1日(水)使徒17章10-12節
ヤソンたちの犠牲的な助けによって、パウロとシラスは夜のうちにテサロニケから逃れ、ベレアに向かうことになった(10)。しかし、彼らはそこでも恐れることなくユダヤ人の会堂に入ってみことばを説き明かした。この町のユダヤ人は、テサロニケの人々よりも素直で、そして非常に熱心にみことばを受け入れ、自分たちでも聖書をよく調べたのだ(11)。そういう中で、多くの者たちが男女ともに信仰に入った(12)。私たちも「素直さ」、「熱心さ」をここから教えられる。神のみことばに対しては、知識や経験よりもはるかに重要なのが「素直さ」である。みことばは心で聞く必要があるのだから当然だ。それとともに、熱心に探し求める心が必要だ。求める者には真理の扉は開かれ、与えられるのだから。私たちもこの人たちのように、受け身で聞くだけでなく、本当かどうかを自分から聖書を調べて学びたい。彼らは毎日聖書を調べたのだから!私たちも素直な心で自分から求め、熱心に聖書を調べ学ぼうではないか。
2日(木)使徒17章13-15節
テサロニケで騒ぎを起こしたユダヤ人たちは、ベレアにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした(12)。ここでも群衆を扇動しており、考えさせられる。扇動された群衆の声によってピラトも押し負け、バラバを釈放してイエスを十字架につけることになった。一部の者が強い悪意を持つが、多くの民は無関心に流され、揺るがされ、一緒になって悪に染まってしまう。これは、「群衆心理」ということばだけで片づけるべきものではないだろう。やはり善か悪か、各人も声をあげなければならない。ただ、保身をしたくなる。誰もが大きな力には抗いたくない。損をしたくない。結果、皆が揃って流されていく。教会では起こって欲しくないことではないか?弱い私たちではあるが、正しいこと、良いことを愚直に大事にしていきたい。それにしても、この迫害を、またも神は用いている。一番危険にさらされたパウロは、アテネまで連れて行かれるが、その影響でアテネのアレオパゴスでのパウロの説教が生まれるのだ。迫害のゆえに、次々と新しい地に福音が広がっている。
3日(金)使徒17章16-21節
先にベレアを出てアテネに来たパウロは、シラスとテモテを待っていた。しかし、アテネの町が偶像でいっぱいであることに気づき、パウロの胸にフツフツと憤りが湧いて来たのだ(16)。そのためパウロは、会堂ではユダヤ人たちと論じ合い、この町の広場ではそこにいる人々と毎日論じ合った(17)。様々な哲学者もいてパウロと議論した。とはいえ、パウロの熱い思いは、あふれ出てしまっている。「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言われた。というのは、パウロは相手を論破したいのではなく、イエスの十字架と復活を宣べ伝えていた。だが、確信を持って語られるその新しい教えは、アテネの求める者たちの心に響いた。19-20節で、彼らはその新しい教えに非常に興味を抱いて、「知りたい」と願ったのだ。それで、21節にあるように、アテネ人も他国人も「みな」毎日語り合って過ごした。パウロは憤りを覚えるほどに本気だったし、頭ではなく、心で伝えたのであろう。私たちも憤りを覚えるほど本気で、心で福音を伝えていくものでありたい!
4日(土)使徒17章22-25節
パウロはアレオパゴスの広場の中央に立って語り始めた。彼はまず、アテネの人々があらゆる点で宗教心にあつい方々であると自分が見ていることを伝えた(22)。それは「敬意」として伝えたのであろう。その上で、「知られていない神に」と刻まれた祭壇まで存在することを知ったのだ。アテネでは数えきれないほど多くの神々があるとされていた。だから、自分たちが知ってさえいない神の怒りを買わないために、念のため自分たちが知らないような神にも、供え物をしていたということだ。だから、そこには神と語り合う「交わり」が存在しないのだ。知らないのだから・・・。パウロは、彼らが、自分たちで「知らない神がある」と認めていることを知り、彼らが知らない大いなる神を教えよう!と言ったのだ。それが、世界の造り主なる神、天地の主である。天地万物の造り主なので、小さな宮に住むのではなく、いのちや万物を与える方なので、お供え物も不要であった(24-25)。私たちの主は偉大な神、すべての創造者、すべてを保っておられりお方だ!この神が、私たちを知り尽してくださり、私たちに明確にことばをもって啓示してくださるのだ。
5日(日)使徒17章26-29節
神が人を造られたことが語られている。それを初めて聞いたアテネの人々には、非常に印象的であろう。多くの神々の像を作る彼らにとって!新島襄が初めて創世記1章1節を読んだ時、衝撃を受けたと読んだことがある。神が人を造り、そこから増え広がり、世界の全面に住むようにされたのは、人々が神を求めるようになるためであったとパウロは言う(27)。なぜなら、神は確かに、我らから遠く離れてはいないからだ。神はご自分が造られたこの世界に生きてくださり、そこで働き、その中に存在し続けておられるからだ(28)。そして、私たち人間を「神の子孫」であると彼は言う(29)。なぜなら、神に似た者、神のかたちに意図的に造られたからだ。人が自分の子を生むと似た者が生まれるのは、神からいただいた性質だ。だから、神の子孫であるなら、父である神を金、銀、石などにしてはならない。私たちは人格を持って、愛を知り、意志を持って善悪を判断するのだから。神はもちろん、その上位互換であると言えるだろう。神をいのちなき、人格なきむなしいものにしてはならない!
