多くの奉仕をなしたり、多くの犠牲的なささげものをしたりするときに、私たちはしばしば高慢のワナにかかることがあります。「自分はこんなにやっている」という感覚は、次のような思いへと発展しやすいのです。ある人は、こんなにやっている自分は非常に立派であると考え、神への感謝、人々への感謝を見失います。ある人は、こんなにやっているのに十分な評価がないと考え、不平不満を募らせます。しかし、ダビデ王のこの祈りは、神の前に自分が何者であるかを問われるものです。彼の祈りに教えられることは、献げることができた自分を誇るのではなく、献げられるように与えてくださった神に感謝し、神を賛美するすばらしさです。人がほめてくださる時に、建前ではなく心から「いいえ、私ではなく主がしてくださったことです」と告白できる者とされたいのです。何かが思った以上にできた時にも「主にある兄弟姉妹の祈りのおかげ、祈りを聞かれた主のみわざです」と実感を込めて言える者となりたいのです。
(2019年3月10日 週報掲載)