ヤコブの手紙 4章13-17節「明日のことはわからないから」
1.私たちは何者なのか?
2.明日をご存じの主にあって生かされる
この視点に生きる時、より積極的に今与えられている時を大切にできるのではないでしょうか?17節にこうあります。
17節 こういうわけで、なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人には罪です。
少し厳しいことばのように思います。でも、私たちを愛する神様が、私たちに本当に大切なことを気づかせようと語っておられるのです。「当然明日もある」との歩みは、なすべき良いことを後回しにしてしまう誘惑を生みます。はっとさせられます。
皆さんは、ご自分の人生が今日で終わりだとしたらどうでしょう。今日が最後ならどう生きるでしょう?おそらく今日の過ごし方変はわりますよね。
私は未だにスカイツリーの中に入ったことがありません。外から見てるだけです。なぜか?
いつでも行けると思っているからです。
案外東京在住の人は、東京の名所に行かない。近いのでいつでも行けると思っているからです。私はきっとスカイツリーに入ることなく天に召されますね(笑)。
それぐらいならいいですよね。
けれども・・・大切な人に「あなたが大切です」と伝えなくていいででしょうか?
傷つけることを言ってしまった相手に「ごめんなさい」と言わないままでいいですか?
今ともにいてくださる一人一人。
一緒に歩めることは当然ではありません。
今日、神様があなたを奇跡によって生かしておられるなら、あなたにはなすべき良い事も備えられています。小さなことかも知れません。でも、先に延ばさず、感謝のうちに「主のお心でしたら」とその一歩を踏み出しませんか。