6日(月)使徒17章30-34節
神はいつの時代でも、人の罪のあまりの多さと重さに「滅ぼすべき」との思いを抱かれたであろう。しかし、愛とあわれみがそれにまさるゆえに、「無知の時代を見過ごして」くださった。主のあわれみだ!だが、今は、どこででも「悔い改め」を命じておられる(30)。それは、主イエス・キリストが十字架で死なれ、よみがえられ、主キリストの義が啓示されたからである。特に、「神は日を定め」、「義をもって世界をさばこうとしておられる」と語られている(31)。最後の審判があることを伝えているのだ。信じる者はいのちを得、信じない者は滅びの結末が待っている。だから、復活の主の姿から確証を得て信じて欲しいとパウロは伝えるのだ。だが、死者の復活をあざ笑い、もう一度別の機会にしようと考える者がいた(32)。そして、「パウロは彼らの中から出て行った」と続く・・・。機会を逃すべきではない。主のあわれみゆえに、この日まで生かされ、滅びないでいるだけなのだから。今日という日に、キリストをしっかり告白しよう!
7日(火)使徒18章1-4節
人生における出会いの大切さを私たちは知っている。あの人と出会えなかったら、まるで違った人生であっただろう!ということは少なくない。パウロにとっても大きな出会いがあった。アテネを去ってコリントに行った時であった。そこでアキラとその妻プリスキラに出会ったのだ。実はパウロは、弱さと恐れを抱きながらコリントに赴いたことが、彼の手紙からわかる。だが、同じようにコリント人ではないこの夫妻が、ちょうど同じ時期に、皇帝のユダヤ人退去令でやむなくローマから移ってきたのだ(2)。神はこの世の皇帝の判断さえも用いて、大いなる働きをなさると分かる。パウロとこの夫婦は天幕作りの同業者で、一緒に仕事をしながら彼らは良い関係を築き、これから宣教においても良い関係を築いて行くのだった(3)。主がくださる出会いは本当に貴重で大切だ。私たちは決して、偶然出会ったのではない。何かがずれていたら、出会えていないのだ。主がくださった出会いのひとつひとつを大切しよう!!
8日(水)使徒18章5-11節
シラスとテモテが、コリントにいたパウロに遅れて合流した。そのおかげで、パウロはみことばを語ることに専念できるようになり、キリストを大胆に証しした(5)。チームで働くことの恩恵である。しかし、コリントにいたユダヤ人は反抗し、口汚くののしったので、パウロは衣のちりを振り払い、異邦人への宣教に進むことにした。どこに行っても強く反対し、迫害する者もいる。それゆえ、時に心が折れそうになる私たちだ・・・。だが、主はある夜に、幻でパウロに語られた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」と(9-10)。コリントは宣教が難しい地だったと思われる。それでも、会堂司のクリスポと家族はみな主を信じた(8)。また、多くのコリント人も聞いて信じバプテスマを受けたのだ。黙っていれば、反対も受けないが、同時に彼らが救われることもなかった。私たちはどうするべきだろうか?黙ってはいけない。福音を聞いたら救われていく主の民が、あなたの住む町にも必ずいるのだから。
9日(木)使徒18章12-17節
コリントで1年半ほど腰を落ち着けて宣教をしていたパウロだったが、ガリオがアカイア地方の総督であった時、ユダヤ人が一斉にパウロに反抗し、彼を法廷に引っ張って行った。そして、パウロは我々に、律法に違反するような方法で、神を拝むようそそのかしていると訴えた。彼らの言い分はこうだ。旧約聖書の教えは許可されているが、イエスの十字架と復活の教えは許可されていない新しい教えなのだ!だから、取り締まってくれ!と。総督ガリオは、ユダヤ人の信仰の問題だから関係ないと言って、この問題を扱わなかった。それは、ローマ法的に問題はなかったことを示している。主イエスは、ヨハネの福音書6章45節でこう言っておられる。「父から聞いて学んだ者はみな、わたしのもとに来ます。」旧約を正しく学ぶのならば、キリストのもとに来ることになるというのだ。旧約預言は、キリストと別の話をしていない。むしろキリストご自身とそのみわざを指し示しているのだ。私たちもいつでも、どこでもキリストを指し示す歩みをしよう。みことばの通りに、素直にキリストのもとに生き続けよう!
