東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: ルカの福音書20章27-40節「上を向いて生きよう」

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すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

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2020/08/31

ルカの福音書20章27-40節「上を向いて生きよう」

*** 8/30(日) 主日礼拝 説教概略  ***

 昨今の歩みの中で、もはやコロナ問題は短期で終わることは難しく、長期化を受け入れざるを得ない状況となっています。Withコロナ」と言われますように、コロナがあることを前提にどう生きていくのかという事と、そろそろ向き合っていかなければと私も思っています。もちろん早期の完全収束を願う者ではありますが、現実を受け入れて工夫していくことも必要ですよね。

ですから「いつまで我慢すればいいのか?」と下を向いてばかりいるのではなく、この状況の中でどう生きていくのか問われています。

今日私たちは「上を向いて生きよう」というテーマで教えられます。


 有名な歌と少し似ているタイトルになってしまいましたが、内容はだいぶ異なる話になります。「上を向いて」とさせていただいた意味は、ただ前に進もうとか、何か良い事を探そうということではなく、上にある確かな望みに目を留めること、上からの知恵と力をいただいて歩むということです。
 
 それはもちろん主なる神様に目を注ぎ、神の国に属する者らしく生きるということです。イエス様を信じて受け入れた者は天に名前が記されるようになりました。天に国籍を持ち、天を故郷(ふるさと)としながら、この地上で神の国の大使として生きる者です。

 ですから、この地上の悲しみ苦しみに支配されるのではなく、天にある永遠の希望に心が満ち溢れて生きていこうということです。天に国籍を置く者は決してこの世のどんな力にも、闇の支配にも、ましてコロナにも屈しません。


27節 復活があることを否定しているサドカイ人たちが何人か、イエスのところに来て質問した。 
 サドカイ人たちの質問で幕を開けます。質問をとても簡単に説明すると、「一人の女性がある男性と結婚したものの、ご主人が亡くなり、その弟と再婚をした。その弟も亡くなり・・・そのように再婚を繰り返し7人の兄弟と順番に結婚した場合、天国では誰の奥さんなのですか?という話です。

 彼らはそもそも復活などない!と主張していましたから、「仮に復活があるとするならば、こういう問題が出て来てしまうではないですか!」と意地悪く尋ねているのです。イエス様を困らせようという悪意によるものでした。

 イエス様には、他にも色々な質問が投げかけられて来ました。ただ、イエス様はそれらに対して、いつも決まった基準をもってブレることなく応じておられました。時には、質問に対して全然答えになっていない?と思われるような答え。あるいは逆に質問で返されることもありました。ただ、それらもすべて同じ基準に根ざしたイエス様のレスポンスでした。

 ヘンリー・ナーウェンはこの点を指摘してこう言います。「イエスは下から投げかけられた問いに、上から答えているのです。」 

 「下から」とは、この世的・人間的価値観から出される問いで、それに対して「上から」とは、天の神様から来る答えということです。創造主、全知全能の方からの上からの知恵です。
 
 しばしば私たちキリスト者は下からの問いに、同じく下からの答えで応じようとしていないでしょうか?少しも神の国の価値観で応じていないことがあるのではないでしょうか?

しかし、私たちは何者でしょう?十字架の恵みによってどのような者とされているのでしょう?
 一体どれだけ教会に通っているのでしょう?どれほどの力を御霊によって与えられているでしょう?

 キリストにある者の答えは「上からのもの」でありたいのです。御国の相続者、神の子とされた者であるならば、御国の価値観、父なる神の声を届けたいですよね?

 ヨハネの福音書3章ではニコデモというユダヤ人教師が登場します。イエス様のもとをこのニコデモというユダヤ人教師(ラビ)が訪れたことが記されています。教師ニコデモはイエス様に質問し、その答えを聴くのですがチンプンカンプンです。会話がかみ合いません。

 なぜなら、ニコデモは「下からの考え」で議論し、イエス様は「上からの答え」を与えたからでした。ですからイエス様は彼に言いました。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハ3:3)と。 
「新しく」の部分は実は「上から」とも訳すことができるのです。「上からの力で新しくされなければ神の国は見えない」と主は言われたのです。

ここに登場しているサドカイ人もニコデモと同じです。神の国のことなのに、地上の人間の知恵と価値観で解釈しようとしているので、さっぱり見えてこないのです。そこには神の全知全能のお力など少しも考慮されていません。自分たちの小さな脳みそでいかにも自分らが物知りであるかのように、下からの質問をぶつけているのです。

 イエス様の答えはこうでした。34-36節 
34節 イエスは彼らに言われた。「この世の子らは、めとったり嫁いだりするが、
35節 次の世に入るのにふさわしく、死んだ者の中から復活するのにふさわしいと認められた人たちは、めとることも嫁ぐこともありません。 
36節 彼らが死ぬことは、もうあり得ないからです。彼らは御使いのようであり、復活の子として神の子なのです。

 「次の世」とは、復活した者が入る天国のことです。そこでは死ぬことがなく、別れも悲しみもないので、結婚という制度そのものが不要です。それ以上の豊かな良いものが用意されているということです。御使いのようであり、神の子として完全にされ、死もなく悲しみもなく、病もなく別れもなく、永遠に神様の栄光に満ちた幸いな世界に歩みます。

