彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。(出エジ25:8)
エジプトを出たイスラエルの民に対し、神は礼拝すべき場を備えてくださいました。聖所を造らせ、祭司たちに仕えさせ、神へのささげものをし、絶え間なき神礼拝の恵みを与えてくださったのです。
それらは目に見えない神との交わりを可視的に知る恵みの場とされたのです。
神の契約の箱こそは、神の臨在そのものを現しました。
聖所を仕切る垂れ幕は神の聖さを人に理解させ、香壇からささげる香は神へのかぐわしい祈りと賛美、臨在のパンは日々の恵みへの感謝、そして神によってのみ人が生かされることを覚えるものでした。
燭台の灯は夜から朝まで燃やされ、闇を照らす光なるキリスト、またその油は聖霊を示すものでしょう。
この幕屋を中心として神の民は生活し、神の臨在に触れ続ける歩みとなりました。
まさに「わたしは彼らのただ中に住む」とのおことば通りです。
しかし、キリストが来られた時、これらは不要となりました。それは、これらが示したすべてがキリストに現され、完成したからです。私たちにはイエス・キリストがおられるので目に見える幕屋はもはや不要です。キリストから目を離さずに歩みましょう。
(2019年6月23日 週報掲載)