東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: 詩篇133篇、ネヘミヤ記12章43節「喜びの声fromいのちの交わり」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2025/04/07

詩篇133篇、ネヘミヤ記12章43節「喜びの声fromいのちの交わり」

*** 4/6(日)主日礼拝 説教概略 ***

 私たちの教会理念というものがあります。週報の表紙、もしくはスクリーンを参照いただき、皆さんで一緒に読んでみましょう。

みことばに生き、祈りと賛美に満ち、子どもからお年寄りまで家庭的な交わりを形成し、キリストの愛に根ざして宣教する教会」です。



 特に後半は、小さな子どもから、お年寄りの皆さんまでが、神の家族としての交わりを築いていきます。そのようなキリストの愛に根ざした家族、チームとして宣教する教会を目指しています。本日は、このキリストの愛に根ざした「神の家族の交わり」に、神様がいのちの祝福を置いてくださること。そして、その交わりから生まれる喜びの声が宣教となっていくこと。教えられて参りましょう。


1.いのちの交わり  

 最初に詩篇133篇をお開きください。わずか3節の短い詩篇ですが、多くの人に親しまれている詩篇の一つでしょう。最初からこうあります。 

1節 見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。 

 神を信じる兄弟姉妹たちが、一つになってともに生きる幸いを告白しています。その交わりはどれほど豊かで素晴らしいのでしょうか。

2節 それは頭に注がれた貴い油のようだ。それはひげにアロンのひげに流れて衣の端にまで流れ滴る。 

 モーセの兄アロンの大祭司の任職式です。その際には、非常に高価な香油を惜しみなく頭から注ぎかけるのです。その香油をケチったら、頭の上にちょっとだけ振りかけて終わりです。でも、ここではひげに流れて、衣の端にまで流れ滴るとあります。このイメージで、神の家族の交わりに神が祝福の油を溢れるほど注がれるということです。その瞬間、その周辺には香油のなんとも言えない良い香りが充満し、まるでアロマセラピーのように、癒され幸せに包まれるような空間になったのではないでしょうか。教会の交わりが良いものとなる時、まさにそのような安らぎ、幸せを感じられる空間になっていくのです。極めつけに3節のたとえも加わります。

3節 それはまたヘルモンからシオンの山々に降りる露のようだ。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。 

 ヘルモン山は標高2800mほど。パレスチナでは最も高い山です。その山頂、1年の3分の2は雪で覆われています。このヘルモン山からパレスチナ各地に、水が降りて来るのです。とても乾燥する地域なので、ヘルモン山から地下水やヨルダン川を経て流れ来る水は貴重な水源でした。水がなければ人は生きていけませんよね。クリスチャンの交わりとは「あったら良い」ではなく、「なくては(霊的に)生きていけない大切なもの」だと教えられます。神様はこの交わりに、いのちの祝福を授けておられるのです!!

 

2.喜びの声  

 では、先程の「兄弟(姉妹)たち」とは誰でしょうか。それこそ、老いも若きも、男性も女性も、日本人も外国からの方もイエス様の御名のもとに集まる者たちです。そのことをネヘミヤ記1243から教えられましょう。

 ネヘミヤ記の時代、イスラエルはペルシャの支配下に移行していました。ペルシャは寛大な対応をしてくれましたが、それでも未だにエルサレムの再建が進みませんでした。その状況を知ったネヘミヤは、涙の祈りの内に神様に示され、城壁の再建へと出発したのです。困難が待っていました。しかし、主の守りのうちに、ネヘミヤとその民はわずか52日間で城壁を再建したのです!そして、この12章は城壁完成後のお祝いの場面。ようやく城壁が完成し、大賛美集会が行われたのです。二つの聖歌隊グループに分かれ、片方は右に、片方は左に展開し、城壁の上で皆が一つになって賛美をささげました。大地が震えるほどの賛美となりました。高所恐怖症の人は声が震えたかもわかりません。荘厳で美しい姿です。

43節 彼らはその日、数多くのいけにえを献げて喜んだ。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜んだので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。

 この節だけで「喜び」ということばが4度も繰り返されます。大いなる喜びがここにあふれていました!では、その「喜び」とは、どのようなものであったのでしょうか。

(1)犠牲をともに献げた喜びでした! 