 もちろん、この地上で歩んだ夫や妻、親兄弟、友人とのすばらしい再会の喜びがあり、別れももうありません!!すべての兄姉と深い愛の絆で結ばれ楽しく健やかに歩めます

 それに引き換え、サドカイ人たちの投げかけた質問は、一見天国についての関心事のようでいて、実は「この世の関心事」です。この世の価値観を天国に当てはめており、どこまでもこの地上に縛られているのです。

 以前、ある兄弟がアメリカの教会で行われた葬儀の動画を見せてくれました。葬儀なのに皆さん穏やかで笑顔があり、心から神様を賛美して愛する人を天国に送っていました。葬儀なのに笑い声が響きます。神様を信じない人からしたらカルチャー・ショックでしょう?
 
 私も父を送る時に、なぜか悲しみだけでなく笑顔で送れたと言いますか。不信仰な父でありながらも、神様がちゃんと父を迎えてくださるはず!と思うと不思議な安心感がありました。これが天の御国を相続する者の価値観です。葬儀でさえ下を向いておらず、主なる神様を礼拝し上を向いているのです。

 イエス様は続けてこうおっしゃいます。37-38節 
37節 モーセも柴の箇所で、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、死んだ者がよみがえることを明らかにしました。 
38節 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。神にとっては、すべての者が生きているのです。」 

 37節は出エジプト記の3:6の引用で、神様はご自分をモーセに紹介する際に、「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言われました。

 この時には既にアブラハムもイサクもヤコブも死んでこの世の人ではなくなっているのに、神様は現在時制で「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言われたのです。「わたしは、かつてアブラハム、イサク、ヤコブの神だったという過去形ではなく、「今も私は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神としてここにある」とおっしゃったということになります。

 それは彼らが今も生きているという前提で、死者のよみがえりを明らかにしたものです。それで「生きている者の神」だと主は言われるのです。

 私たちの信じている神様はあらゆるものを創造された「いのちの主」です。死んだ者の神ではなく、生きている者の神様だということです。

 50代のある男性が末期の癌となり、奥さんにだけ医師から告げられました。奥さんはクリスチャンでしたが、目の前が真暗になりました。子どもたちに涙を見せられないので、家では泣けず、夜、家を抜け出して泣いたそうです。いっそご主人と一緒に死んでしまいたいとさえ考えたそうです。

 今日のテーマからすると、これは下からの考え、人の思いですよね。彼女はなんとか家に戻り神様に祈り続けました。するとイエス・キリストが『私が力を与える』と上からの答えをくださったのです。

 彼女はそれで、ご主人が亡くなっても二人の子どもと生きていく!と決心できました。その後、この奥さんは、祈りながらご主人に事実を伝えました。まだ未信者だったご主人はすごく悩み苦しみましたが、奥さんが通う教会の牧師の訪問を受け入れ言いました。

「先生、私は死の準備がありません。どうか、私を救ってください」。

 そしてご主人は牧師を通して、イエス・キリストの十字架の死と復活を信じて、「永遠のいのち」を受け取り、病床で洗礼を受けました。間もなくしてご主人は天に召されました。

 ご主人は長男にこのような手紙を書きました。「お父さんは病に倒れたが、そのことによって主イエス・キリストを知った。それは、すばらしいことだと思わないか。父親を亡くした君の人生は、平坦ではないが、主イエス・キリストに頼って生きれば、すばらしい人生が与えられる。また天国で会おうぜ」。 

 奥さんに書かれた遺書の中には、「私はあなたによって、二度、生まれ変わりました。」とのことばがあったそうです。「二度」というのは、おそらく奥さんとの出会いで、生まれ変わったという意味でしょう。もう一つは奥さんを通して主イエス様に出会って生まれ変われたという感謝だと思います

 さらに後半にこのようなことばがありました・・・ 「今、愛の中に死にます。そして、今、主の愛の中に新しく生き、あなたを待ちましょう。ありがとう。再び、心からありがとう。二人の息子を残されて、これからのあなたの人生は、決して平坦ではないことを知って、つらい思いでいますが、道は必ず開けます。二人の息子を信じ、たくましく生きてください。あなたなら、必ずやってゆけます。なによりも、あなたがた3人には、主イエス・キリストの衣があるではありませんか。感謝と励ましと、愛を込めて」。 

 絶望し一緒に死にたいと考えた奥さん、事実を知りもがき苦しんだご主人。
 でも、このご夫妻が神様の救いに目を向けた時、全く異なる価値観でこの死を受け入れていったことを感じます。このような神の国の価値観に、上からの恵みで生まれ変わったご主人の手紙です。

 今日登場しているサドカイ人の愚かな質問と、このご主人の新しい価値観。
 あなたならどちらの価値観に生きたいですか?
 
「復活だって?何人かの人を結婚を繰り返したら、誰がその人の奥さん?旦那さん?」

 そんな小さな事に縛られて「永遠のいのち」の価値観にたどり着けないとは、なんと悲しいことでしょうか?

 地面の小さな石ころばかりを見る歩みではなく、主がおられる天を仰ぎ見ながら、神の国の価値観に歩んでいきましょう。

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