*** 10/27(日)主日礼拝 説教概略 ***
「失敗なき人生は、失敗である」と言われます。人は成功体験よりも、多くの失敗から学ぶからです。「iPhone」をはじめ、多くのヒット作を生み出したスティーブ・ジョブズという方は有名ですね。ただ、彼は実は「失敗王」であるとご存知でしょうか。大ヒットするものの前には、多くの駄作、全く見向きもされないような物も山ほど生み出したそうです。しかし、実に、こうした多くの失敗が糧となって、その後の大ヒット作が誕生しているのです。失敗を通らなかったなら、生まれなかったヒット商品たちなのですよね。
ですから、失敗を恐れてばかりいて、挑戦しないならば、成功への道を自ら捨ててしまうようなものです。私たちは、世界を造られ、世界の仕組みの細部までを知り尽くしておられる方を、「天のお父様」と親しく呼べる立場にあります。この天のお父様がおられれば、「なんとかなる」のですから、恐れてばかりいないで、大いに挑戦し、大いに失敗し、神様によって最高に良きものにしていただきませんか?
1.神に信頼し、恐れずに!
この11章の1節はとても面白い表現で始まります。
1節 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。
一体何でしょう、これは?パンが無駄になるだけじゃないかと思われるかも知れません。でもこれは、「海上貿易」への投資の話である言われます。持っている物を海上貿易に投じれば、ずっと後になってその恩恵をもたらすと言うことです。実際、第一列王記10章では、ソロモン王の時代に、交易船が豊かな財をもたらしていたことが記録されているのです。あるいは、これは「慈善事業」を指していると主張する学者もいます。
ただ、貿易にせよ、慈善事業にせよ、あるいはどんな良い働きにせよ、何かを投じることがなければ、何も起こらないのだということです。
そこには必ずリスクもあります。投げてはみたけど、頑張ったけれど、思うような結果が出ない。そういうこともあるでしょう。失敗も起こりえます。当時の海上貿易もリスクがあり、長い時間を必要としました。それでも、投資をしなければ何も生まれないのです。
でも投じれば何かが起こりえる!実際のところ、人材を育成するにも、財や時間、忍耐と愛が必要です。ビジネスもそうでしょう。何よりも宣教はリスクを恐れず、福音の種を蒔き続けなければ、後になってからも実りを見出すことはできないでしょう。
二人の農夫がいました。彼らは二人とも雨が降るように神様に祈りました。でも、畑を用意して種を植えるという犠牲を払ったのは1人でした。どちらが神様を信じていた人でしょうか。種を蒔いた人です。私たちも、祈るだけで何もしない者にならないようにしたいのです。主が恵みの雨を降らし、収穫を下さるのを信じて、畑を用意し種を蒔き続ける者でありたいと思いませんか。そうして畑を用意し種を蒔く者に、主は人知をはるかに超えた実り、収穫を与えてくださるお方なのです。
信仰の生涯は、なんと楽しみな人生でしょうか!
あなたに与えられた何かを、神様に信頼して投じれば、無限の可能性が広がっているのです!主が何百倍にもされるのですから!
2節では、「パンを投げないこと」がリスク回避にはならないこと。むしろ、色々なところにささげ、与える方がリスクから守られる道であることを教えています。
2節 あなたの受ける分を七、八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかをあなたは知らないのだから。
主のことばは、「あなたの受ける分を、7人、8人に分け与えておけ」と語りかけます。人には何が起こるか分からない。だからこそ、様々な人や分野に惜しまずささげるのです。それが危機管理として有効であることを示しています。失うのを恐れ独り占めし、隠しておくよりも、みんなで分かち合い、助け合う方がずっと安定的なのですよね。
例えば、「生協協同組合(生協)」「共済保険」というものは、まさにそのような考え方から、クリスチャンが中心となって生み出した助け合いの共同体です。父親が急に病に倒れ、働けない。するとその家族は生活に困る。でも、普段からお互いにお金や物を出し合って備えておき、それを賢く運用して増やしておくのです。すると、このように急な病や事故で困った家があったら、そこから援助してもらえる仕組みです。お互いにです。あるいは、普段から多くの人を支援し、ある意味で恩を売っておくならば、いざという時に、助けが返って来ることも少なくありません。
イエス様も「受けるより与える方が幸いである」と使徒たちに教えました。財産をさみしく独り占めにするのではなく、与え合う中でお互いに心も財も豊かにされていくのが聖書の真理です。神様はそのような交わり、そのような支え合う社会を期待しておられるのです。愛の共同体ですね。
もちろん、これは安易な投資話ではありません。そうではなく、「神様からゆだねられたものを、恐れず神様に信頼して用いよ!」ということです。そこに可能性が広がる!リスクは必ずある!何でもそうです。
でも、リスクなしには成長もない!リスクなしには発展もない!筋肉痛やケガを恐れて運動をしないならどうでしょう?維持どころか衰えていきます。痛みを通るから、筋肉は鍛えられ、危険を通るから神経も研ぎ澄まされるのです。ですから、リスクを恐れて何もしないことが、一番のリスクになるわけです。神様から与えられているものを埋もれさせておくのは神様に失礼です。用いない物は取り去られ、用いる人に神様がお渡しになると聖書にあります。ぜひ、神様に信頼して、世界中の人々の良きことのために用いていきましょう。
2.未知への恐れから、先送りする弱さ
恐れに囚われ、縮こまってしまう歩みについて、3-4節で語られています。未知に対する恐れを強く抱き、失敗や挫折を恐れるあまり、踏み出せないことがありますね。