 まず、「彼らはその日、数多くのいけにえを献げて喜んだ」とあります。この日、賛美とともに神様への感謝のささげ物を皆でし、ともに喜んだのです。ただ、城壁再建のためにも誰もが献げてきたはずです。犠牲のないところには喜びもないですよね。何よりも、主は生きておられます!献げた者に必ず報いて、豊かに与えてくださるので喜びをもって献げられるのです。

 昔、この教会がまだ本当に小さな群であった頃、それにも関わらず会堂の賃料が月23万の時代。我が家も家計的に厳しい時がありました。それで妻と家計の相談をしていた時だったでしょうか。私はふと「献金をもっと献げよう!」と言いました。正直のところ妻は「え?この人、何を言ってるの?」と思ったそうです。

 私もヤケクソだったのかもしれません(笑)。それは冗談として、主のみことばから示されました。豊かに蒔く者は、豊かに刈り取る。また、「わたしが天の窓を開いて祝福するか試してみよ」とのおことばです。

 結果は言うまでもありませんね。

 教会全体としても、苦労しながらも、皆で献げ合ってきました。主が真実な方であることを体験してきたのではないでしょうか。ある方は「だれも二人の主人に仕えることはできない」とのみことばから示され、大胆に献げていました。とても励まされました。小学生もお小遣いから、中高生もお年玉から。会堂のため、宣教のために。みんなで献げあってきました。神様は真実な方で、献げた者を祝福してくださったのです。

会堂もすでに手狭な状況となり、嬉しい悲鳴を上げながら主を賛美しています。

 

(2)世代を超えた「神の家族」の喜びでした! 

 ここでは、女も子どもも喜んだので、とあります。女性や子供たちも大きな喜びの声を上げました。当時のユダヤ人社会は、男尊女卑と言ってもいい。成人男性中心でした。しかし、ボロボロの廃墟を建て直すため、無我夢中です。なりふり構っていられない。子どもの手も必要でした。だから、年齢や性別等の違いは大した問題ではなくなったのです。本当にすばらしい証しです。

 ネヘミヤ記3章を読むと、普段大工仕事を決してしないだろう!と思う人々が参加していることに気づきます。例えば、いわゆる区長の娘さんたちが一緒になって修復作業をしています(12節)。偉い立場のお嬢さんたちです。多分、この時が大工仕事は初めてでしょう。服も泥まみれ、ハンマーで指を打ちながらの作業だったかも知れませんね。教会1階のボルダリングを男女混合、中学生も一緒になって制作したのを思い出します。ひどい筋肉痛になりましたが、楽しくまた嬉しい交わりでした。

 この時代、エルサレム復興のために、差別や偏見にエネルギーを注がず、同じ主を見上げる者たちが、老若男女問わず一緒になって主に仕えたのです。だから神様への賛美が生まれ、喜びの歓声を上げたのです。詩篇133にあった通りです。神様は神の家族が愛し合い一緒に労して歩む時、そこに豊かな油注ぎをされ、いのちの祝福を授けてくださるのです!

 私たちもみことばから、小さな子どもたちも、弱い立場の人も礼拝に招いています。神の家族として一緒に礼拝するのです。大人の事情、強者の事情で運営してはならないと、改めて思わされます。どうしたら子どもたちが、ご年配が、礼拝をもっと喜べるだろうか。どうしたら、泣いている子を皆で助けることができるだろうか。神の家族として、弱さを担い合っていきたいのです。他の教会から来られたある年配の方がおっしゃいました。「こちらの教会は若い方がイキイキしていて、とっても親切ですね。きっと先生のご指導の賜物でしょう」と。「そうです!」と大きな声で答えたかったところですが・・・事実はそうではありません。私ではなく、教会の兄姉たち皆さんが、子どもの頃から彼らを愛し、やさしく受け入れてくださったからです。騒がしくとも、愛と忍耐をもって礼拝に招き続けた。彼らを教え、彼らと一緒に遊んでくださった。だから成長した彼らが、ただ自分が受けて来たことを返しているだけなのです。主は私たちの愛と忍耐というささげものを喜ばれ、祝されます。これから、ますます楽しみです。

 

(3)証しとなった喜びであった  

 さて、このいのちの交わりが、大きな喜び声を生みました。それゆえに、その声ははるか遠くまで聞こえたのでしょう。今日のみことばの最後にこうあります。「エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた」。この表現に心を打たれるのは私だけでしょうか。子どもも女性も、当然お年寄りも、皆で一緒に喜び、一緒に主をほめ歌ったのですから、彼らの大きな声は遠くまで聞こえたことでしょう。

実にこれが宣教です。私たちの教会の理念、最後にこうあります。「キリストの愛に根ざして宣教する教会」。愛のない宣教を私たちはしない。キリストの愛にしっかりと根ざした神の家族の交わりをいつも大事にして、それをもって宣教していく教会です。

クリスマスの祝会に残られたある求道中だった方が、当時の中高生たちの賛美の発表を見て、驚いてこうおっしゃっていました。「あのような思春期の難しい世代の子たちが、大人の方々とこのように楽しく発表してくれるのはすごいですね~これが教会なのですね」と。感心されている姿を見て、教会って本当にすばらしいと改めて思わされました。そのようにおっしゃった方も、既にイエス様を信じておられることは、なんと嬉しいことでしょうか!この教会の愛の交わりは、この世に胸を張って誇れるすばらしい賜物です。お互いの存在を喜び合い、ともに主を喜んで参りましょう。



引用元聖書
<聖書 新改訳2017
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