東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: エゼキエル書18章21-32節「立ち返って、生きよ」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2020/05/25

エゼキエル書18章21-32節「立ち返って、生きよ」

*** 5/24(日)礼拝説教概略 ***

 最近、教会の敷地の雑草が少し気になり始めまして、近いうちに少し抜いておこうかなと思っていたのですが、ふと気づいたら抜かれてキレイになっていました。このような時でありますが、そうしたところに心を割いて、仕えておられる方がいらっしゃるのだなと感謝な思いでおりました。

 もちろん雑草だけではなくて、お花も咲いていまして、教会の花壇が彩られています。見るたびに嬉しくなります。また教会堂1階の多目的ホールには去年いただいた胡蝶蘭があります。しかし枯れてしまって、今年も咲かせるというのは難しいかな?と思っていたのですが、最近になって蕾が花開きました。そして今は3つ蕾が花を開かせています。いのちの力を感じます。

 これらの草花を咲かせてくださるいのちの主である神様が、今日、私たちにも人間にも「立ち返って、生きよ」と語り掛けてくださっています。ご一緒に神様の語りかけに耳を傾けて参りましょう。


 来聖日は教会歴では「ペンテコステ」と呼ばれる記念の礼拝の時です。ペンテコステとは、キリストの復活から50日目でありまして、その時にすべてのキリストの弟子に聖霊という「キリストの心」「キリストの霊」が与えられた記念です。それもありまして、本日は旧約聖書において、将来のペンテコステについて触れられているみことばからお話させていただきます



1. すべての人をいのちに招かれる神


 今日の31節の「新しい心と新しい霊を得よ」との主のおことばが、新約時代に与えられる聖霊について預言されたもので
 神の霊によって新しくされて生きよ!と主は言われます。

31節  あなたがたが行ったすべての背きを、あなたがたの中から放り出せ。このようにして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
32節  わたしは、だれが死ぬのも喜ばない──【神】である主のことば──。だから立ち返って、生きよ。」 

 神様の願いはすべての人が生きること。生きて欲しい。そう願っておられます。

 その「生きよ」という意味は、とりあえず肉体が生きているという程度の意味ではありません。神からの新しい心、新しい霊をいただいて、いのち道を神の国の住人としてイキイキと生きよということです。むなしく滅びて行く人生ではなく、神とともに生きる永遠の人生に生きよと招いておられるということです。

 昔、ある女性の宣教師が分かち合ってくださったことばを思い出します。その方はご自分の昔の姿は、まるで「ゾンビ、Living Dead=生ける屍のようだ」とおっしゃった。とてもインパクトのある表現でした。肉体は動いて生きているけれど、中身は死んでいるというようなことをおっしゃりたかったのだと思います。そこからイエス・キリストと出会い、キリストのいのちに生きる者とされ、心も魂も体も生きる者とされたというお証しだったかと思います。

 神様は、なぜ死のうとするのかとイスラエルの民に向かって語られました。これはもちろん、イスラエルの民が絶望して自死を願ったというようなことではありません。
 神様から離れて自己中心に歩み、滅びへと向かっているということです。
 死に向かっているのに、滅びに向かう道を歩んでいるのに、気づかない。あるいは気づかないフリをしている。そのような民への神様の愛の語りかけであります。私のもとに来て、生きよと招かれたのです。

 神様の切なる願い。それはすべての造られた者が救われ神の御国に入ることです。

 すべて者が神を知り、その救いを受けいのちの道に生きるようになることです!誰一人として滅びることを望まず、むしろ立ち返るのを待っておられるのです。

Ⅱペテ 3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

 神様はいつでも、聖書のことばを通してあなたを招き待っていてくださいます。既に信じているけれども、なお心が離れるあなたにも繰り返し、繰り返し声をかけ続けています。
 以前、ある方が思春期の頃のことを話してくださいました。教会に通ってはいたけれど、反発したり恥ずかしがったりして、挨拶されても声をかけられても無視することもあったと。でも、声をかけられて本当は嬉しかったんだと。本当にそうなのです。うるさいな、面倒だな、お節介だなと感じることもあるでしょう。

 それでも、自分のことを心配し、気遣い、声をかけ続けてくれるのは「愛のしるし」です。神様は、何度語り掛けても聞き入れない、悟らない人間に対して、それでもあきらめずに語り続け、招き続けているのです。



2.悪しき者でさえも救われ、生きて欲しいと願う神


23 わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか──神である主のことば──。彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。 

