27節 草花がどのようにして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装ってはいませんでした。
28節 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、どんなに良くしてくださることでしょう。信仰の薄い人たちよ。
普段から花を見ながら過ごせるのはとても良いことです。
実にイエス様も、野に咲く草花を見て考えなさいと言われています。
イエス様は山や丘の上など自然の中で群衆に話されることも多かったことが聖書を読むとわかります。外の自然の中に身を置きながら、不安と心配に襲われている人々に「野の花を見なさい」と言われたのです。
27節 草花がどのようにして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装ってはいませんでした。
ここに登場しているソロモン王。彼はかつてイスラエルでも大変に栄華を極めた王様。それこそ彼ほど豪華に着飾った人はいないでしょう。煌びやかで豪華な衣装、宝石やアクセサリーも身に着けていたかも知れません。
ではなぜ、栄華を極めたソロモンでさえ、この花のしかも一つの花ほどにも装っていなかったと断言されるのでしょうか。
それは、神様が造られた美しい花に比べれば、人の手による人工的な装飾など足元にも及ばないということです。
人が造った作品も確かに素晴らしい。けれど、世界各地にある自然の美しさ、そのいのちの輝きには人工的にこしらえたものが及ぶことはありません。「造花」は確かに長くもちます。でも、造花が「本物の生ける花」に優ることはありませんよね?
そして、もう一つ注目したいことは、イエス様は人が毎日世話をしているバラ園のような場所に人を連れて来て語ったのではないということです。
野に咲く草花を人々に見せて、どうやって育っているのか考えて御覧と言われたのです。人が栽培している花ではない。けれども、神様が養ってくださり、養うだけでなく美しい花を咲かせてくださっているのです!
これらを見せ考えさせた上でこうおっしゃったのです。
28節 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、どんなに良くしてくださることでしょう。信仰の薄い人たちよ。
花の命は短いです。枯れてすぐに処分されるような草花。
けれども、そのような草花でさえ養い育て、ソロモンより美しくしてくださった神様は、人間に良くしてくださらないわけがないのです。
この花はどこから来たのか?
この世界の造り主が世界で一つだけのオリジナルとして造られ、養い美しく咲かせてくださっている。
私たち人間のことはそれ以上に大切に、養い育ててくださる。
神様によって咲いている花々。私たちはそれを見てほっとし、造り主なる神様に信頼してゆだねることを思い出す者でありたい。
引用元聖書
<聖書 新改訳2017>
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会