3節 濃い雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒れると、その木は倒れた場所にそのまま横たわる。
どんより暗い雲で空が覆われたら、雨が降ることは誰にでも分かります。しかし、分かってはいても雨を止めることは出来ませんよね。降る雨の対策をするしかありません。天気を予測はできても、コントロールができない。強い風で木が倒れることも防げません。それが人間です。しかし、分からない、「どうしようもない」と言って、恐れて何もしないことが一番の問題なのです。4節をご覧ください。
4節 風を警戒している人は種を蒔かない。雨雲を見ている人は刈り入れをしない。
4節にあるように、風や雨雲を警戒し過ぎていると、ずっと一歩を踏みだせません。こうして、あまりにも警戒し、慎重に見守ってばかりいると、あっという間に時が過ぎていきます。まだだ、もっといい時がある・・・そう考えて待っていたら、「ああ、あの時にやれば良かった」と後悔することになるのですよね。私も何度もそういうことがありました。
でも、3節にあったように、私たちは最善の時などつかめやしないのです。神様ではないのですから!!だから、あまりに慎重になって時を待ちすぎるのは考えものです。良いことは、先延ばしにしない。「神様がなんとかしてくださるだろう!」と信じて、踏み出す信仰でいきましょう。神様への信頼をもって、勇気を出して挑戦することです。神様が「なんとかしてくださる」からです。
そもそも信仰とは、ヘブル書11章にあるように、「見えないもの」を信じて進む歩みです。見えないけれども確かに生きておられる主を信じて、神のもとに保証があると信じて踏み出していく道です。風を見過ぎて、自分の悟りに頼って動けなくならないようにしたいのです。心を尽くして主に拠り頼みませんか。
昨日の世界宣教大会で、神田先生が「声なき者の友の輪」の働きについてお話くださいました。何もないところから始め、事務所も持たず、計画も立てず、予算も立てない。ただ皆さんが献げてくださる献金のみで、そして主が良いと示されることをするだけで、14年間続けて来られたと証しされていました。むしろ、人の計画がアテにならないもので、神様だけが私たちに確かさを下さる方なのです。それを、身をもって証しされてました。主に拠り頼む時、必要はすべて与えられていくのです。
3.神のみわざに目を留めよ
5-6節では、人は本当にこの世界のこと、未来のことが分からないのだと念を押されています。その上で、「分からないからやってみよ!」と教えています。
5節 あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様に、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたは一切を行われる神のみわざを知らない。
赤ちゃんがお母さんのお腹の中で、小さな見えない点から始まり、どんどん形作られていく様子。それは私たちには本当に神秘的で、分からない。同様に風がどこから来てどこに吹くのか、人には分かりません。
6節で触れられていますが、「どっちが成功するか」を100%わかる人などいません!どれが成功するのかを知らない。だから「やらない」のではなく、だから「やる」のです。やってみないと分からないから、やるのです。いつ成功するかわからないから、成功するまで続けるのです。神様のおっしゃることばに従い、主に期待して、恐れずその道に進めばいいのです!!
6節 朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない。あなたは、あれかこれか
どちらが成功するのか、あるいは両方とも同じようにうまくいくのかを知らないのだから。
種を積極的に蒔くように呼びかけます。特に「手を休めてはいけない」という部分は、直訳的には「あなたの手を下ろすな」という意味です。それは「あきらめずに続けよ」ということです。うまくいかない時もあります。ずっと以前は、伝道的なプログラムをしても、ほとんど誰も来ないという事もありました。
教会開放日も0人の時もあります。いつ0人なのか、いつ10人来るのか、いつイエス様を信じるのか。そんなことは分からないのです! でも、だから続けています。朝に夕に種を蒔いているのです。そして、続けていたら、神様が人々を送ってくださるのです。畑を用意し種を蒔いているから、恵みの雨が降り芽を出すのです。そして、5年後、10年後、あるいは30年後、今蒔いている種がどんな実りを生むことでしょうか。
わからないけれど、主は良いお方。楽しみです! 今回、伝道部の方で全く初めての試みとして、星野富弘さんのアート展を実施しましたね。広告費や必要な経費等考えると、伝道費としては、大きい支出であったかも知れません。多くの人手も必要でした。未知の世界です。思ったほど人が来ない可能性もあったでしょう。でも、その恐れを主にゆだねて、水の上に投じたのです。ダメもとで館長さんに依頼し、ダメもとで市長さんに依頼し、ダメもとであちこち交渉しました。主が恵みの雨を降らせてくださると信じて、失敗を恐れず畑を用意し、種を蒔いたのです!
分からないから恐れて何もしない。慎重すぎて踏み出さない。聖書はその姿勢を勧めません。特に、先送りする理由は、リスクだけを見ているゆえです。リスクや失敗の可能性ばかりを見つめていて、そのすべての上におられる主を空気のようにしてはいないでしょうか。主の手は短いのでしょうか。届かないのでしょうか。主は盲目で、あなたのすることが見えないのでしょうか。いいえ!主の手は短くない。主がおられるのですから、なんとなる!恐れず挑戦しましょう!すると、「なんと、かなった!祈りが!」との喜びを味わいます。
引用元聖書
<聖書 新改訳2017>
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会