東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅱコリント5章1~12節「新しい生活(新しい人生)」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2020/05/27

Ⅱコリント5章1~12節「新しい生活(新しい人生)」

*** 5/27(水)祈祷会説教概略 ***

 昨日、緊急事態宣言が解除となりました。もちろん解除されたからと言って、普段通りの生活とはなりませんので、まだまだ神経を遣う日々ですね。その中で最近耳にする言葉が「新しい生活様式」を取り入れましょうという事でした。少なくともワクチンが開発されるまではということなのでしょうか。今までとは発想を変えてという事かも知れません。個人的にはあまり新鮮さは感じませんでしたが・・・

 ただ、「新しい生活様式」と聞いて、私が思ったのはイエス様を信じて歩むことこそ、「新しい人生の始まり、新しい生活様式になること」だなということです。しかも、様式という外側だけの話ではなく、内側から新しくされていくのです。

17節 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 人は神様によって創造された存在です。しかし、罪を犯し神を神とあがめずに生きる道に落ち、神によって創造されているこの恵みの多くを失ってしまいました。闇の中をさまよい、生ける屍のように生きている。けれども、キリストを信じて心にお迎えするならば、キリストの御霊によって新しい創造を受けると語られているのです。日曜礼拝の時には「新しい心、新しい霊を与える」という神様のメッセージもありましたよね?

 ここにあります「その人は新しく造られた者です」という部分。
 実は別訳では「そこには新しい創造があります」とも訳せます。

 ESVという英語の聖書では「He is a new creation」と訳されています。New Creation=「新しい創造」が神様から与えられる。
 
 最初に神様に創造された私たちが、キリストによって新しい創造をいただくことによって、神様との生きた交わりを回復し、新しい人生へと導かれるということです。
 これこそ私たちに本当に必要な「新しい人生、新しい生活スタイル」です。

 では、新しいと言われるならば、古いものはどういう内容でしょう?

 16節を読むと「かつて」の話が出て参ります。かつて、古い時は肉に従って人やキリストを知ろうとしてきたと語られているわけです。
 
 「肉に従って」とは、罪で歪められている人間の思い考えによって判断し、生きていくということです。人との比較に悩み、成績主義、成果主義の中でもがき、仕事のために健康を害し、そうやって必死に得たお金で健康を少しばかり買い戻す。家族のために忙しく働いて立派な家は建つけれども、家庭の中の愛は冷たくなっている。自分の心が疲れ満たされない中で、他の人をさばき中傷し倒れさせる。肉の思い、肉の考えは真理にたどり着けず、すべて滅びの道へとつながっています。

 けれども、キリストを信じていく時、もはや古い肉による方法ではなく、新しい御霊による方法で人を知り、世界を知り、神を知る者とならせていただけるのです。それはキリストの御霊=聖霊によって知るという道です。

 聖書はただの本ではなく霊的な書ですので、神の聖なる霊の助けのうちに読まなければ「覆い」がかかったままです。キリストのお心を知るためにも、人間の知識や想像力だけでは不可能です。それも聖霊の助けによります。少し前の3:16でこうあります。

3:16 しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。

 主に立ち返る。日曜日のメッセージでも似た表現がありました。私たちは色々な人生の道があると考えます。しかし、大きく分けると神の道を行くのか、神の道を行かないのかか、その二つです。「神の道を行くのか、神の道を行かないのか」。

 立ち返って神の道を行くなら覆いが取り除かれ真実の景色が姿を現します。そこには真の赦しが、癒しが、救いがあります。新しい者としてこれまでの景色とは異なる景色に歩めるようになるのです。私たち人間は全知全能ではありませんので、神様のこともこの世界の真理をも限られた肉の知識や経験ではあまりにも分からない。だからこそ、全知全能である神様の側からわかるように示していただく事が大切なのです。

 18節の冒頭にも「これらのことはすべて、神から出ています。」と語られていますよね? 私自身経験したことですが、イエス様を信じる前にも聖書は何度か読んだことはありました。もちろん部分的にです。全然よくわからなかったし、面白くもありませんでした。

 けれども、イエス・キリストの十字架やその愛を教えていただき、信じて受け入れて祈りながら読むようになると、不思議にそこに示されている愛が恵みが真実が分かるようになりました。目からウロコ、真理に目が開かれるとはこのことだと感じました。求めれば求めるほど、信じれば信じるほど、祈れば祈るほどにその深さや豊かさが広がっていく感覚です。まさに新しい創造が自分のうちに起こっていることの実体験です

 ただ、これは体験しないと分からないかも知れません。百聞は一見に如かずと言いますが、美味しい料理も論文を書いて詳しく説明していただいてもきっとよく分からないものです。けれども、実際に食せばその論文はなんだったのか!と思うほど味や風味がよく分かるでしょう。味わってみなければ分からないものです。キリストにある新しい創造。それはこうして一生懸命説明してはいますが、ぜひ皆さんに経験して知って欲しいと思うものです。

 それでも私たちキリストを信じた者は、この新しい人生を皆さんに紹介したいと願います。

5:18 これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。

 和解の務めが、信じた者たちにゆだねられているのです。20節のところでは、「私たちはキリストに代わる使節」なのですとあります。イエス様という神の国の王様から派遣されて、この地上の国々との国交を回復することが「キリストの使節」の役目であるということです。これは新しい創造を経験した者にしかできない務めだと言えるでしょう。その努めのためにも、神様はキリストにあるすべての者に聖霊を与えて、内側から新しく造り変え、ご自身の似姿へと日々新しい創造をしてくださるのです。

 罪を知らなかったキリストを、私たちのために罪ある者とされ、それによって私たちの身代わりとなられました。このキリストを信じる者が神様の前に義とされ、新しい創造をいただきながら、歩んでいけるようにです。
 
 不平不満が感謝に変わり、怒りと憎しみが赦しに変えられていきます。不安と恐れから安心と勇気に変えられ、肉体の死が即滅びだった者が、永遠のいのちに生きる者とされる。聖書が睡眠薬かと思うほど退屈な書であった状態から、感動と喜びとあらゆる知恵を授けるいのちの書へと変わります。瞬時にというわけではありませんが、日々、確実に新しく変えられていく恵みです。

 このような罪ある愚かな私を「キリストの使節」に任命してくださった神様のお心を感謝します。新しい生活、この聖書にこそあります。




祈りのうちに、感謝の献金もおささげしましょう。
もちろん強制ではありませんので、主旨のわかる方が心をこめて主におささげましょう。
封筒等に入れて保管し、集まれる機会にご持参ください。
あるいは、献金受付ページをご利用ください。

「あなたの財産でをあがめよ。あなたのすべての収穫の初物で。そうすれば、あなたの倉は豊かさで満たされ、あなたの石がめは新しいぶどう酒であふれる。」(箴言3:9-10)



*** 祈祷課題 ***

1.緊急事態宣言が解除となりました。引き続き、感染者が減少して完全に収束していくようにお祈りください。

2.病のうちにある方、心の弱さを抱えている方、それぞれの健康が癒され守られますように。

3.6月7日から礼拝再開予定(祈祷会は6月10日)です。このまま落ち着いて、礼拝が無事に再開できるように。LIVE配信も同時に行う予定です。知恵や必要が与えられるように。

4.礼拝、祈祷会以外の諸集会について、神様ら良い知恵が与えられ、ふさわしい時にふさわしい方法で対応できますように。

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