東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2024/03/31

ヨハネ20章24-31節「疑う者にも手をさしのべられた主」

*** 3/31(日)イースター礼拝 説教概略 ***

 皆さんとご一緒にイースター礼拝をささげることができ、心から感謝いたします。最初に皆さんに一つ、ご質問させていただきます。皆さんは、「死」というものについて明確な自分なりの解決策をお持ちでしょうか。また、その考えや解決策について「確信」がおありでしょうか。

2024/03/30

毎日の聖書【4月分】


1日 創世記48章
 イスラエルはヨセフとその息子たちを祝福した。
15節 彼はヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。今日のこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神よ。 ここにイスラエルの晩年の信仰が現れている。「今日のこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神よ。」と彼は言った。彼はしばしば神を見失った人だ。そこに主がおられても見ていなかった人物だ。だが、彼は変えられた!!自分の人生の足跡を振り返った時に、はっきりと気づいたのだ!神は最初から最後まで、いつでも自分のすぐそばにおられ、私を導いておられたのだとイスラエルの職業は「羊飼い」であった。だからこそ、この意味は誰よりもよく分かっている。彼は、羊飼いがどんなに羊を大切にし、見守っているかをよく知っていたのだ。羊のために、羊飼いがいのちをかけて外敵や危険から守り、良き場所へと導くことを知っていたのだ。
 だから、この神に対する呼びかけは、彼の信仰の成長を知ることができる告白だ。そして、最後にもうひと仕事、すなわち彼の最後の使命に気づいていたのだろう。彼はかつては祝福を奪う者であったが、今や祝福を与える者になったのだ。それは、羊飼いなる主が養い育て、導いてくださったゆえである。奪う者から、与える者に、私たちも変えられ、成長させていただきたい。

本日はイースター礼拝

本日3/31(日)は「イースター礼拝」です。
イースターとは、イエス・キリストの復活を祝う礼拝です。

午前10:30~12:00となっております。
礼拝後は、お時間の許す方は祝会もどうぞご参加ください。
楽しいですよ!

お花がきれいな季節となりました(教会花壇)

それにしても、なぜ祝うのでしょうか?

イエス様は、私たち罪ある人間のために、その罪の責めを受けるために十字架にかかられ、そして罰せられ死刑とされました。何も悪いことをしておられない、正しい愛の方であったのに・・・。罪なき方だからこそ、罪ある者たちの肩代わりが可能であり、主イエス様は信じる者と一つとなって、その責めを負ってくださいました

信じる者は、イエス様と一つにされるという恵みがあるので、ともに十字架に葬られ、さばきが済み、罪の赦しがなされたことになります。ただ、死んだままではイエス様は「ただの人」でしょう。それを信じるクリスチャンも、ただの良い人を信じただけとなり、何の救いもそこにはありません。

ですから、キリストは三日目に死からよみがえられました
復活を通して初めて、イエス様が、神の子、救い主であるとの証明が事実なされたと言えます。それは同時に、イエス様と一つにされた者たちが、死んで終わりではなく、イエス様と同じように復活するという教えの証拠、根拠ともなりました。

死への勝利がなされた日です。
信じる者が、死を恐れなくて良いのはこのためです。
この希望をともに学び、この勝利の確信のうちに、平安をもって歩みましょう。



2024/03/27

ローマ書5章6-11節「キリストによる神との和解」

*** 3/27(水)祈祷会 説教概略 ***

 今週は受難週です。今週の金曜日が暦の上でイエス様が十字架に架かられた日として理解し、夜に受難日礼拝を持つ教会もありますね。私たちは先日の日曜礼拝と、この水曜の祈祷会において、主の十字架をともに見上げます。順番にローマ書を講解していますので、別の個所からとも考えました。ただ、内容的にイエス様の受難を覚えるのにふさわしい箇所であることを示されたので、そのままローマ書から語らせていただこうと思います。


2024/03/24

マルコの福音書15章25~39節「私の代わりに見捨てられた方」

*** 3/24(日)受難週主日礼拝 説教概略 ***

 先週は岩井先生のご葬儀がありました。息子さん、奥様のそれぞれのお話の中に、ユーモアもあり、暖かさがあり、希望がありました。クリスチャンにとって葬儀は絶望ではありません。なぜなら、キリストにある者は「死」に対して勝利しているからです。

 ローマ書8章には、たとえ「死」であろうとも、主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできないとあるのです(ロマ8:38-39)。


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