東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 使徒2章41-47節 「教会のコイノニア」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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現在、コロナの感染状況を考慮し、夜の祈祷会はお休みしています。先日の地震で被災された方々の上に神の慰めと支えがありますように。

2022/05/10

使徒2章41-47節 「教会のコイノニア」

*** 5/10(日)献堂記念主日礼拝 説教概略 ***

使徒2章41-47節 「教会のコイノニア」

 今日は、この会堂が与えられていることに心から感謝しつつ、この会堂が何のためにあるのかをご一緒に考える機会としたいと思います。特に「献堂」ということばは、神様にこの会堂をお献げするということです。それは「私たちのもの」とこの会堂を握りしめて私物化せずに、主が望まれることのために会堂を献げて用いていくことです。


主が望まれることの第一は、神様を心から礼拝する場として献げるということです。
これを私たちは大事にして来ました。コロナ下であったとしても、ネット配信を急遽取り入れながら、工夫をしながら、協力しながら続けられたことは、本当に感謝なことでした。神様もその間の労苦をよく知ってくださり、良くやった良い忠実なしもべだとお語りくださるでしょう。

それと同時に、もう一つ主が会堂に望む大切な役割は「交わりの場となること」です。
使徒の働きの時代、会堂や信徒の家が、学び会や交わりの場となり、そこに救われる人々が加えられました。これは現代の教会が果たすべきもう一つの大切な役割です。
そして、この「交わり(コイノニア)」は、「あったらいい」という程度の位置づけではありません。むしろ、教会になくてはならない大切なものであり、なければ教会は衰退するという「死活問題」にもなる要素です。

良い会堂があっても、礼拝だけで終わって、ほとんど用いられないならばなんともったいないことでしょうか。主に導かれた一人一人が、主の前に良い出会いをし、親しくなり、互いに支え合う神の家族となっていくことで主の栄光が現わされるために、この場が用いられるべきでしょう。

今日は特に、この会堂を主に感謝しつつ、そこでの交わりを豊かにすることを知るために「教会のコイノニア」というテーマで教えれて参りたいと思います。


1. コイノニアの重要性

42節 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

 ペンテコステの日、それは教会の誕生日でもありましたが、この時以来、信じた者たちは教会を形成して歩みました。ここにあるように、彼らはみことばを中心に歩み、親密な交わりをもって歩んでいたのです。

 この42節の「交わり」と訳されていることばがギリシャ語で「コイノニア」ということばです。ただ、私自身は「コイノニア」ということばは、教会に集う前には聞いたことがありませんでした。皆さんも教会以外ではあまり耳にしなかったかかも知れません。しかし、「コミュニティ」ということばには馴染みがありますよね。人が集まり交流する場所を「コミュニティセンター(ホール)」等と言いますよね。

実は、このコミュニティは、聖書のコイノニアに歴史的起源を持つと言われています。

そして、私も雑学を学ぶのが好きなものですから、社会学や経営学などの話も聞いたりすると、あらゆる分野にこの「コイノニア」の重要性が見えてくることに気づくのです。

例えば企業が「生産性」を上げるためには、有能な人を多く集めることや良い空間を作るだけでは難しいと言われます。そこで働くのは人間なのです。ですから、その力が十分に発揮されなければ難しいと言えます。そのためには共に働く者同士の「良い交わり」が大切なのです。

あるドイツの心理学者がこういう事を言っています。「どんな人間にも、それぞれ機能するための条件がある。実力を発揮するためには、自分を100%信頼してくれる人間の存在が身近に必要だ」と。

例えば、私はサッカーが大好きで、いつもサッカーのニュースをチェックしていますが、海外で活躍する日本人選手が苦戦する大きな課題は、コミュニケーションの拙さであると言われます。どんなに才能あふれるサッカー選手でも、チームメイトと良いコミュニケーション、良い交わりが築けないと、何の結果も出せないままチームを去ることも少なくないのです。

しかし、交わりが豊かにされる場においては、それぞれの才能、賜物が引き出され、しかも相乗効果で驚くべき力を発揮できます。ビジネスの現場でも、交わりがあると、この件はAさんに聞けばわかる、この分野はBさんが得意だ!お願いしよう!と、互いの長所が生かし合えるようになり、それが結果的に生産性の向上になります。

実にそういう意味でも、教会の持つ「交わり(コニノニア)」は、世界に誇れる教会の特徴、宝物だと言えるのではないでしょうか。

何よりみことばがそう教えていますよね。

詩篇133:1では「見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって ともに生きることは」ヘブル10:25でも「ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。」とあります。

