東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅱコリント9章6-15節「与える喜びに生きていく」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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現在、コロナの感染状況を考慮し、夜の祈祷会はお休みしています。先日の地震で被災された方々の上に神の慰めと支えがありますように。

2022/04/04

Ⅱコリント9章6-15節「与える喜びに生きていく」

*** 4/3(日)主日礼拝 動画配信 ***

Ⅱコリント96-15節「与える喜びに生きていく」

 2022年度の年間聖句として、本日開いている第二コリントの97節のみことばを選ばせていただきました。私たちはこれまで多くの方々から祈られ、支えられ、豊かに与えられてきました。今もそうです。

 そして、それらは「受けて当然」のものでは決してありません。むしろ、多くの方々が本当に大きな犠牲を払って、思いを込めてささげてくださった尊いものです。そこに愛がありました。祈りがありました。


 そのすべてを背後で導いてくださった神様は、それこそ愛する御子イエス様までも与えてくださったのです。これ以上ないほどの尊い犠牲をもって、私たちを救い出し、この教会に豊かに与えてくださいました。 

それゆえに今があるのです。私たちは新しい会堂も与えられ、若い世代も成長し、徐々に色々なことで協力、貢献できるようになって参りました(嬉しいことです!)。

ですから、これらの恵みに心から感謝し、この愛に応えて参りたいと思うのです。受けた恵みを覚えて、少しでも神様にお返しする群れとなりたいと願うのです。それは主ご自身の切なる願いだからです。

神様が、ご自分に倣って、隣人に豊かに与える群れとなって欲しいと願っておられます。神様のお心と同じ心で生きることです。みこころを我らの願いとすること!

豊かにされて与える力を持つことができるようになったのならば、それは人々の救いのため、困っている方々を助けるため、人を励まし支えるためにそうしていただいたのです。少し前に大ヒットした「鬼滅の刃」という漫画の中で、あるお母さんの息子に対する教育のことばがあります。こんなセリフです(一部抜粋です)。

「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。天から賜りし力で人を傷つけること私腹を肥やすことは許されません。」 

「天から多く賜ったのならば、それは自分の欲のためではなく、世のため人のために使われねばならない」との教えです。

なお、聖書では、このように語られています。

ローマ15:1 私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。15:2 私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。 

もちろん自分たちの必要のためにも用いるべきです。しかし、自分たちを喜ばせることに終始せず、与える群れとなりたい。

とても興味深い神の恵みの法則は、与える者となる時にさらに豊かに受ける者となることができるということです。なぜなら、神様は良い働きをどんどんして欲しいと願っているので、良い働きに有効に用いる者たちにこそ、どんどん賜物や財をあずけてくださるからです。 

本日は「与える喜びに生きていく」というテーマでみことばから教えられて参りましょう。与える喜びというものについて、2つの点から語られます。


1. 豊かに与える者は、豊かに受ける

まず、6-7節をご覧ください。パウロが「私が伝えたいことはこれだ」とまとめています。

6節 私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます7節 一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。 

  ここでは、神様のみこころの働きのために「ささげる」「与える」ということが、農業の「種蒔きと収穫」に例えて語られています。「ささげる(与える)」ことを、種蒔きと収穫に例えてしまうとは、聖書はなんと大胆なのでしょうか! 

 確かに農業の話であれば、種を1粒しか蒔かなかった場合と、100粒蒔いた場合では、収穫に違いが出るのは当然ですよね。ですから収穫を多く得たいのなら、多く種を蒔きましょうというのはもっともな話です。

 しかしながら、例えば「献金」をそれと同じように、「多くささげれば、多く受けるのだ」と言い切るのはすごいことです。本来ならば、収穫は本当にあるのだろうかと疑問に思うのも無理のないことかも知れないからです。

 しかし、神様を知る者は「みこころに沿ってささげた」ことを、主がことごとく覚えておられ、それに応じてふさわしく報いてくださることを知っています。それどころか、何十倍に、何百倍と豊かにしてくださる主です。

 そして、さらに与えることができるようと増し加えてくださるのです

 7節の最後に「喜んで与える人を、神が愛される」と語られています。もちろん、与える人でなければ愛されないという否定的な意味ではありません。与える者へと変えられて行く時に、主はその成長を格別に喜んでくださり、祝してさらに多く任せてくださるということです。

これは中高生の働きをさせていただく中で、私自身も目撃し主から教えられてきました。

今回、2日間に渡るデイキャンプが持てて感謝でした。同じ場所でともに遊び、賛美がささげられるだけで励まされました。

その中で、高校を卒業する子の中に「最初はこの集まりが嫌だった」と正直に話してくれる子がいました。特に同学年の友だちがあまりおらず、さみしくてと。緊張もあったでしょう。知らない人が大勢いる中に入るのは本当に大変です。自分だけが一人ぼっちな気がしてしまうのです。気持ちはとてもよく分かります。

それでも、スタッフの方たちを初め、みんなが声をかけてくれて、祈り支えられ、繰り返し誘ってくれて。そのようにして卒業の時には「ここが大好きになった」と言ってくれました。さらに素晴らしかったことは、同じように感じてるであろう中高生たちに、だからやめないで続けて参加して欲しいと励ましてくれたことです(正確なことばは覚えていませんが・・・)。

