東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ルカの福音書20章20-26節「神のものは神に返す」

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すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

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2020/08/10

ルカの福音書20章20-26節「神のものは神に返す」

*** 8/9(日) 礼拝説教概略 ***

半沢直樹というTVドラマをご存知でしょうか?
池井戸潤という方の小説をもとにドラマ化されたものです。

7年ほど前に放送され、平成で第一位の視聴率を記録した人気ドラマで、最終回の平均視聴率は40%超えという人気ぶりでした。今はその続編が放送されていますが、内容自体は結構難しくて、銀行融資や証券取引などの専門用語が連発されています。

それでも惹きつける魅力に、練られた脚本、役者の演技力、そして・・・

「ことばの力」があるのでは?と思います。

以前の作品では「やられたらやり返す、倍返しだ」ということばが流行語になりました。ことばだけを見れば聖書的じゃない感じもしますが、やられたら恵みに変えて倍返しと私は申し上げていました。

今回はクリスチャンにもそのまま受け入れやすいことばが序盤からキーになっています。「施されたら、施し返す。恩返しです!」

先週は「大事なのは感謝と恩返しだ」というセリフも登場しました。

クリスチャンも胸を張って使えそうなことばです。


 本日のテーマは、「神のものは神に返す」です。

イエス様が「カエサルのものはカエサルに」とおっしゃるように、私たちはこの世に対しても「借り」があったままではいけず、義務や責任を果たすべきことを教えられます。

同時に、神様からいただいている恩寵に感謝し、少しでもお返ししていきたいと思わされます。私自身も自分のような人間は牧師としてふさわしくないと思う事がありました。でも、それでやめるとしたら、神様にあまりにも何もお返しできていない。

「自分はダメだ」と何もしないで逃げるようなら、神様がくださった救いのご恩に何もお返し出来ていない。そう思うと、今まで以上に神様にお返しできるようささげていくことが、愚かな自分にできる最大の恩返し、神の恵みへの応答だと思わされます。

一生かかってもたいしてお返しできないほど、神様からの恵みは大き過ぎるのですが、いくらかでもお返しさせていただきたいと思うのです。

主イエス様は「受けるより与える方が幸いである」と教えてくださいました。受けてばかりの私たちですが、いただいている恵みを覚えて、少しでもお返しさせていただきましょう。



20節にこうあります。
20節 さて、機会を狙っていた彼らは、義人を装った回し者を遣わした。イエスのことばじりをとらえて、総督の支配と権威に引き渡すためであった。 

自分たちより人気があり、自分たちの間違いを平然と指摘するイエス様に対して、嫉妬心や怒りがメラメラ燃えている人々がいました。

19節でも登場している律法学者、祭司長たちです。

人々の手前「良い人」でありたいと願う彼らは、イエス様を悪人に仕立て上げようとします。そこで彼らは「義人を装った回し者」をイエス様に送りこみます。それはイエス様をことばの罠にかけ、願わくば逮捕するためでした。

彼らはイエス様をおだてながら、悪意に満ちた質問をしていきます。

21-22節です。 21節 彼らはイエスにこう質問した。「先生。私たちは、あなたがお話しになること、お-教えになることが正しく、またあなたが人を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。22節 ところで、私たちがカエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。」 

カエサルというのは、当時のローマ帝国の皇帝を指します。ローマ帝国はユダヤ人に一定の自治権を与えつつも、彼らを支配的していました。そういう状況ですので、当時のユダヤ人の中には真剣にこう考える人たちがいました。「私たちは神の民ユダヤ人なのだから、ローマの支配ではなく、神の支配にある!だからローマには税金を納めない!」。私たちはあくまで神の民だ。ローマに屈しないという人たちです。

ですから、イエス様が「税金をローマに納めなさい」と言うなら、こうしたユダヤ人が大反発し、自分たちはローマの迫害を受けながらも神様だけに忠誠を誓っているのに!!とイエス様が嫌われると考えました。


また反対に、イエス様が「納税を拒否して神にのみ納めよ!」と答えるならば、今度はどうなるでしょうか??

ローマ帝国から目をつけられます。民に税金を納めないよう指導する反乱分子として逮捕される危険が出てきます。 

今や多くの人がその教えに感動しついて来るイエス様です。影響力が違います。ですから、ワナにはめたい人々はそれを逆手に取って、イエス様が総督たちから逮捕される理由を作りたかったのです。


 イエス様はどうされたのでしょう?
23節 イエスは彼らの悪巧みを見抜いて言われた。
24節「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。だれの肖像と銘がありますか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。 


イエス様はまず、銀貨に彫られている肖像と彫られている名前を確認しました。それは誰のものですか?と。銀貨には皇帝カエサルの肖像とその銘が彫られていました。それはどういう意味でしょう。

カエサルの命令の下、カエサルに属する人々がこの銀貨を製造し、カエサルの責任において配布しているということです。

 銀貨を作るのにもお金がかかります。人件費、材料費も、その手配すべてにおいてローマ帝国政府の犠牲が必要です。その銀貨を所有し、利用している以上、その恩恵を受けていることになります。