私たちも会堂建設をする際に、やはり交わりができることを大事なポイントとして考えましたよね。様々なところでコイノニアを持てるように意識されています。教会の働きは、このコイノニアで保たれている。それこそが教会の最大の強みなのだと皆さんもぜひ覚えていただきたい。だから、私たちはそれを大事にするということです。

 

2. 共有する交わり 

 コイノニアには「交わり」だけでなく、共有するという意味があります。

44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。 

 44節の最後の「共有」ということばは、「コイナ」ということばで「コイノニア」の形容詞形です。この時代の兄姉の交わりは、本当に親しい親密なものでありました。コロナ時代を生きる私たちとは、もはや正反対と言えるぐらいに一緒にいて、一切の物を共有して、力があるものはそれを分け与えるようにして、そんな交わりでした。

 私も神学生時代、毎日の生活がある意味共同生活ですから、食べ物をお互いに分かち合ったり、本を分け合ったり、色々な面で共有をして恵みを豊かに体験できました。これは「私のものだ」という個人主義では決して生まれない豊かさがあるのです。

 共有することは物質的なものに限りません。いや、もしかしたら霊的なものを共有する方がより重要かも知れません。特に私たちは心を分かち合うことを覚えたいのです。気配り、心配、いずれのことばも気持ちを「配る」、心を「配る」と書きます。誰か他の人のために自分の心を分かち合うのです。

 悩み、苦しんでいることを覚えて、一人で抱えないようにすること。喜びもともに分かち合って歩むこと。夢を分かち合い、そのために祈ってもらうこと

 あるいは神様がなさった大いなるみわざの喜びを、他の人も分かち合うことなどです。

 45節では、「必要に応じて皆に分配していた」とあるように、必要としている人のために私たちの弱さを分かち合ったり、励まされていることを分かち合ったりする愛が大切ですよね。結局、物を分かち合うのも、私たちが隣人を愛するゆえにすることですから、共有というのは愛の心をお互いに分かち合う歩みなのです。

 

3.コイノニアから宣教へ 


 聖書は、宣教のためにコイノニアを築く大切さを教えています。

 つまり、宣教のために協力することを聖書は重要視しているということです。本日のみことばもまた、それを示しています。 

46節 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
47節 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」 

 主にあってお互いをいたわり合い、助け合う親しい交わりが生まれていました。ただの仲良しグループではなく、一緒に神様を賛美し、あがめていました。この真実なコイノニアがあるところに、民全体が好意を抱き、そして主が毎日のように救われる人を加えられたという語られています。

 良きコイノニアがあるところに、人々は吸い寄せられるようにして導かれます。主は愛に根ざした良き交わりあるところに、人々を加えてくださるのだとわかります。47節で人を加えてくださったのは主ご自身ですよね。「主は・・・加えてくださった」と語られていますから。

 かつては「個人伝道」ということばが流行りました。でも、そのことばの課題もありました。「個人伝道」と言うと、どうしても協力が見えない「孤独な伝道」になりがちだからです。むしろ、この個人と訳されたことばは、Personalであって、人格的な伝道とも訳せます。聖書が言わんとしていることを考えれば、むしろコイノニアを重んじる「人格的な交わりの中での伝道」こそ、大切にされるべきです。教会の中に冷たい空気感が漂っているようでは、どんなに「愛です!赦しです!癒しです!」と叫んでも、中身がありませんよね。

 ですから、私たちは教会理念の中で、単に「宣教する教会」と表現することなく、「子どもからお年寄りまでが家庭的な交わりを築き」、「キリストの愛に根ざして宣教する教会」としているのです。 

この「交わり」から、新しい「交わり」が生み出されていくことを願います。教会開拓というものも、新しい会堂建てることではありません。今ここに築かれている交わりを分かち合っていくことです。他の場所に、主へのこの礼拝とこの交わりを生み出して行くことです。

そのためにも、会堂を主に感謝しながら、速やかに教会債を返済をしつつ、新しい働き、新しい交わりが生まれるために用いていけるようにと願います。

改めて、この会堂をささげていく決意をさせていただきましょう。

 

【献堂の宣言】 真実なる主は、私たちに志を立てさせ、この地に導き、新会堂をお建てになり、すべてを完成させて下さいました。教会は主のものであり、すべては主の栄光のためです。神を心から礼拝し、聖礼典を行い、福音を宣べ伝え、神の愛を現わすために、この教会堂をお献げします。苦しむ者、悲しむ者の隣人となり、世界がキリストの福音を聴くために、私たちは今、御前にこの教会堂をお献げします。 


教会花壇より

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