それから、モーセはシナイ山から下りて来た。モーセが山を下りて来たとき、その手に二枚のさとしの板を持っていた。モーセは、主と話したために自分の顔の肌が輝きを放っているのを知らなかった。(出エジプト記34:29)
現代の世界情勢を見る時、闇が日に日に深まっていると感じます。しかし、神の光の中を歩むよう招かれているキリスト者ですら、希望を見失い暗い表情でギリギリ生きているという人が少なくないように思えます。悪魔はそれを見てほくそ笑んでいることでしょう。
私たちは闇の中で色を失い、闇と同一化してはなりません。世の光として召されたキリスト者こそ、神の御顔の輝きを世に現すひとりひとりでなければなりません。
けれどもそれは、人の血肉の努力によるものではなく、キリストの御霊によることです。
モーセが神の前に時間をささげ、40日40夜ともに過ごしたゆえに、その顔が神の栄光の輝きを帯びていたのです。
私たちもまた神の御顔の輝きを求め、御霊によって主と親しく歩ませていただきましょう!
神との時間をどれだけ大切に過ごしているか。
それが私たちの輝きそのものであると知りましょう。闇に長く身をおけば闇に染まりますが、神の御顔の光の中を歩めば、あなたにその輝きが与えられていくのです。
「主から豊かに受け、人に豊かに与えていく」
これこそ、キリスト者の信仰生活の神髄ではないでしょうか?
(2019年9月1日 週報掲載)