東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 創世記 50章20節「神様のお計らい」

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すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

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2020/07/30

創世記 50章20節「神様のお計らい」

*** 7/29(水) 祈祷会 説教概略 ***

 誰もが疲れて来ています。頑張っていないなら疲れていないでしょうけれど、私が見る限り、皆さんはとても頑張っています。そもそもこの季節にマスク生活なんて例年では考えられないことです。それだけでもかなりのストレスではないでしょうか?




 マスクの暑苦しさ、声の聴きとりにくさ、話しにくさ。それにかゆくなっている人もいます。

 あるいは消毒のしすぎで副作用が出ている人もいます。

 そして友人と親しく食事ができない寂しさが常にありますよね。

 家族でさえ世帯が違えば、かなり気を遣います。握手もハグもできません。

 自分が感染する恐怖以上に、人に感染させる恐怖。

 感染した瞬間に被害者であるはずなのに、同時に加害者の位置に置かれ、世間から叩かれる恐怖にも怯える

 そもそもの感染源は外国であるのに、今は東京が悪者のようにも言われます。地方から来た人が持ち込んだという面も少なからずあるはずですが、東京由来と言われてばかり。

 犯人捜しのような風潮になっていることにも嫌気がさします。全体で感染者数が増えているというだけで、頑張っていても一切評価されず、「もっと気をつけてください」と言われてばかりですよね?私のところにも色々な方がコロナ鬱、あるいは疲れを覚えている、ネットばかりで嫌になる、友人と過ごせずさみしいなど様々な声が聞こえてきています。

 だからこそ疲れ果てないように、私たちはこの状況下で賢く歩みたいと思います。頑張っている皆さんを少しでも励まし、元気になって欲しいと切に願います。

 最初に次のみことばを少し味わいたいと思います。

伝道者7:13-14
13 神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできるだろうか。
14 順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。

「神のみわざに目を留めること」がまず大切です。

 神様が曲げられたものを人は受け入れるより他ありません。
 地球が丸いのを気にくわないと言っても、長方形に変えることもできないし、それは決して有益ではないでしょう。すべてのことが神の全世界を知る知識から判断され、ベストなものとして備えられているのです。私たちはただ、主のなさっていることを受け入れて、今の状況の中で神様が何をなさろうとされているのか。そこに心を向けるべきです。
 

「逆境の日によく考えよ」と語られています。

逆境に陥ると感情的になり、パニックになり騒ぎ始めるということが少なくありませんが、その時こそ神様が何をなさろうとしているのか、どんなご計画なのかと思い巡らす時です。

これもあれも神のなさることとして、すべては神の御手にあることとして神のみわざに目を向けてまいりましょう。

本日のみことばはヨセフ物語の結論とも言えることばです。

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50:20) 


 それはヨセフが置かれていた環境に関係します。ヨセフには上に10人の兄弟がいましたが、彼らにひどいいじめを受けていました。ヨセフが父親からひいきされていた(偏愛されていた)せいで、兄たちから妬まれ、生意気だといじめられていたのです。ヨセフ自身も空気を読めない性格で、それも災いしました。

 やがていじめはエスカレートし、彼を殺そうというところまでいきました。

 ただ、兄弟の中では殺すのだけはさすがにまずいとの声もあり、結果的には通りがかった商人に奴隷として売られてしまったのです。

 やがて彼はエジプトの侍従長ポティファルに奴隷として買い取られます。若い時に家族と離れ、外国のエジプトでの生活は本当に過酷でした。孤独であり、文化も違い過ぎる社会で、こき使われたことでしょう。

 それでも彼は、神とともに歩み、真面目にコツコツやって主人に忠実に仕えました。ところがそれなのに、主人の奥さんから言い寄られ、断り続けた故に、ウソの証言をされて奥さんに暴行を働いたとされて、牢獄に入れられてしまいます。

 その後、牢屋での日々においても、彼は神様とともに歩み認められていきました。ただ、そこでも助けてあげた人から約束を反故にされるなどの痛い経験を通ります。 


 彼の歩む人生を振り返ると、人々の悪意によって翻弄され苦しめられている姿を見るのです。

 しかし、それにも関わらず彼は少しずつ神様のご計画の中にあることを知ることになります。彼に授けられた二人の子どもたちの名前は、神が自分を顧み、苦しみを忘れさせて、祝福してくださったことを意味する名となっているのはその証拠です。

 挫折を繰り返しながらも、その人々の悪意が結果的に用いられてヨセフをエジプトの大臣の地位まで押し上げます。 

 やがて兄弟たちと再会し、彼らはヨセフに謝罪します。
 ただ、和解はしたものの、彼らはヨセフから自分たちが仕返しされるのでは?と恐れていたことが15節で記されています。父親ヤコブが亡くなったことで、ヨセフを制する者がなくなり、仕返しをし始めるのでは?と兄たちはひそかに恐れていたようです。


 ただ、神の人ヨセフはそんな小さなところだけを見ているのではありません。彼は悪意そのものに囚われず、神の大いなるご計画に目を向けていました。

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50:20) 

 背後におられる神様を見ています。

 実にこの神のご計画という視点で、これまでのヨセフの歩みを振り返ると・・・


 お兄さんたちにいじめられてエジプトに売られなければ、彼がエジプトに在住することにはなりませんでした。

 彼がポティファルの家で、その奥さんから自分に暴行を働いたとの濡れ衣を着せられなければ、彼が牢屋入れられることもありませんでした。

 牢屋に入らなければ、彼はエジプト王ファラオの臣下と知り合いになり、恩を売る機会を得られませんでした。 

 7年の大豊作と7年の大飢饉が起こらなければ(この飢饉は悲惨なものでしたが)、ヨセフの知恵が生かされて、彼がエジプトを救う英雄になることもありませんでした


 彼がエジプトを救った立役者になれたので、彼の指示で彼の家族一族(イスラエルの民)がエジプトの地に住むことが許され、生き延びることができたのです。
 

 ヨセフの人生は周囲の悪意や環境の変化に翻弄されているように見えます。でも振り返ってみると、一つの線でつながっているのです。

 それは「神の救いのご計画」という決して切れない一つの線です。

 今、私たちが置かれている世界。困難な状況です。

 でも、神様は悪意さえも、ご自身の尊い働きに用いることができるお方です。

 ここでは日本語で「謀る」と「計る」という二つのことばが使われています。

 人間の謀略という意味の悪だくみの「謀る」と、それさえも背後で益と変えられる神のご計画という意味での「計る」。

 人の謀ることは神の計っておられることにすべて吸収されるように生かされ、人間の意図を超えて神様のご計画が進むことを肝に銘じたいのです。

 私たちは主である方から目を離し、傷んでいる傷や苦しみばかりを見つめればどんどん沈んでいきます。確実に沈みます。

 ペテロがイエス様のところへ湖を歩いて行こうとしたとき、最初は水の上を歩けました。イエス様の奇跡のみわざがそこにあって、それを信じる信仰ゆえに水の上を・・・。ところが風が吹き、風や波に心が奪われイエス様から目が離れると、途端に彼は沈み始めました。

 私たちもすべてを導いておられる主から目を話してはなりません。
 そうなれば沈んでいくしかありません。沈まないためには神のみわざに目を留めることです。
 すべてを益とされる神のお計らいがあることを信じましょう。

ロマ 8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。


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今日は午前も午後も涙を流す日になりました。