聖書

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

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2019/03/10

神の御前に、私は何者か

このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、私は何者なのでしょう、私の民は何者なのでしょう。すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。(Ⅰ歴代誌29:14)  

 多くの奉仕をなしたり、多くの犠牲的なささげものをしたりするときに、私たちはしばしば高慢のワナにかかることがあります。「自分はこんなにやっている」という感覚は、次のような思いへと発展しやすいのです。ある人は、こんなにやっている自分は非常に立派であると考え、神への感謝、人々への感謝を見失います。ある人は、こんなにやっているのに十分な評価がないと考え、不平不満を募らせます。しかし、ダビデ王のこの祈りは、神の前に自分が何者であるかを問われるものです。彼の祈りに教えられることは、献げることができた自分を誇るのではなく、献げられるように与えてくださった神に感謝し、神を賛美するすばらしさです。人がほめてくださる時に、建前ではなく心から「いいえ、私ではなく主がしてくださったことです」と告白できる者とされたいのです。何かが思った以上にできた時にも「主にある兄弟姉妹の祈りのおかげ、祈りを聞かれた主のみわざです」と実感を込めて言える者となりたいのです。

(2019年3月10日 週報掲載)

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主が喜ばれる姿勢 ~心から進んで~

イスラエルの子らは男も女もみな、主がモーセを通して行うように命じられたすべての仕事のために、心から進んで献げたのであり、それを進んで献げるものとして主に持って来た。 (出エジプト 35:29 )  ゆがんだ宗教観のゆえに、 キリスト信仰もしばしば誤解されることがあります。 ...