東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 心のケア
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2020/01/17

子育て「子どものストレスケア」



 私たちが生きていく上ではストレスは人それぞれであり、それをなくすことは不可能と言えます。しかし、ストレスに対して上手に対応することはできます。
 
そしてこうしたストレスを上手にクリアすることで、人は豊かに成長することもできるのです。上手にストレスに対処する方法について、特にお子さんのストレスケアについてご一緒に学んでいきましょう。

 

2019/10/18

人間関係のイライラや痛みからの解放



人間関係でイライラしてしまう。
ちょっとした事で衝突し、思い通りにならず頭に来てしまう。
他の人を批判的に見てしまい、さばいてしまう。
 
そのようなことで悩む人は少なくありません。
こうしたことが原因で自分の心もストレスを抱えて疲れてしまいますよね。
 
では、どうしたらこれら人間関係のストレスから少しでも楽になるのでしょうか?
3つのことをお伝えしたいと思います。どうか少しでも楽になれますように!

 

1. 自分の罪深さと向き合うこと

実は、自分の罪深さや愚かさと向き合うことによって、人に対してイライラすることから解放されていくのです。
 
「すごく意外な答え」のように思われるかも知れません。
 
しかし、以前お話を伺ったある牧師(心理学専門の方でもある)はこうおっしゃっています。
 
「他人をさばき、批判することは、自分の問題を受け止めることから逃げている現実である」
 
聖書もこう言っています。

ヤコブ 4:12 律法を定め、さばきを行う方はただひとりで、救うことも滅ぼすこともできる方です。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか

 さばくのは神の仕事であって、あなたも自分自身の罪深さや問題をさばかれる立場の人間だよ。
 
 さばいているあなた自身は、いったい何者ですか?と問われています。

実に、自分の罪の問題と向き合えば、自分は誰かを偉そうにさばけるほど正しくない者だ!と気づきます。
 
自分を神のようにして上から目線でさばき、イライラしていることがなんと自分に甘く高慢なことかと気づかされるのです。

子どもたちが自分の部屋や机の上を散らかしっぱなし・・・ということはよくあります。そこで私たちは注意をするわけですが・・・
 
でも、ふと自分の子ども時代を思い返すと、綺麗だったとは言い難いことを思い出したりするものです。
 
いや、今でも書類を山積みにさせたままになっている・・・という方もいらっしゃるでしょう。
 
もちろん、それでも片づけよ、綺麗にせよと注意すべきですが・・・ただ、自分もそういうところがあるよなぁと心のどこかに思っていることで、そこまでイライラせずに、半ば「仕方ないなぁ」という落ち着いた心で指導することができるものです。
 
自分のイライラ、ストレス解消のためではなく、相手の将来を考えて指導することができます。

自分の愛の無さ、自己中心性、怠惰な姿、そうした罪深い姿に気づくと、他人を偉そうにさばくことができなくいなるのです。
 
キリスト者の交わりが他の人の悪口を言い合うものでないのは、まさにこのことによるのです。
赦された罪人に過ぎない自分をよく知っているからです。
自分の愚かさに涙し、自分の愛のなさに愕然とし、傷つき悩みながら歩んでいる人は、他の人の愚かさや愛のなさに対しても寛大にされていきます。結果イライラからも解放されていきます

本当の成熟した大人とは、自分は「もう完璧だ」と思い込む人ではなく「自分はまだまだ未熟だ」と受け止めている人なのです。
逆に言えば、自分の課題と向き合わない人ほど、他人に批判的になり関係がうまくいかなくなるのです。

 

 そうは言うものの、ひどく傷つけられることもありますよね?自分も人を傷つけることがあるけれど、あそこまでではない!それぐらい傷ついてしまうこともある。特に不当に傷つけられることもあるものです。その場合、我慢しないで傷ついた心に必要な手当てをしてあげましょう。2番目のことは「心の手当」です。

 

2. 心の手当

 心がイライラしたり、傷つき疲れたりすることは誰にでもあります。でも、それを悪いことだと考えて、傷つかない完全無欠の心になりたいと願うならば、そうなれない現実の中でかえって疲れ果てます。
 
 むしろ、自分の心が傷つきやすい事は良いことであるとまず受け止めたいのです。
 
 なぜでしょうか?
 
