キリストを信じる者には自由があります。聖書の教えは人を束縛するものではなく、人を罪とサタンの支配から自由にし、正しい良いと思えることのために自分をささげることができるようにするものなのです。「真理はあなたがたを自由にします」とキリストが言われたように、真理を知ると自分がどういう支配の中にいたかがわかり、何が自由で何が不自由なのかも知る者とされます。そして自由を有意義に用いて、自身もイキイキとしていける道とは、神の栄光と他の人の益を求めて生きることですです。自分のために使う自由は思ったほど豊かではありません。かえってむなしさが残るものです。子どもたちが自分に与えられたお小遣いの多くを、意外にも家族や友人のために使っている姿を見て微笑ましく思います。そして教会にいる時だけが恵みの時でもありません。聖俗分離ではなく、私たちが遣わされているところすべてが、神の働かれる場となることを覚え、みことばを握りしめて毎日を歩みたいものです。神はあなたのいるところどこにでもおられ、あなたを通してその場を祝福したいと願っておられるのです。
(2019年3月17日 週報掲載)