東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 毎日の聖書【11月】
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

最新情報

2025/11/01

毎日の聖書【11月】

1日(土)使徒21章27-36節
 パウロのエルサレムにおける苦難が既に始まっている。アジアから来たユダヤ人たちは、宮でパウロを見つけると群集を扇動して彼に手をかけ、彼が神聖な場所を汚していると訴えた。それは、エペソ人のトロフィモを「パウロが宮に連れ込んだ」と思ったからであった。しかし、29節を見ると、パウロと彼が一緒にいるのを見かけたという点のみで、そう思っただけであった。大抵の場合、事実や真実は問われない。本当はどうだったかではなく、訴えたい人が見たいように見るのであり、自分たちの主張に都合よく引っ張るものだ。そして、それをもとに、パウロを殺そうとさえしている。人の悪意とはなんと凶悪なことか。私たちは、感情で物事を決めず、事実、真実を見極めていく者となろう!しかし、神は助けも備えておられる。ローマの千人隊長がその混乱を知って駆けつけ、パウロへの暴力がやんだことがわかる(32)。尚、この隊長が調べようとしても、喧騒と混乱の中で、確かなことは分からなかった。「群集はそれぞれ違ったこと」を叫んでいたからだ。人の訴えは、なんと主観的で歪んでいることだろうか。神のジャッジこそが正しく公平であることを、厳粛に受け止める者となろう。

2日(日)使徒21章37-40節
 パウロの落ち着き払った姿勢、丁寧にお願いする姿勢に教えられる場面だ。パウロはローマの千人隊長にお願いをした。いきなり自分の主張を訴えるのではなく、「少しお話ししてもよいでしょうか」と彼にお伺いを立ててもいる(37)。少しも傲慢でなく、謙虚である。なお、この隊長は、パウロがローマの市民であることを知らず、暴動を起こして4千人の暴徒(暗殺者)を率いて反乱を起こした人物かと勘違いをしたようだ(38)。パウロはきちんと自分の身分、元を証し、そして人々に証しの機会を持ちたいと願ったのだ(39)。パウロの目的、使命はいつもぶれることがない。私たちもそうでありたい!しかも、その際、パウロは隊長に合わせてギリシア語で話しかけている(37)。このような、礼儀正しく、未信者であろうと異邦人であろうと、相手を敬う姿勢は、私たちクリスチャンが学ぶべき姿勢である。どんな時でも傲慢であってはならない。相手に対するこの敬意の姿勢から、百人隊長も彼に許可を出し、パウロは証しをすることができたのだ。



引用元聖書
聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

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