レビ記3章1-17節
旧約聖書のレビ記を味わいますが、この書が記されたのは、今から3000年以上も前のことになります。旧約とは名前の通り古い契約です。ですから、新しい契約つまり新約聖書によって「更新」されていますので、現代の私たちはこの通りに実行するわけではありません。しかし、その儀式の中に示された意味を学ぶことで、神様ご自身のことや救いの恵みについて学ぶことができるのは意義深いことです。
そしてその中には「和解」つまり、仲直りの意味も含まれています。それは人が神様に対して犯した罪、背いて無視して歩んできたことについて「神様ごめんなさい」という姿勢の現れでもありました。 実はそのために、2節にあるように「動物の頭に手を置き」罪を告白するのです。
罪深い自分の姿がその動物に投影され、自分の身代わりとして屠られるということです。
そしてほふった動物の血を祭壇に振りかけられます。
実はこれは新約時代のイエス・キリストの十字架を現しているのです。キリストは十字架の上で罪ある私たちの身代わりとして血を流されました。キリストの血による新しい契約によって、信じる者の一切の罪が赦され、神との親密な交わりを回復できるのです。これらはそのひな型なのです。
ただ、これは同時に人の健康を配慮してくださる神様の優しさでもありました。食に関する知識も技術もまだ不十分な時代にあって、神様は制限を設けることで彼らの健康を守ってくださったのです。これらの内臓脂肪を全部食べていたら、ユダヤ人は短命になったことでしょう。コレステロールがあっという間にたまり、生活習慣病まっしぐらです。現代のような治療薬もありませんから、死亡率がぐんと上がってしまいます。
3. 神様の声に聞くことで、真の楽しみ喜びに至る