Ⅱサムエル記 7章18~29節「しもべに良くしてくださる神」
ダビデとしては自分をどこに置いているのでしょうか。
私は何者でしょうかとの最初の問いに戻るならば、答えは見えています。
人は「神のしもべ」であるならば、最も幸せな者であるということです。
今日読んだ箇所に「しもべ」ということばが大変多く登場します。
「神、主よ」ということばと並んで頻出です。
10回ほど用いられています。
しかも「あなたのしもべ」・・・「神のしもべである」ことを告白しながら、神様への感謝と賛美を惜しまず祈っています。
神様に対して忠実なしもべという姿勢が、その主人からの大いなる恵みと祝福を受ける者の姿勢なのです。神のしもべである、そうありたいと求めて生きる人はなんと幸いでしょうか。
しばしば「しもべ」とは、自由がなく奴隷に近いイメージを持つかも知れません。でも、神様のように愛とあわれみに満ち、誠実でやさしく幸いを願ってくださる方のしもべは、もはや「しもべ」と呼ぶのはふさわしくないほどです。
むしろ、イエス様が弟子たちをそう呼ばれたように、「友」でさえあり「子」でさえあるのです。
大切なことは罪を全く犯さずに生きることではなく、罪を犯す者であっても、なお「神を求めることをやめない」者として生きることです。絶えず主の前に出て、主のしもべでありたいと求め続ける者に、神様は御手を伸ばし赦しと祝福をもって導いてくださるのです。