 イエス様は、そうであるならば、カエサルのものはカエサルに返すべきと言われたのです。25節です。 

すると、イエスは彼らに言われた。「では、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」  

 実はここで、イエス様は、「税金を納めなさい」とは言わず、「返しなさい」ということばを使いました。「返す」と訳されている言葉には「借りを返す」とか「当然払うべきものを払う」という意味があります。

カエサルの肖像がある銀貨を利用し、その恩恵を受けているならば、当然にそこに「借り」があるので返すべきなのです。これはキリスト者の倫理として当然のことです。単純に納税の義務云々と言う前に、お世話になり恩恵を受けているのだから、一部を返すことは当然という考えが土台にあります。

私たちも日本人である前に、天国人だと主張して天に税金を納めます!日本には納めません!という幼稚な発想をすべきではありません。

ローマ13:7-8にもこうあります。

7節 すべての人に対して義務を果たしなさい。税金を納めるべき人には税金を納め、関税を納めるべき人には関税を納め、恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。
8節 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。
 
 ただ、当時のユダヤ人たちもローマ帝国の支配に対して多くの不満があったでしょうし、国や自治体が税金に見合った働きをしてくれているのか?という問題は確かにあります。その時に私たちはどう考えた良いのでしょうか?

 2週前の高橋先生のメッセージでも、様々な不条理な中で、神様に叫びながら生きて行くという話があったと思います。不条理なこの世界に対しても、私たちが誠実を尽くす理由は一つです。神様のみこころに誠実に生きたいからです

 この世に不正が満ちていて、不条理だらけでも、尊敬できない指導者であっても、それでも私たちが彼らのために祈り、彼らを愛し、お世話になって感謝ですと生きる理由は、神様がそう教えておられるからです。

 みことばに忠実に生きたいと願う結果、そうなります。

 当時のユダヤ人もローマに税金を納めたくない事情がありましたが、主は彼らに借りがあってはいけない、義務を果たせと言われるので、そうするのです。この世界の造り主がそうおっしゃるからです。 

 この考え方は25節後半の「神のものは神に返しなさい。」ということばに繋がっていきます。

 税金だけ納めていれば、神の前に誠実か?と問われれば不十分です。

 先ほどは、銀貨の肖像と名前は誰のものかとのイエス様の問いがありました。

 それはカエサルだったので、カエサルに返すように言われました。

 では・・・

私たち人間には誰の肖像と名前が彫られているのでしょうか? 

私たちには、神の肖像が彫り込まれています。

創世記にあるように、神様は私たち人間を「神のかたち」に造られました。まさにそれは「神の肖像」を私たちの中に埋め込まれたということです。また、私たちはイエス・キリストの御名を信じて、キリストにある者という意味の「クリスチャン」「キリスト者」と呼ばれるようになりました。キリストの名が刻印されているのです。ですから、私たちは「神のもの」です。

 私たちが神のものであるなら、私たちは何を神様にお返しするのでしょうか。あなたならば、何を神様にお返しすべきだと思いますか。何がお返しできるでしょうか。

献金でしょうか。奉仕のわざでしょうか。福音を伝えることによってでしょうか。あなたの手で作った何かでしょうか。具体的には色々ありそうです。

ただ、本当に返すべきはアナタの手がなした何かではなく、アナタの発した言葉ではなく、アナタの心、アナタ自身ではないでしょうか?

 マルタという姉妹はイエス様のために本当に忙しく給仕し、おもてなしをしました。でも、肝心の心をイエス様に向けていなかったので、イエス様はそれを喜ばれず、本人も心が満たされないでいましたよね。

神様は何よりもアナタ自身に戻って来て欲しいと願っています。

 ミカ書6章でも、神様があなたに求めておられることはたくさんの献げ物などではない、アナタ自身なのだと語られています。

私たちの心には、まだ神様にお返ししていない暗いカギのかかった部屋があるのではないでしょうか?神様に喜ばれない部屋。隠せていると思い込んでいる闇の部屋です。神様はその部屋の隅々までご存知でいらっしゃいますが、アナタ自身がその部屋の扉を開くのを忍耐深く待っておられます。無理やり部屋をこじあけず、神様ご自身心を痛めつつ、待っておられるのです。

イエス様はこの時、自分をワナにはめようと遣わされた人や、彼を送り込んだ律法学者、祭司長たちをも見ておられました。彼らもまた神様によって造られ愛されている神の所有の民なのです。

彼らも神の肖像を彫り込まれた大切な神の器、神のものなのです。

彼らのことを覚えつつ、神のものは神に返しなさいと言われました。

彼らこそ帰るべきところに帰って来て欲しかったのだと思います。あなたがた自身、聖なる神のものなのだから、神の子を罠にはめるような事に心を注いでいないで、あなたの神の本当の願いを知って、神のもとにあなた自身を返しなさいと主は願っておられたはずです。

Ⅰコリント6:19-20をお開きください。 
19節 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
20節 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。 

 神の子イエス・キリストのいのちが、あなたを罪と悪魔の支配から買い戻すために支払われた代価です。支払われた代価はあまりにも尊く、高価な神の子のいのち。そうまでして神のものとされた私たちなのです。

 

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