神様が与えてくださった「祈り」という恵みのわざ
なんとすばらしい祈りの力がそこにあることでしょうか。
祈ることなしには、私たちは何をすることもできません。
みこころにかなう祈りは、神様が親しく聞いて応えてくださいます。
ウェスレーは毎日2時間を祈りのために用いました。
彼は朝4時から祈り始めたのです。
彼をよく知る人はこう言っています。
「彼は祈りこそ、ほかの何よりも大切な仕事と考えていました。私は彼がほとんど輝くばかりの平安に満ちた顔で、祈りの部屋からでてくるのを見たものでした。」
- 祈り続けるとき、私たちは神様がどう願っておられるのかを知る。
- 祈り続けるとき、私の心の願い求めと、神様の最善の導きの間にどのようなギャップがあるかに気づかされていく。
- 祈り続けるとき、私の心にどんな罪があり、どんな傷を受けており、どんな叫びや怒りがあるのかを知らされる。神様はそれを正しく取り扱ってくださる。
- 祈り続けるとき、やがて私の心も神様のご計画を喜べるものへと変えられていく。
↓から「みことば」を味わいましょう!
説教:エレミヤ書29章12-14節「心を尽くして捜し求めるべき方」
賛美「主はあなたを守る方」(詩篇121篇より)
*** 祈祷課題 ***
1.コロナウイルスの収束のためにお祈りしましょう。感染者のいやしのために、感染する方が増えないように。コロナ以外の病の方々、闘病中の方のために!
2.医療従事者や感染のリスクがある中で献身的に働いておられる方のために。どうか、そうした人々に批判が集中しませんように。
3.ストレスから守られ、お互いの心が弱り果ててしまわないように。祈りましょう。
4.キリストにある救いをご存じない方に、このすばらしい平安をもたらす福音が伝えられますように。
5.WEBを用いての配信にて、そうした奉仕に当たるすべての兄姉方が守られますように。負担が非常に増えていますので、皆さんの心と体が守られますように。
※みことばや賛美、祈りのうちに神様への感謝の思いが生まれ、献金をお献げすることを示された方はこのこのWEBページにあります「献金受付」のページよりお献げください。
音声は終了しました。
下記の説教概略は掲載されていますので、ぜひご覧ください。
下記の説教概略は掲載されていますので、ぜひご覧ください。
*** 祈祷課題 ***
1.コロナウイルスの収束のためにお祈りしましょう。感染者のいやしのために、感染する方が増えないように。コロナ以外の病の方々、闘病中の方のために!
2.医療従事者や感染のリスクがある中で献身的に働いておられる方のために。どうか、そうした人々に批判が集中しませんように。
3.ストレスから守られ、お互いの心が弱り果ててしまわないように。祈りましょう。
4.キリストにある救いをご存じない方に、このすばらしい平安をもたらす福音が伝えられますように。
5.WEBを用いての配信にて、そうした奉仕に当たるすべての兄姉方が守られますように。負担が非常に増えていますので、皆さんの心と体が守られますように。
※みことばや賛美、祈りのうちに神様への感謝の思いが生まれ、献金をお献げすることを示された方はこのこのWEBページにあります「献金受付」のページよりお献げください。
*** 4/22(水)祈祷会説教概略 ***
なんと励ましに満ちたことばでしょうか。希望にあふれています。
神様はあなたに良いご計画をお持ちです。すばらしい将来を備えようとしておられます。私たちが神様の声に聞けば、それを知り、そこに歩むことができるのです。どうか主なる神さまを知ってください。
エレミヤ書29章12-14「心を尽くして捜し求めるべき方」
神の民がバビロニアによって囚われ捕囚の民となる出来事が既に起こり始めていた時のことです。エコンヤ王やその母、職人、優秀な者たちがまず捕囚されました。
今日開いているみことばは、その3年後にエルサレムに残っていたエレミヤによって書かれた手紙の一部です。
当時、バビロンに補修された民の間にある噂が流れていました。
それは「もうすぐエルサレムに帰れる!」という噂です。
直前の28章に登場した預言者ハナンヤは、2年もすればバビロニアのかせは砕かれると預言していまた。しかし、それは「中身のないウソ」で、人々に気にいられたいという思い、歓心を買いたいという思いで語られたものです。これは人々が現実と向き合うことから逃避させてしまうものでした。
他にも偽預言者が起こり、人々の現実逃避の願望に応え、主の真意を人々から隠してしまったのです。偽預言者(偽教師)はこのように、苦しみから逃げる道ばかりを教えます。
しかし、真の預言者(真の教師)は苦しみのただ中に主がおられることを教え、そこにある恵みにも目を向けさせ、苦しみを通しての成長を促すのではないでしょうか?
