東村山福音自由教会 ✞ Sunrise Chapel: Ⅱコリント12:7-10「弱い時に強い」
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:33)

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2020/09/15

Ⅱコリント12:7-10「弱い時に強い」

*** 9/15(火)ほっとカフェ メッセージ概略 ***


 久しぶりにこの場でほっとカフェが持てることを嬉しく、神様に感謝しています。

 とはいえ、色々と楽しみにしていたほっとカフェの企画が中止になってしまい、本当に残念でした。でも、時に私たちは「したくてもできない」という経験を通して、できることが「当たり前ではないのだ」、「感謝なのだ」ということに気づくこともできます。

 そして、しばしば弱さを通ることが、感謝なことや恵みに対して目が開かれるという経験へと私たちを導いてくれるのです。


新型コロナウイルスの問題で様々な課題や弱さを抱えている私たちです。しかし、それで下を向いているだけではますます弱り果ててしまいます。

STAY HOMEは確かに、コロナ感染拡大を防いだし、予防になりました。けれども、その事が原因となりコロナ鬱になられ方、心の病がより深刻になった方、認知症が進んでしまった方などもいらっしゃいます。孤独が進み、他の課題にも直面しているのです。

その中で、ぜひ皆さんの心に愛が伝えられ、励ましになることを願います。
私たちが弱い時にこそ、神様の力が私たちを覆ってくれるのだという恵みをぜひ知っていただき、少しでも励みなればと願います。

今日は「弱い時にこそ強い」というテーマで、神様のみことばに聞いて参りたいと思います。




1. 弱くなりたくない私たち

 
 人間はどうしても「強くなりたい」と思いがちですが、この手紙は、弱さの中でこそ神様の恵みの力が働かれることを教えてくれます。ですから、強くて非の打ちどころのない姿を目指す必要などなく、むしろ自分の中にある弱さを愛おしく受け入れ、そこに与えられる神様からの大きな恵みのプレゼントで結果的に強くされていきたいと思うのです。

 少し背景をお話します。この手紙を書いたパウロという人。彼はカトリック教会などでは「聖パウロ」と呼ばれ、聖人として非常に尊敬されています。宣教熱心で、イエス様の教えに精通し、非常にリーダーシップも行動力もありました。多くの人の目に強く逞しいリーダーに見えるでしょう。

 ところが、彼にも多く弱さがありました。例えば、彼はある時には「話し方がなってない(下手だ)」と非難されました。私たちが目にする手紙は、彼が口頭で話して、ルカというお医者さんが筆記したものがほとんどです。

 そうすると、パウロの話があまり上手でなくても、筆記する医者ルカ(聖ロカ病院の名前の由来)が上手に整え、修正できれば全然印象が変わるわけです。また、特に人前で話すのが決して上手ではなかったのかも知れません。そして、今日の個所では彼の弱さがもう一つ記されています。

 7節のところで「サタンによって、自分には肉体に一つのトゲが与えられた」と言います。肉体に刺さったトゲについては、目の病気があったのだとする説やてんかんという持病を持っていたとする説、マラリヤ熱を患っていたとする説など諸説あります。

 別の個所ではこんな事も語られています。ガラテヤの4章14節。
4:14 そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえって神の御使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました。 

 この箇所からすると、パウロには他の人から見て、ハッキリと分かる病気かハンディキャップ、「つまずき」や「試練」となってしまう恐れを抱く程の疾患等があったと思われるのです。目の病気等で見た目が普通とは異なり、怖さを感じさせるものだったなどの可能性もありますよね。

決して彼は、何もかも整えられた人などではなかったのです。
話し方も下手、見た目においても決して人から好感を持たれなかった。宣教においてはどちらもマイナスと思われるような弱点であったとさえ思えるのです。

そして、彼自身もこのトゲを非常に気にして悩み苦しんでいたのです。
8節のところでパウロは、このトゲを取り去ってくださるように三度も神様に願ったとあります。「願う」ということばは「懇願する」とも訳せる強い願いを現すことばが使われています。彼はその苦しみの故に、取り除いて下さるよう必至に主に懇願して祈ったというのです


2. 神様のお答えは?

 さて、ここで皆さんにお伺いします。彼のトゲの解決は何だと思いますか?

誰でも考えることは、すっかり癒されることですよね?

