れな土地。 でも、神さまが一緒におられるならば、そこが祝福の場となる。 神さまが共におられるのならば、そこがあなたの居場所になる。 どこに住むか、どこに行くかも大事・・・でも、誰と共にいるかがもっと大切なんだ

 

彼らはまたパロに言った。「この地に寄留しようとして私たちはまいりました。カナンの地はききんが激しくて、しもべどもの羊のための牧草がございませんので。それでどうか、あなたのしもべどもをゴシェンの地に住ませてください。」】創世記47:4
 ヤコブとその子らは、エジプトにやって来た。 でも、あえてエジプト人の都市からは離れた「ゴシェン」の地を選んだ。 牧草が豊かで、放牧をする彼らには良い地であったけれど、理由はそれだけじゃない。 エジプトの偶像礼拝や罪深い習慣のとりこにならないためだ。 ほんの少しならいいだろう・・・ ここから罪にハマる歩みが始まる 麻薬も1回きりなら!ほんの少しなら!という所から、抜け出せなくなる。 少々罪を犯してるけど、いつかまとめて悔い改めればいいだろう・・・ そしていつの間にか教会が遠い存在になり、神さまの声が聞こえなくなる。 悪いこと、罪深い習慣には、最初から「NO」と言うことが大切なんだ

 
 

【それから、ヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。・・・】創世記47:15
 ヤコブが死を目前に控えて、ヨセフとその子らを祝福した場面。 ヤコブはしばしば、神さまを見失い遠回りすることがあった。 それでも、失敗しては神に立ち返り、その守りがあったことを思い出しているんだ。 神さまが離れて行ったことは一度もなかった。 ただ、ヤコブ自身が神さまを見失い、忘れ、背を向けていたんだ。 けれど、死のまぎわにヤコブは改めて人生を振り返ってこう言えた。 「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」と。 主はいつも語ってくれている。 「わたしはいつでも、あなたの羊飼いなのだよ」 ありがとう、神さま
 

【イスラエルはヨセフに言った。「私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。】創世記48:21
 私も4人の子の父として、自分がもし死んだら妻と子どもたちはどうなるだろうかと 考えることがある。 何を残してあげられるのだろう・・・ でも、神さまが教えてくれた。 わたしがあなたの家族と共にいるではないか!と。 ヤコブは死の直前、自分が天に召されても、神さまがあなたがたと共にいて、先祖の地へ帰してくださると子らを祝福した。 このお方がおられることがどんなに心強いことだろう! 最後の最後まで、私たちはこの愛と真実な神さまにお任せできるなんて なんてありがたい人生なのだろう

 

ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。】創世記50:19-20
 父ヤコブが死に、ヨセフの兄たちは少し不安になった。 ヨセフが以前のことを恨んで、自分たちに仕返しをしないだろうかと。 けれど、ヨセフは言った。 自分は神さまじゃぁない。 むしろ、私に対してした悪い行為さえも、神さまは良いことのための計らいとなさったんです!と。 普通ならば恨んでも仕方ないような事。 父も死んでしまい、争いを止める者もない状況。 しかしヨセフは、神さまが関わっておられることを心から受け入れていたんだ。 人の悪意さえ良い計画に用いてしまう神さま。 本当に「神のなさることは時にかなって美しい!」(伝道者3:11)というみことばの通りだ

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