聖書

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

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2019/09/24

15分で学ぶ 預言者ヨナの人生 



B.C.8世紀頃の話。イスラエルにヨナという預言者がいました。神様は彼に北東にあるニネベの都に行き、神の救いを知らせよと命じました。ニネベの都に積み重ねられた悪行がひどく、神様が滅ぼされようとしているというわけです。
 
ところが、預言者ヨナはこれに逆らいました。
1:3 しかし、ヨナは立って、主の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。

 「主の御顔を避けて」とあるように、神様のことばに向き合わず反発し、正反対の方向に逃亡しました。タルシシュというのはスペイン南部の町と考えられます。
 
何も反対に逃げなくても!と思います。
わざと反対方向に行こうとするところに彼の頑固さ、偏屈な性格が出ていますね。
 
 ところが、彼が船に乗るとその船は嵐にあいます。
船乗りたちは必死に自分たちの神に祈りました。ところが真の神の預言者ヨナは、異教徒が必死に祈っているにも関わらず、少しも祈らず眠りこけていました。

そして実はこの嵐はヨナのせいでした。ヨナが神様の御顔を避けて逃亡したからです。
神様はどこまでもヨナに関わろうとされました。
預言者は他にもいたでしょう。私が神様ならこんなヨナには任せません。
 
でも、神様は違います。
 
なぜ、素直で従順な預言者に乗り換えず、偏屈ワガママなヨナにこだわったのでしょう?
そこに神様の愛があるからです。誰を遣わせば効果的かではなく、ヨナという一人の人間を愛し、彼のために神様はこだわり、どこまでも関わっておられるのです。

ヨナは「自分を船から海に投げてくれ。そうしたら嵐は止む」と言います。仕方なくヨナを海に投げ込むと嵐は静まりました。嵐の海に投げ込まれたヨナは死の淵に立たされましたが、神が備えた大きな魚に飲まれ、ギリギリのところで救われました。1:17。
 
そして主が備えた魚に呑み込まれ、彼は33晩魚の腹の中に・・・2章はギリギリで救われたヨナによる神様への感謝の祈りがあります。ただそれは、心からの悔い改めを含むものではなかったと言えるでしょう。とりあえずいのちを救われた事には感謝している。でも、だからと言って素直に従う気もないといった感じでしょうか。 

やがて彼は、陸地に解き放たれます。そこで再び主のことばがありました!(3:2

 ヨナは観念します。
「言われた通りに、言えばいいんでしょ!」とやる気なくニネベの都で1日だけ宣教します。
 すると3:5のように人々が悔い改めて行きます。驚くべき事が起こりました。
 さらに6-9節。王様自ら!こんな大々的な悔い改め、なかなかお目にかかれない。
 不思議な出来事です。
 
 本来なら喜ばしい出来事だが、ヨナは不機嫌になってしまいました。
 
 4:1-3 ここでついにヨナが行きたくなかった本当の理由が明かされます。
 
 自分が憎むニネベの都の人々など滅んで欲しかったのです。
 
 神様があわれみ深く、寛大な方で、ひどい民でも心から悔い改めれば赦してしまうと知っていた。「だから行きたくなかった!」と言うのです。なんて自分勝手でしょうか。
 
 もう死んだ方がマシだとさえ彼は言いました。自分の怒りを正当化しています。
 
 
 話はもう少し続きます。
 
 焼けつくような暑さのニネベで、ヨナは仮小屋を造り、その後の様子を見守っていました。
 
 その後のことが気になったのでしょう。本当にこの都は助かるのか?それとも・・・
 
 そこに神様は1本のトウゴマの木を備えます。
 
 ヨナをおおうように生えさせ、ヨナの頭を覆い陰を造りました。涼しげな植物の存在を彼は非常に喜びました。
 
 しかし、その翌日には神様は1匹の虫を備え、そのトウゴマを枯らします。ヨナはまた、当然のように怒ります。死んだ方がマシだ!と。ヨナの自分勝手で短気な姿が描写されています。
 これに対して、神さまは「あなたは当然のように怒るのか」と問いかけます。
 
 私たちの怒りの正当化について考えられますね。
 
 主のことば10-11節!ここがクライマックスです

 10節では、神様はヨナの「非常に狭い偏った心、歪んだ価値観」を指摘しています。
あの「とうごま」はヨナが育てたのではなく、あくまでも神様が備えて下さったものでした。
ヨナは何もしていないのです。

 一方的に神様が恵みによって与えて下さった。しかし、必要に応じてそれを取るのは、神様が所有者だからです。私たちはそれを預かり管理させていただいているに過ぎませんよね。ヨナは何の労苦もせず、しかも一夜で生えたこの「とうごま」を惜しみ、神様に怒りをぶつけているのです。

この怒りが正当のはずがありません。
そして、このような「とうごま」さえも惜しむ心があるなら、わかるだろう。
・・・と神様は語りかけるのです。

主は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」


ヨナはこの話を後世に残しました。この話は自分の「恥」でしょう。しかし、彼は恥を忍んでこれを伝えたかったのです。自分の都合ですぐに神様に怒り、自分の嫌いな者は滅んでいいと願う自己中心な姿。神様も深い愛と忍耐で自分も赦され、救っていただいた者なのに、その感謝を忘れ、謙遜さを失い、偏狭な心で世界を見ているヨナ。滑稽で、情けない姿です。

それをこうして記録し、私たちに残されていることは、ヨナがこの出来事を通して教えられ変えられたという証しのように思われます。ヨナ自身が執筆したかは不明ですが、少なくとも彼がこれらの出来事を誰かに伝えなければこうして残っていません。

私たちもヨナのようなひとりひとりです。
自分が育てもしていない何かのために、自分勝手に強く怒る者であります。
だから、わかるはずです。
神様がごじぶんが愛を込めて造られたニネベの人々や動植物が滅びるのを望まない心が。
その救いを望まない愛の無さには、怒りを覚えるのは当然の権利であるようにさえ思います。

この愛を知り、この愛に生きる者となりましょう。

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