東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 創世記24章「忠実なアブラハムのしもべ」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2022/05/05

創世記24章「忠実なアブラハムのしもべ」

*** 5/4(水)祈祷会 説教概略 ***

創世記24章「忠実なアブラハムのしもべ」

 今日は名前の記載がない人「アブラハムのしもべ」の姿に目を留めつつ、みことばに語られて参ります。彼は最年長のしもべであり、イサクのお嫁さん探しを任せられた人でした。神の契約のもとでの「信仰の継承」という意味で、お嫁さん探しはとても重要なものでした。当時、彼らが住んでいた場所はカナン人の地です。周囲は聖書の神様を信じない人であふれていました。


 しかし、手軽にそこにいるカナン人と結婚するのではなく、同族の聖書の神様を信じる女性の中から、ふさわしい女性を迎えるようにという使命です。そのために全権を任されたのがこの「最年長のしもべ」でした。3-4節。

3節 私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私はカナン人の間に住んではいるが、あなたは、その娘たちの中から、私の息子の妻を迎えてはならない。
4節 あなたは、私の国、私の親族のところに行って、私の息子イサクに妻を迎えなさい。」

 このようにアブラハムから命を受けました。しもべはこれを聞いて理解しつつ、一つ大切な確認をしていることがわかります。彼は5節にて、「もし、その女性がこちらについて来ないならば、息子のイサクを相手の女性の地へ連れて行くのですか?」と尋ねました。アブラハムは答えます。それをすべきではないと。なぜでしょう?7節です。

7節 天の神、主は、私の父の家、私の親族の地から私を連れ出し、私に約束して、『あなたの子孫にこの地を与える』と誓われた。その方が、あなたの前に御使いを遣わされるのだ。あなたは、そこから私の息子に妻を迎えなさい。 

 アブラハムが大事にしたことは、神様の誓いのことばでした。『あなたの子孫にこの地を与える』と主が言われたのだから、息子を奥さんの住む地へ行かせてはならないのだと。

 その娘さんが来ないなら、その人はみこころではないのだということも8節で触れています。アブラハムのしもべは、こうしてアブラハムの意図を丁寧に理解した上で誓いを立て、派遣されました。

 しもべに求められることは「忠実さ」ですから、遣わす方のこころを丁寧に理解することが最初に求められます。私たちもキリストの弟子、神のしもべとされた者。主である方の意図、お心をよく聞いて丁寧に理解することを大事にしたいですよね。 



 さて、このしもべは10頭のらくだを連れ、主人から良い品々を預かって旅立ちました。住んでいたカナンの地から北東にあるナホルの町に行き、その井戸で休み、神様に御心の女性がわかるようにと願い祈り始めました。

 特に、「水を汲みに来る女性の中で、自分だけでなく、らくだにも飲ませてくれる女性。そのような人こそ、イサクにふさわしい女性であると考えます。そのように導いてください」と言いました。

実に、この基準はよく考えられたものでした。当時の社会では「旅人をもてなす」ことは大切な習慣、礼儀作法でした。また、私に飲ませて下さいと言った時に、進んで「らくだにも飲ませてあげましょう」と言ってくれる人。それは、気配りができる親切な人ですよね。さらに、らくだは大量の水を飲む動物です。一度に80リットル飲むと言われます。飲ませるのは重労働です。肉体的にも健康で働き者であることを確認する機会です。


 さて、神様への祈りが終わらないうちに、さっそくリベカという女性が水をくみにやってきました。しもべが水を少し飲ませてほしいと頼むと、彼女は快く飲ませてくれました。さらに、19節です。
1
9節 水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのらくだにも、飲み終わるまで、水を汲みましょう」と言った。 

 こうして、彼女は何度も井戸を往復して水を飲ませてくれたのです。気の早い方は、主が祈りに応えられた!もうこの人だ!!と思ってしまうでしょう。

 しかし、彼はそうではありませんでした。21節です。

21節 この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。 

 思慮深いですよね。勢いや一時の感情で走らず、主のみこころを知ろうとして、黙って彼女を見つめていたのです。それゆえ、しもべは結婚の話を急ぎません。

 彼女が何者かを聞くと、イサクのいとこに当たることが分かりました。

 同族の中からという条件にも合致していることを知ります。

 とにもかくにも、このような女性と出会わせてくださった主に彼は礼拝をしています。
26-27節です。

26節 その人は、ひざまずき、主を礼拝して、27節 こう言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は、私の主人に対する恵みとまことをお捨てになりませんでした。主は道中、この私を導いてくださいました。主人の兄弟の家にまで。」 

 彼は名前も記されず目立たない。しかし、忠実です。神様に祈りながら、礼拝しながら過ごしています。自分たちの名を上げるため、高い塔を建てようとした「バベルの塔」の人々とは全く反対の姿です(現代でも高層マンションの上の階ほど、ステータスが高いとされる価値観がありますね)。

 また、この嫁探しの旅のすべてが、主の御手にかかっている彼が信じていることが言動に現われていますよね。 

そして、彼の忠実さ、丁寧に使命を全うしようとする姿が33節以降にもあります。

33節 それから、彼の前に食事が出されたが、彼は「私の用件を話すまでは、いただきません」と言った。 

 私なら、ではまず美味しくいただいてから!となりそうです。でも、彼がいかに主人アブラハムに対して忠実であるか、彼の神である主に対して忠実であるか。それがここにもよく現れていますよね。「用件を話すまでは、いただきません」と少し堅苦しいほどに。

 こうして、彼はここに来た事情の一部始終を話し、リベカの母と兄に伺いを立てます。彼が結果を神様にゆだねていることが、49節のことばに現れています。

49節 それで今、あなたがたが私の主人に恵みとまことを施してくださるのなら、私にそう言ってください。もしそうでなければ、そうでないと私に言ってください。それによって、私は右か左に向かうことになります。」 

 ノーなら、私は右か左か、別の方を探しに行きます。淡々とその使命を全うしようとします。感謝なことにリベカの母ベトエルも、兄のラバンも「主から出たことですから」と快諾してくれました。

しもべは52節で、この返事を聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝しました。 

 神様を礼拝しながら生きている。そんな姿に見えます。アブラハムから信仰を育てられたということかも知れません。

 これでようやく、このしもべと彼について来た従者たちも食事をして休むことができました。ただ、なお、このしもべの忠実さが翌朝に見られます。リベカと別れを惜しむため10日間猶予をくれという話が提案されますが・・・。

56節 しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。主人のところへ行けるように、私を帰らせてください」と言った。

 しもべは、自分の権限で動いていません。ですから、主人の許可もなく花嫁が見つかっていながら、のんびり滞在してご馳走を食べてとはしなかったのでしょう。見つかったのだから早く戻ることが主人に忠実なことだと。

 これがみこころであったことは、当事者であるリベカが「一緒に行きます」と即答したことで明らかになりました。


 彼は少し堅苦しいかも知れません。生真面目かも知れません。しかし、ゆだねられた使命の大切さをよく理解し、主人とその神様に忠実だと言えるのではないでしょうか。主人とその神に対して一途に、丁寧に使命を全うする姿にも教えられますね。

「嫁探し」という話のようでいて、実はこれは「信仰の話」です。大事な決断をする時、良い道を探し求める時、主に対して忠実に、そして主の御前に丁寧に、一つ一つを主に聞きつつ、主とともに歩む。

そこに人生の旅の成功の鍵があるのです。 




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