 自分でもよく分からないのですが、ただこのことばを味わっただけで、涙がこぼれそうになりました。コロナウイルスのことでも本当に多くの方が世界中で亡くなっています。だからでしょうか。神様が「悪しき者の死でさえ喜ばない」と明確に言っておられることばに、慰められたのかも知れません。それどころか、その人悪の道から立ち返って生きることを喜ばれる」と言われます。

 私は、人々に聖書のことばやキリストをお伝えするときに、あなたにとってこれが良いものですよという視点でお伝えすることが多いなと振り返ります。けれども、一人の人が神様に立ち返って生きるようになることを誰が一番喜ぶのかと言えば、実に神様ご自身なのですよね。ですから、「あなたが信じて救われることは、この世界の造り主を笑顔にすることなのですよ」という考え方も面白いなと思いました。皆さんを愛を込めて造られ、わが子のように愛している神様にとって一番嬉しいことは、あなたが神様の元に立ち返ること。大喜びされることなのですよね。

 神様は過去にどんなに罪深い歩みをしてきた者でさえも愛しておられます。そしてこれからは、いのちの道に生きるように、神の国の国籍を得て生きよと言われています。私たちはどうしても過去に縛られる存在です。それは過去はもう変えることができないからです。でも、神様がこう語っておられるのをぜひ聴いてください。

22節彼が行ったすべての背きは覚えられることがなということが語られていますよね。

 神様はそれを意図的に覚えておかないし、ご自身から積極的に忘れてくださるというわけですもう思い出さない。古いものを後にして、新しいいのちに生きるように。

 これは人の目にはしばしば不公平だと見えてしまうほどに、寛大な神様の救いの恵みなのです。

 本来は、本来であれば、私たちは皆さばかれます。神様の完全な正しさ、聖さは、罪をひとつも見逃さず、悪を厳粛にさばかれます。その正義と聖さの前に、私たちは誰ひとり滅ぼされずに済む事はないでしょう。

「ありがとう」というワーシップソングがありますが、その歌詞にこうあります。
「はてしなく広い海に想う 小さく弱い私の姿 神の目にうつらなくても しかたない者なのに 波のかがやきに 目をふせる けがれきった私の姿 神に捨て去られても なにも言えない者なのに」 

 時に私たちも、自分のような人間は神にも人にも、見捨てられても仕方ない者だなぁ・・・と思うこともあるのではないでしょうか。自分でも自分が嫌になることってありますよね?

 もし、神様がその持っておられる正義と聖さの基準だけで、私たちを裁判なさったらどうなるでしょうか?全員有罪ですよね。一人も救われないことになります。

 完全にすべてを見抜く神様の前で、一つも汚れシミのない人はゼロです。 

 以前にも話しましたが、自分では「白いTシャツ」だと思い込んでいても、本当に真っ白なTシャツの横に並べると、随分薄汚れた、シミだらけで黄ばんでいるものだと初めて気づく事があります。他の人と自分を比べて、あの人よりはちょっと私の方が白いなと言っても、神様がこれが「真っ白ですよ」と示されたものの横に置いたら、私たちは全員薄汚れてシミだらけです。神様は本来その白さの基準で私たちを見ておられる。

 しかし、悪い者でさえ滅びることを望まない!立ち返って生きよ!と救いの手を差し伸べられました。

人を愛するがゆえに、なんとしてでも私たち人間を救おうと犠牲を払われたのです。その神様の犠牲、熱心の現れがイエス・キリストです。

 キリストの十字架の血潮によって私たちの汚れが洗い流され、雪よりも白くすると主は言われます。



3.新しい心、新しい霊で生きよ

 そして、生きよと言われます。新しいいのちに生きよと招かれます。31節のみことばにもう一度目を留めましょう。

31 あなたがたが行ったすべての背きを、あなたがたの中から放り出せ。このようにして、新しい心と新しい霊を得よ。 

 古い滅びの道から立ち返ってご自身に元に来る者に、神様はプレゼントをくださいます。「新しい心と新しい霊」を得よと。今までに持っていた心や霊が新しくされ、神様の心を知ることができる者へと変えられていきます。

 信じる者に住まわれる聖霊なる方、キリストの心とも表現される存在。この聖霊を持つことによって、神様の思いを知る者となり、神の道に生きる喜びを知ることができます。

 ご一緒にみことばから教えられて参りました。「立ち返って、生きよ」と主は言われます。まだ信じておられない方も、造り主なる神様が喜ばれることをしませんか?神様のもとに立ち返り、ぜひ生きてください。

 神様を信じている方でも、まるで死んだように過ごしている事はないでしょうか。神様は「新しい心、新しい霊」として聖霊を与えてくださいました。罪を悔い改めて、この聖霊の満たしによっていのちの道を生きましょう。

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