私たちは何をするにも見返りを期待し、損得勘定の中にいることが多いと思います。むしろ、純粋な愛の動機から見返りを期待せぬわざをなすことは稀ではないでしょうか。しかし、見返りを期待せぬ愛のわざこそキリストのみわざであり、その弟子であるキリスト者が喜んで励んでいくべきものでしょう。誰も見ていないところでの忠実な歩み、お返しを受けない愛のわざ。人のほめ言葉がなくてもこれを続けることこそ「キリスト者の誇り」、「キリスト者の喜び」です。ですから主は言われました。お返しができない人こそ食事に招きなさいと。そうする時、あなたがたは幸いなのだと教えられたのです。なぜ、幸いなのでしょうか。それはキリストを信じて義とされた者が、永遠の御国のために復活する時、神の豊かな報いがそれぞれの行いに応じて与えられるからです。人からの見返りと神からの報い。どちらが永続するものでしょうか。私たちが目に見える地上の利益を追い求める時、永遠の恵みからは遠ざかります。しかし、愛の道に生きることを選んでいく時、永遠の恵みが神によって備えられるのです。
(2019年1月20日 週報掲載)