イエス・キリストのことばの中でも最も厳しいおことばの一つではないでしょうか。自分の身内、そして自分のいのちさえ憎む覚悟がないなら、キリストの弟子となることはできないという教えです。しかし、その真意を知る時に、むしろキリストの深いご愛に触れることになります。イエスの周りには大勢の群衆がついて来て、世的な期待に胸をふくらませていました。そんな群衆に対してイエスは言われたのです。「わたしの弟子になることは、甘い話ばかりではない。時には自分の家族、親しい人から憎まれたり、批判されたり、反対されたりすることがあるのだと。それでもわたしを愛するか?」と問いかけられているのです。この問いに応答してキリストを愛し続けるからこそ、それを見た人々はキリストは本物だと知るのです。実は、身内や自分のいのちを憎むとは、憎むことを教えているのではなく、キリストを第一とするという教えであり、自己愛から解放される道なのです。反対されてもなお、キリストに従う時に、結果として人々を神の救いにお招きする近道となっていくのです。
(2019年3月24日 週報掲載)