 心が傷つかない人は、他の人の痛みがわからない人です。まるで血の通わないロボット。その人は他の人に同情できず、痛みに寄り添うすべを知らず、励ますこともできません。そんな人とは一緒にいたくないでしょう。

 むしろ、傷つく心であることは、他の人を慰め励ますことができる特権だと思うことです。そうすると、傷つくことを極端に恐れる必要がなく、むしろそれによって自分が成長できるチャンスだ!と前を向けます。これだけでも、少し傷が浅くなります

 さらに、心の手当ては神様が教えてくれる方法で!イエス様はこう言われています。

マタイ5:14 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。

 その意味するところは、神様と共に、神様の御心に沿って悲しむ者は「神様からの慰め」を受けられるから、幸いだと言うのです。

自分の方法で慰めようとすると失敗します。
例えば、倍返しだ!と復讐するならば、自分の心も憎しみに囚われ、また相手からのさらなる報復を受けるので、ストレスは4倍に膨れ上がるでしょう。

あるいは、「やけ食い」、「買いまくり」、「車で高速道路を走る」。

これらは健康にも悪かったり、家計にも悪かったり、危険であったりしますね。

さらに、そんな自暴自棄のような方法で傷を癒そうとする自分がイヤになります。

挙句の果てに、それでは回復しない現実に気づきます。いい事ありませんね。

 

 最善の方法は、自分で癒すのをやめ、神様に癒してもらうことです。
 傷や悲しみ、ストレスを神様に祈りによって全部知ってもらいましょう。ことばにして語るのです。祈りつつ神様から聖書を通して励ましのことばをいただくのです。

 そして、神様をよく知る人に癒し慰めてもらうことです。

 また、自分の罪深さを受け止めている人に、お話しし分かち合うことです。

 その人は自分にもそういう弱さがあることを知っているので、あなたを責めたり、そんなことで悩むなと批判したりしません。その痛みを理解し、一緒に神様に祈ってくれるでしょう。

 


3. 隣人に寄り添う

 心が手当され、癒されて来たら、他の人の痛みに寄り添うことにも意識を向けてみましょう。

そうするとことで、傷が完全に癒される助けになると同時に、その傷をあなたが受けた意味までも知る機会が生まれます。

時々、私たちは既に治っている傷を再び確認し、その傷を思い出そうとします。せっかく相手に対して寛大になり、自分の心も慰められたのに、また逆戻りして傷を自分で思い出し、自分をあわれもうとします。自己憐憫こそは、このイライラとストレスをもう一度自分に取り戻してしまう罪深い姿です。

 あわれみ心は自分に対して向けるべきものではなく、他の人に向けるべき心です。自分をかわいそうだと思い込むことは、自分の闇に閉じこもり、他の人をシャットアウトしていきます。

 その闇から出る必要があります。預言者エリヤという人が聖書に出てきます。彼は自分の命を王妃が狙っていることを知り、怖くなり逃げます。そして洞穴に隠れ、自分はもうダメだ、このまま命を取って欲しいとさえ願います。自己憐憫です。そこはまさに闇の中。大切な使命も忘れ、自分を守ることに必死である。

 しかし、神様はほら穴から出よと導かれます。さらにあなたには仲間があり、なすべきことがあるのだと示されました。
 

 自分の傷ではなく、今度は他の人の傷に寄り添う使命を与えられていきます。
 そこに本当の意味での痛みからの解放があるのです。
 
ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ22:32

  ※同じテーマ「心のケアと人間関係」はコチラから。

2019/07/17

心のケアと人間関係  ~神の領域を受け入れる~


伝道者の書 713-14

神のみわざに目を留めよ。
神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。
順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。
これもあれも神のなさること。
それは後の事を人にわからせないためである。

 