10日(金)使徒18章18-22節
どのような時にも、自分の思いに引っ張られず、最終的には「神のみこころ」を第一として決断したい。コリントを後にしたパウロは、船でシリアに向けて出発した(18)。その際、コリントで知り合ったプリスキラとアキラも同行した。この夫妻とパウロが良い関係を築いていたことがわかる。そしてエペソに到着すると、パウロはこの夫妻を残して会堂に入って行き、いつものようにユダヤ人たちと論じ合った。人々は興味を抱いたようで、彼に長居するように伝えたようだ(20)。その時のパウロの答えは、「神のみこころなら」というものであった(21)。それは自分の計画を手に握りしめることをやめた者のことばだ。来年生きていることが「当たり前」だと考える高慢さを取り扱われている者の姿だ。みこころなら生かされていて、またここに来ることもできるだろう。彼はそう考えた。彼にはまだまだ多くの人のところに福音を携えて行く使命があった。そしてまた、多くの危険があった。だから、「神のみこころなら」といつも考え、また表明していたのだろう。私たちも「当たり前」をやめよう。神のみこころなら、あの計画やこの計画を、主の手によってさせていただこう!
11日(土)使徒18章23節
パウロは本当にあちこち巡っている。そして、その地に着くと福音を語り、また信じたキリスト者たちを励まし、勇気づけていることがわかる。彼はアンティオキアにしばらく滞在した後、ガラテヤ地方のフリギュアを次々に巡回した。そして、そこで出会うすべての弟子たちを「力づけた」と語られている。このことばは「堅くする、確かにする」という意味を持つ。ユダヤ主義者からの攻撃、あるいは異教文化の惑わし、そうしたものによって揺るがされないためには、真理によって確かな信仰とされることが必要不可欠だ。パウロはただの精神論で、メンタルだけを励ましたのではない。聖書の真理、キリストの救いの確かさをしっかりと教えることで、彼らの土台が揺るがぬ確かなものとなるようにした。それが、ここでの「力づける」ことだ。私たちの人々に対する励まし方、力づけ方はどうだろうか?表面的な言葉で励ましていないだろうか。「祈ってます」という一言しか言えてないこともあるだろう。だが、みことばによって力づけること、真理によって励ますことが大切であることを知ろう!
12日(日)使徒18章24-26節
アレクサンドリア生まれのアポロは、雄弁なユダヤ人がいた。また、彼は聖書に通じており、霊に燃えてイエスについてもかなり正確に語る力があった。ところが、彼はバプテスマについては、ヨハネのバプテスマしか知らず、その部分の理解が足りなかった。彼は会堂で大胆に語り教えていたが、プリスキラとアキラ夫妻は、アポロにバプテスマの知識が足りないことに気づいたのだ。さて、その時彼らはどうしたのだろうか。
「彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した」というのだ(26)。非常に教えられることは、会衆の前で行わず、「わきに呼んで」、その上で正しい知識を教えたということだ。正義感のあまり、人前で恥をかかせるようなことをせず、愛の配慮に満ちた関り方である。非常に賢明で、謙遜な夫妻であるとわかる。人を育てるためには、相手の人格を尊びながら、より良いものを教えていく必要がある。そのためには教える側にも知恵と謙虚さが必要だ。正義感だけでは人は育たない。どのようにして人を育てるのか。よく考えていこう。
13日(月)使徒18章27-28節
神は一人一人に個性豊かな賜物を与えておられる。それぞれが、相応しいところで、十分に用いられたなら、神の栄光がさらによく現わされるだろう。アポロという人物も、雄弁さという賜物が確かにあった。彼が埋もれたままなら、なんともったいないことだろう。プリスキラとアクラ夫妻は、彼を見出した。彼にさらなる知恵と理解を提供して育てた。さらに、他の兄弟たちもアポロがアカイアに渡りたいと願っていることを知り、彼を激励し、彼のために紹介状を書いたのだ(27)。こうして、人は見出され、励まされ、活躍の場をもらえると用いられていく。「彼はそこに着くと、恵みによって信者になっていた人たちを、大いに助けた」と語られているように、アポロを通して多くの信者が大いに助けられたのだ。彼がイエスこそがキリストであると証明し、ユダヤ人たちをも力強く論破したからである(28)。私たちも周囲の兄姉たちの賜物を見出し、紹介し、豊かに活躍できるよう励ましていこう!
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