このトゲが取り去られ楽になること、見た目も改善することでしょう。そうなったら、神様!ありがとう!イェーイ!と皆さんもなるかも知れませんね。しかし、パウロへの神様の答えは違いました。

9節 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 
 
 もちろん祈りの内に病が癒されることも多くあります。
 色々な事が解決に向かうことも経験しました。

 でも、時に何度祈っても自体は変わらない、かえって悪くなることさえあるのです。その時私たちは深い悲しみに暮れてしまうでしょう。

 でも、そのような者に対する神様の応えは「わたしの恵みは、あなたに十分である。」です。つまり、今のあなたのままで良いのだ。トゲが刺さっているあなたで良いのだ。本当にそれは痛く辛いことだろう。でも、今はそれがあなたに必要なのだと。そこにはもう十分私が恵みを注いでいると神様は言われるのです。

 何度祈っても取り去られない試練や苦しみ、それは祈りの回数や熱意が足りていないからではありません。

そこに神様の良いご計画があり、その試練や苦しみも弱さも含めて神様はお用いになるのです。時にそれらは私たちになくてはならないものでもあります。

パウロはこのトゲを7節にあるように「高慢にならないための打たれる経験」だったのだと言いました。人は何もかもうまくいっていると、感謝を忘れて思い上がってしまうことがあります。私自身も牧師になってから色々な将来像を描きました。この教会の将来像も。でもその通りになったことはほぼありません。時間もかかりました。

でも、それで良かった。いや、それが良かったのだと今は思うのです。

祈っていた通りには一つもならなかった。
でも、祈っていた以上の豊かさをもって神様は導いてくださったことを確信しています。祈って願ったものより良いものを神様はこの教会に、私自身にも与えてくださったと感謝しています。

自分の計画通りになっていたら、私はどれほど高慢で人に対して厳しく、上から目線で指導する牧師になっていたでしょうか。想像すると寒気がします。
 
 パウロもそのためのトゲだったのだと受け入れていったのです。
 そして、彼はこのことを「キリストの力が私をおおうからだ」と言います。

 自分の力や立派さが目立つようになるのではなく、それらが隠されて、神様の恵みが私を覆うからだと。そうなると、かえってキリストの力が人々に伝わっていきますよね。


 先日の日曜日、教会のある青年が礼拝で5分間の証しをしてくれました。

 彼は礼拝前、すごく不安でした。ものすごく緊張しており、内容もこれで大丈夫なのか、話も下手だからと恐れていました。まさに弱くなっていました。今はインターネット動画も配信されていますし、2階の映像を1階に送りますから、カメラも2台あります。カメラを構えられているだけでも緊張するのです。

 でも礼拝前にみんなで祈り励ましました。

 神様の力が現れるようにと祈りました。

 すると、彼は確かに緊張してはいましたが、とてもはっきりとした声で力強く、神様の恵みを皆さんの前で証しすることができたのです。

それは彼の力ではありません。
人前で話すのがとても苦手であることは私たちも良く知っていました。

でも、だからこそ、彼に神様の守りと助けがはっきりと現れたことを私たちは見て取ることができたのです。そのことが私の胸を熱くしました。

神様は本当に助けてくださる方だ!弱い時には、神様の大いなる力を体験するチャンスでもあるのだと教えられます。
 
 すなわち、人間の弱さ、行き詰まりこそが、かえって、神の働きの機会となるのです。 皆さんは今、どんな弱さを感じているでしょうか。自分の足りなさを覚えることはあるでしょうか。


3. 弱い時にこそ強い 神の恵み


この箇所でパウロは、人間の弱さこそが、神の力の啓示(現れ)の場であると説いているのです。それ故に、パウロは自分の弱さを喜び、誇るのだとさえ言っています。

10節  ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 危機に直面したり、何かに行き詰まった時に、普通ならその打開策を検討するでしょう。ところが、パウロは、大変興味深いことを言っています。キリストのために、これらの困難な状況を喜んでいると言うのです。あえてその状況を受け入れ喜んでいる。
そして彼はこう締めくくります。

「なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

 今、長引くコロナ問題の中にいる私たちは弱さの中にいる一人一人であろうと思います。しかし、このみことばによれば、今こそ神様の力が現れ強くされる時でもあるのかも知れません。私たちが弱っている時こそ、私たちは神様に祈り求めます。神様にすがり頼ります。


 あるクリスチャン家族に起こった出来事です。4人家族でした。
 ある時、その家の奥様が大きな病であることが分かりました。弱さに見舞われたのです。

 その事をきっかけに、それまでそれぞれが自分のことばかり考えていたご家族が、みんなで心を合せて祈るようになりました。

 教会からも離れがちだったお子さんも、一緒に教会に行くようになりました。
 一緒にみことばを聞き家族で祈りました。神様の守りの中、再発の可能性はもちろんあり得るけれども病は回復へ向かいました。

 息子さんは言いました。病気のことは本当に辛いことだけれど、そのおかげでバラバラだった家族が一つになりみんなで神に立ち返るきっかけになった。あれがなければ、うちの家族はバラバラでしたと・・・。

 弱さを通して働かれる神様の恵みの力です。
 そして、その経験を通して、より練られた者とされていくのです。

どうか、皆さんが様々な弱さを覚える時に、このみことばを思い出してください。
あなたが弱いと感じている時、それは神様がそこに働かれる大いなるチャンスなのです。弱さのうちに働かれるキリストの力によって、自力で生きるよりずっと強くされる恵みをぜひ体験してください。

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