こんな話があります。ある王様が二人の画家に「静けさ」というテーマで絵を描かせた。1人の画家は静かな夜の湖の絵を描きました。湖面には波一つ立たっておらず、美しい月が湖面に映し出されていました。王様は、それを見て「なるほど!確かに静けさそのものを感じる絵だ」と言いました。
もう一人の画家は全く別の絵でした。この人は自分が描いてきた「滝の絵」を見せました。水が天から滝つぼへと凄まじい勢いで降ってくるようで、滝の激しい音が今にも聞こえてきそうでした。王様は不思議に思い、これのどこが「静けさ」なのか?と尋ねました。
画家は言いました。ここを御覧ください。彼は滝の横の方に小さく描かれている鳥の巣を指さしました。親鳥の翼に守られヒナたちが顔を出していました。
この画家は言いました。「もう一人が描いた絵は確かに静けさそのものです。しかし、現実離れしています。現実は私が描いた絵のように、激しい滝が降り注ぎ静けさを感じられません。けれども、この鳥のヒナたちは親鳥の翼の下に守られ、激しい滝のすぐ横であっても心静かに安らいでいるのです。」
私たちの現実も何も問題がない世界ではありません。コロナという激しい滝が上から下へとすぐ横で流れています。平時ではなく有事であり、それがいつまで続くのかも分からない激動の日々です。
このような世界の中で心に「静けさ」を保つことは、容易なことではありません。波一つ立たない湖面の絵は、理想ではあるけれども私たちの現実ではありません。
では、どうすれば静けさを持って歩めるのでしょうか?
それは親鳥の翼の下にかくまわれたヒナのようになることです。
現実から逃避するのではなく、厳しい現実のただ中にあってこの親鳥の守りの中にいることです。
それは私たちにとっては、この世界の造り主であるまことの神様の御翼の影に守っていただくことです。
心を尽くしてこの方を求めましょう。12節から14節冒頭までを味わってみましょう。 12節 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。13節 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。14節 わたしはあなたがたに見出される
アリが大きなキリンの全体像を見極めることができないように、私たち小さな人間も、全宇宙をすべ治める神様を知り尽くすことができません。
しかも私たちには「思い込み」「先入観」「勝手な願望」といったものがあります。何よりも自分勝手な心で生きる罪深さがあります。これらが神様の本当の姿を知ることを邪魔するのです。
改革派神学校を卒業し、一流のビジネスマンでもあるパトリック・モーリーいう人がこんなことを言っています
「我々が望む姿と、実際の神の姿は異なっている。
我々が望む神ではなく、実際の神を求め始めるとき、転機が訪れる。」
ちょっとドキっとしませんか?
私たちは自分が望む神様を思い求めていることがあります。
例えばTVのアイドルを追いかけるファンのように、本人の実際の性格などを良く知らないのに、その人のことを知っている気になります。自分の理想像を勝手に抱いています。ちなみに「アイドル」という言葉は「偶像」という意味も持っています。
まさに、自分の勝手な理想像を相手に重ねて持ち続けることは「偶像礼拝」に近いものだと言えるでしょう。本当の神様を求めずに、自分の願う神様をイメージしてばかりいては、神様を知ることができず、かえって偶像礼拝に陥ってしまう。
ですから私たちは主にこう祈りましょう!!
あなたを心を尽くして求めます。どうか私の望んでいる姿ではなく、あなたのご自身の本当のお姿をお示しください。あなたを捜します。あなたの本当のお姿を知る者とさせてくださいと。
主はこの祈りに応えてくださいます。この求めに応えてくださいます。「求めなさい。そうすれば与えられます」とはこの事でなくて何でしょうか。
私たちはアリがキリンを見上げるように、神様のほんの一部しか見えません。けれども、キリンが小さなアリと同じサイズになれば全体像が見えるでしょう(そんなことは不可能なのですが・・・)。しかし、実はそれと同じようなことをしてくださったのがイエス・キリストなのです。
神である方が人によくわかるようにと、人の姿になって私たち人が神を知ることができるように歩み寄ってくださいました。
ヨハネの福音書1:14に「(この方が)人となって私たちの間に住まわれた」と語られています。
人となって私たちの間に住まわれた。神である方が、人と人との間にともに住む、人間となられたのです。
心を尽くしてこの方を求める時、みことばを通してこの方を知る時、この方に祈り求めこの方の招きの応じる時、私たちは神様の本当の姿がを見出し始めるのです。事実、キリストは人をご自身のもとに親しく招いておられます。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)
厳しい現実の滝がごうごうと流れる中で、私たちはこのお方の翼の下に集められ、心を安らかにしていただきながら歩ませていただきましょう。
そうやって神を慕い求める時。心を尽くしてこの方を求めて、この方の声を聞こうとする時、主の確かな声があなたの心に聞こえてきます。
実は今日の直前にも、こんな風に語られているのです。
求める者には聞こえてきます。
29章11節 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
なんと励ましに満ちたことばでしょうか。希望にあふれています。
神様はあなたに良いご計画をお持ちです。すばらしい将来を備えようとしておられます。私たちが神様の声に聞けば、それを知り、そこに歩むことができるのです。どうか主なる神さまを知ってください。