彼の体験と証しをもって、後輩を励ましてくれたのです!まさに「受ける者が、他の子たちを思いやり、与える者へと変えられてきた姿」です。「自分を見て欲しい」から「隣人を愛そう」と変えられた。この時ほど、スタッフや顧問をしていて嬉しい瞬間はありません。涙腺崩壊ですね。

 スタッフたちも多くの犠牲を払って、苦闘しながら歩んできました。コロナ下では本当に毎回議論をし、悩み葛藤し、苦しんで準備してきました。だから、一緒に会えただけでも神様からプレゼントをいただいたなと思えた。けれど、それどころか、主はそのような中高生たちの成長や笑顔をくださった。この与える者は、さらに受けるという教えは、実に物理的な話で終わらず、より霊的な意味をもって語られているという点が素晴らしいのです。

神様からいただける恵みはプライスレスであって、お金には代えられない尊いもの、「霊的な見返り」が豊かにあります。お金は冷静に見れば、ただの金属か紙きれで価値も大きく変動します。大事にしていても失うことがいくらでもあり得ます。天国にも持って行けません。そして、お金がいくらあっても、友達がいない、喜びも感動もない人はなんとさみしいことでしょうか。

聖書は世のお金を用いてでも、人を救い、天の友を得るようにとさえ教えます。つまり、お金は道具に過ぎず、それを永遠に残るものを生み出すためにどう用いるか!そこがポイントなのです。主のみこころに沿って、豊かに与えるものは、主が豊かに報いを備えてくださるということを覚えたいのです。8節にもこうあります。

8節 神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。 

神様が豊かに与えるその目的がここにあります。目的は?私たちがすべて良いわざ・働きに満ち溢れるようになるためです。ですから、豊かに与える者に、当然に神様はさらに増し加えてくださるのです。主が私たちの想像以上の良きもので、さらに返してくださるので、ささげ与えることは楽しくて仕方ない!

 

2.喜んで与えることは、神への感謝と賛美を生む 

 
 そして、主は心をも見ておられますから、その動機についても教えられています。イヤイヤではなく、喜んで与えるようにと言うのです。そして、そのように喜んで感謝にあふれて与える姿は、どんなにかそれを見る人々に感動や勇気をもたらすことでしょうか。

 私たちが喜んで与える者となるということは、「主のお姿に近づいていく」ということなのです。受ける者から、与える喜びに生きていく者とされるなら、そこに「小さなキリスト」が生まれたようなものです。

 キリストがご自身のいのちまでも喜んでささげるほどに人々を愛された姿。それに近づいていけるなんて、なんて嬉しいことでしょうか。その歩みは、支援される側の人や、それを見ている人々に霊的な恩恵を豊かにもたらすのです。

 その結果、そこに感謝、賛美があふれるようになります。 12-13節にこうあります。

12節 なぜなら、この奉仕の務めは、聖徒たちの欠乏を満たすだけではなく、神に対する多くの感謝を通してますます豊かになるからです。
13節 この務めが証拠となって、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、自分たちや、すべての人に惜しみなく与えていることを理解して、神をあがめるでしょう。 

 愛による支援の働きは、聖徒の欠乏を満たすだけでは終わらないのです。それは、神様への感謝や賛美を生み出します!大きな励ましになります! 13節にあるように、口先ではなく、本当にキリストの福音を信じてそこに生きているのだ!という証拠・証明となり、より多くの人々が神様ってすばらしいお方だとあがめるようになると言うのです。それゆえに、そこに親しい交わりも生まれて参ります。14節。
 
14節 そして彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた、神のこの上なく豊かな恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになります。

そして、本当にことばに言い尽くせないほどの恵みがここにあります。
15節 ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。

 ご一緒に、主のみことばに聞いて参りました。 語られたことに私たちはどのように応答して参りましょうか。この恵みにどのように応え、何を与えていけるのでしょうか?

(1)キリストの福音の種を蒔きましょう!

救いの良き知らせを人々に与えていきましょう。このために喜んであらゆる賜物を注ぎましょう!これこそ、むなしく消え去るものではなく、永遠のいのちに至るプレゼントなのです。これこそ、クリスチャンであるアナタにしか、与えることのできない恵みのプレゼトですよね。

 2)与えられた賜物で人々を助け励ましましょう!

 本日はウクライナの支援献金もささげますが、今後も困っている人々を助ける働きをして参りたいと思います。自己満足とならないように。経済的なことだけでなく、愛をもって、皆さんに与えられた賜物を存分に用いて、人々を慰め励まし愛を示しましょう。

 

(3)新しい群を生み出しましょう!

 もし、「与える喜びに生きる教会」が1つではなく2つになれば、もっと多くの人に良きものを分け与えることができるでしょう。4つになればさらに増えるでしょう。日本には教会が多いとはまだまだ言えません。私たちの祈りのうちに、新しくキリストの教会が生み出されるよう祈り、準備して参りたいと思います。



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