ラインホールド・ニーバーという人の祈りは参考になります。


「主よ、変えられないものは、それを受け入れる心の静けさを、

 変えられるものを変える勇気を、その両者を見分ける知恵を私に与えてください。」

  この祈りをいつも心に持っておきたいものです。



「2:6:2の法則」

アリ社会の分析。
 
2割しか働きアリはいないそうです。
6割が邪魔もせずフラフラ。
残りの2割はむしろ反対方向に行ったり、邪魔をしている。
 
でも、このバランスが一番うまくいくし、自然にそうなる傾向がある。 
 
会社において、優秀な精鋭だけを集めていたらどうもうまくいかなかった。
そこであるコンサルタントはこうアドバイスしました。
 
「あまり仕事ができない人を少し入れてみなさい。」
 
すると、なぜか一体感が出てみるみる会社がうまくいくようになったと言います。
 
どんな組織でも、積極的に賛成してやっていこうとする人が2割いたら、6割ぐらいはどっちでもいいよという人。
残り2割はそれに反対する人。
 
つまり、基本的には全員が同じ意見で同じ温度で積極的になるということはあり得ない
 
ということです。

 
もし、10人の集まりがあって、あなたと意見が合う人が1~2名いたとします。
 
その場合、必ずあなたとは合わない人が最低2人はいると思った方がいいのです
 
あなたを褒めてくれる人が2人いれば、
あなたを少しも褒めずむしろけなす人が2人います。
 
勝手に、自分ならもっと褒める人を増やせると思っていると失敗してしまうのです。案外ほめてくれた人が、裏で悪口を言っているということもあるものです。その時にショックを受けるのは、ほめてくれる人が自分にはいっぱいいると勘違いしているだけではないでしょうか。
 
最初から2割は悪口言うんだから、「この人はその中の一人だっただけ」と思えばいいんのです。

 
 逆にこれが社会というものです。それを知っていると、無理に自分の側に引き込む必要もなければ、全員をやる気のある人にする必要もないとわかります。

 むしろそれをやるとうまくいかないという結果さえ出ています。


 環境を変えようとし過ぎるので挫折をします。

 他人を変えようとするから疲れ果てます。

 堅い鉄の棒を力で曲げようとするから・・・できずに失望するのです。

 
 すべての人から好かれる人はいません!
 
 必ず好いてもらえない人が存在するのです
 
 少なくとも2割は絶対いる!
 
 それを減らそうと思わない方がいい。そういう人がいることが必要
 
神様がそういう人の存在を置いているのだと受け入れることにしましょう。
 
その人たちにとっても、あなたが必要なのです。
 
反対意見を持つ人、自分とはソリが合わない人がいることで、そこから様々なメッセージを受け、人は成長するのですから。
 
これでバランスが取れるということをむしろ受け止めたいものです。

もし、みんなをまとめる必要があると感じたら、不満や不安を持つ人に対しても、「そういう意見もあるのですね!」と受け入れていくことから始めましょう。
 
排除すればうまくいくという考えはとても危険で、かえってうまくいきません。

 

じゃあ、変えることのできるものは何でしょう?

あなた自身は変われるし、変えられていくことは大切なのです。


「神のみわざに目を留めよ」とあるように、盲目な人間の目で、歪んだ偏った知識で、すべてがわかると思わないことです。

人間の知恵や努力ではどうにも及ばない神の領域があることを知り、受け入れていくこと。引き受けていくこと
 
これはできるのです。

 

 イエス様は素晴らしい人格のお方でした。愛にあふれ、知恵があり、やさしく、真理を知っているお方。だからファンもいっぱいいました。でも、反対にイエス様は多くの敵がいました。憎まれ、妬まれました。12人選んだ弟子の中でさえ、裏切り者が出ました。どんなに優しく、深い愛で包んでも、裏切る人は裏切るのです。うまくいかないことがあるのです。
 
イエス様でさえ、彼を引き止められなかった。ならば、私たちが人間関係で失敗したり、嫌われたり、裏切られることがあるのは当たり前なのです。

 イエス様はご自分の身に起こることを、否定したり拒んだりせず、それを自ら引き受けて歩まれました

 

 「置かれた場所で咲きなさい」という本があります。

ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんが書かれた本で、2012年のベストセラー第二位でした。

花は自分で歩いて咲きたい場所を選ぶことができませんね。
だから、それを引き受け、置かれた場所で精いっぱいきれいな花を咲かせることに集中しています。

渡辺さんはこの書の中でこう記しています。
「咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神があなたをお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」 

私たちが置かれた所は時には非常に困難で「こんなはずではなかった」と思える場所かも知れません。でも、今置かれている所に神のご計画があることを信じて、そこで精一杯自分らしい花を咲かせるならば、自分らしく平安をもって過ごせるでしょう。神様は間違えて違う場所にお植えになる方ではないからです。


※同じテーマ「心のケアと人間関係」はコチラから。

 

2019/04/23

心のケアと人間関係 ~悲しみに、こんにちは~


 多くの人が「悲しみ」というものを良くないもの、早く退けたいものとして考えますから、悲しみに「さようなら」と言いたいのです。クリスチャンもしばしば、誤解しています。強い信仰さえ持っていれば悲しまなくて済む。あるいは、信仰がしっかりしていれば傷つけられることばを言われても傷つかない・・・などと考えがちです。
 

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